目撃
始業前の騒がしさが戻った工房。油と鉄の匂いも普段通り。
――のはずなのに。
(頭から離れない)
通気口に流れ込んでくる異様に澄んだ空気。
見るからに手の掛かった技術を用いているであろう装置たち。
見たこともない機械の、規則的な明滅。
その中に居る何の感情も映さない表情、冷たいような、それでいて神秘的な瞳。
全てが焼き付いている。
旧区画。
要らなくなった機械の残骸や廃棄する配管、読み返すかどうかもわからないが捨てられない書類。そんな誰もが求めない物を保管という名の放棄してある場所。
あんな奥まった場所に。…まるで隠してるみたいに。ひと目で“見てはいけない何か”だと理解した。
だから不用意に見た、あの場に行ったと口にしてはいけない。そんな直感が、誰かに聞くという選択肢を失わせた。
(ぼやかして聞くくらいなら…)
「こないだ旧区画だったんだけどさ、あそこ空気ヤバいな。」
何とでも捉えられそうな、安全な言葉を燈夜はツールの点検を続けながら横で同じく作業をする同僚へ何気ない風で切り出す。
「ん?あのごみ置き場?なに、遂に誰かナマモノ捨て始めた?」
返ってきたのは、そんな表層しか知らない者の反応だった。
雑談の中で得られた旧区画は、廃棄場所として。自分たちのエンターテイメントとなる噂の源泉として。知られる輪郭の無い場所だった。
あの日、自分が見たのは勘違いだったのか?そう思える程に、何も出てこなかった。
そんな気持ちが少し、気を緩めさせた。
「先輩。俺、こないだ旧区画で__」
「燈夜。」
呼ばれた名前が、背中を凍らせた。緯斗と視線がぶつかる。いつもみたいな柔かい目じゃない。
「聞かないでいてあげる。二度と口にするな。」
遮るように低く、鋭く。
「気のせいだよ。そうだろ?」
「……。」
否定したいのに、声が出ない。緯斗は近づき、囁く。
「知らなくて良い世界は、この世にご万とあるから、ね。」
優しい言葉の形をしている。なのに突き刺さるように冷たい。
「あの奥は行くな。二度と」
「先輩……」
普段はノリが良くて面倒見の良い先輩は
今日は別人に見えた。
___
(……駄目だろ)
言われた瞬間。
逆に行きたくなっている自分に気付いていた。その証拠に、行くなと言われたあの時__
(頷けなかったんじゃない。…頷かなかった。)
何も知らされず知らないふりを強いられる場所で。
知らなければならないものが確かにある。
ーーー
夜。
ダクトの薄闇を、息を殺して進む。
あの日見た“何か”が勘違いだったと確認できればそれで良い。
「………。」
別ルートから出た通気口。わずかな隙間から覗くと、そこに“彼”はいた。
勘違いではなかった。見てはならないものを見てしまった。
(確認、したい。あれが何なのか…)
背徳感よりもそんな気持ちが先立った。
椅子に座り、真っ直ぐ前を向いたまま微動だにしない。人形みたいな静止。
手首には淡く脈打つ輪が巻かれている。
その時。
ガン、と重い扉が開く。
(…保全庁……?いや、服装……統括部か?)
統括部の制服。徽章。規律で固められた二人の男が入ってきた。ひとりが“彼”の前に立つ。
「測定を開始する。腕を出せ。」
操られているかのように腕がゆっくりと持ち上がる。
(何されてる…?)
器具が光り、輪の明滅が脈拍のように速まり、機械音が重なり合う。
「投与量、正常域。反射は……低下率維持。」
(反射? 投与? 何の……?)
理解できる単語がない。たった一つを除いて。
「F‐369。もう良い。腕を下ろせ。」
(っ……!)
流輝が言っていた“謎の番号”がここで出てくるなんて夢にも思わなかった。
流輝の“変な単語”が、この部屋で動いている。
“妙な詮索して消されるとかやめろよ?”
流輝に言った、自分の言葉が自らを抉ってくる。
“知らなくて良い世界は、この世にご万とあるからな”
緯斗の言葉がズシリと重みを増してくる。
(戻ろう…。)
じりっと後退をしたその時、通気口の金属枠に肘が当たって音を立てた。
(__やべ)
統括部の記録係が顔を上げる。
「今の音は?」
ほんの数歩。歩み寄られたら終わる距離。
動けば気配でバレる。動かなくても見つかる。
音が聞こえそうなほど心臓が脈打ち、全身から嫌な汗が噴き出る。
(見つかる…!)
__その瞬間。
コロ…コロ…
小さな音と共に彼が微かに顔を横へ傾けた。
「どうした。」
「いえ、配管の奥の方に歯車が転がっていきましてね。」
注意が一瞬だけ逸れる。
「何の歯車だ?機器のものでは無いだろうな?」
「そうだとしたら…」
静まり返っていたはずの空間に言葉が湧き上がる。その隙に、燈夜は息を潜めたまま慎重に後退し、通気口へと身体を滑らせた。
ーーー
“安全”な自室のはず…なのに部屋に戻ってからもしばらく息が整わない。
流輝の声が頭に響く。
“F-369。機密の最上ランクだよ?”
「F‐369。もう良い。腕を下ろせ。」
(…測定結果の数値…か?…何をされてるんだ、あれは。そもそも、あいつは何者だ?統括部は何をコソコソ人目を忍んであんな…)
何であのタイミングで歯車が落ちた?
最初、何かを握っているように閉じた指。最後に振り返った時、その手は開かれていた。
そして__
あの“歯車の音”に逸れた視線。
『人形』は応答こそしたが、意思はどこにも見えなかった。ただの反射に見えた。
なのに。
(……気づいてたのか?俺に……)
庇った、なんて言えない。そんな大きな動きじゃなかった。
けれど、ほんの一瞬。感情のない瞳のはずなのに、一瞬だけ視線か流れたように見えた。誰に向けたものなのか、それすら分からない。ただ、その一瞬が妙に引っかかった。
それでも、
その小さな違和感だけがいつまでも消えなかった。




