良い子
朝の空気は、少し重かった。
孤児院の廊下を歩きながら、海陸は胸の奥に残る引っかかりを確かめる。
咳は、出る時と出ない時がある。
苦しいわけではない。ただ、完全に消えもしない。
(……大丈夫だと思う)
そう思っているのは本当だった。
「私達さ、誰かの“大丈夫”って言葉がちょっと怖いんだ。」
事の顛末を知った流輝がそう漏らした。
「どうして?」
「んー、それを信じて取り返しのつかない失敗しちゃった、から?」
濁して伝える流輝だったが、返ってくる海陸の真っ直ぐな視線に記憶を確かめるようにぽつぽつと言葉を紡いだ。
「聞いたことあるかもだけど、颯って仲良しな友達が居たの。この孤児院で私と、燈夜と三人いつも一緒でさ。」
“もう何年も前に死んだよ。病気で。”
確か、燈夜はそう言っていた。
「元々あんまり丈夫じゃなくてね、よく寝込んだりはしてたの。で、本人も“いつものやつだから大丈夫”ってヘラヘラしてるもんだから、そうなんだーって思い込んで気にしなくって。おかしいってみんなが気付いた頃にはもう…」
ーーねぇ颯、何か顔色悪くない?
ーーそんな事ないよ?オレ、大体白いか青いし。
ーーふふっ、何それ!何ともないなら良いんだけどさ?
ーー大丈夫大丈夫。それより、研修は?順調?
何でもない日常の会話。これが颯との最後の会話になるなんて、誰が予想出来ただろう。
「颯の気持ちもわからなくもないの。あの頃、燈夜は整備部の試験で忙しかったし、私も管制通信室の研修で目回してたから。変に自分に目を向けさせちゃいけないって思って空元気出してたんだよね。きっと。だから、“大丈夫”が怖いの。」
「僕は…燈夜を傷付けた?」
初めて見た燈夜の態度を海陸も気にしているようだ。
「気にしなくて良いよ。傷付いたか否かで言ったら海陸のがビックリしたでしょ?…燈夜もさ、颯の事は完全には整理がついてないの。」
マグカップの中で揺れる紅茶を眺める流輝の目はどこか遠くを想っている。流輝の心が自分の踏み込んではいけない場所に居るように思えて海陸は黙って彼女を見つめるしか出来なかった。
「私はね。颯があまりに良い子過ぎたから、神様が傍に置きたいって思って呼んじゃったんだと思うようにしてる。神様には悪いけど、それなら誰も逆らえないし、誰も悪くない。」
「神様…」
「ん?えーっとね、みんなの事を見守ってて、たまに恩恵とか罰を与える人?もう、私こういう説明苦手だなんだから!海陸も、あんま良い子にし過ぎると神様に呼ばれちゃうよん?」
冗談ぽく笑って、流輝が抱きついてきた。
「ふふ、やめてよ。」
やっと笑顔を見せた海陸。楼蘭と燈夜の言葉が、頭のどこかに引っかかっている。
__安心したいんだ。
それは、海陸にも理解できた。
だからこそ。
「明日、病院行くよ。」
「ホント?…あ。でも明日お姉ちゃん別件で出ちゃうって。」
「一人で行くよ。」
「えー?あ、私もあっちの方に用事あるからさ、道中一緒に行くくらいならそんな気にならないでしょ?」
海陸が自分なりに導いた、納得して病院に行く条件。誰の手も煩わせず一人で行く事だった。流輝の申し出に海陸も頷いた。




