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歯車の迷子

古い換気管の点検は、手順が細かくて、作業が多くて、いつも面倒で、でも少しだけ好きだった。


狭い場所に潜って一対一で不機嫌な機械の愚痴を聞くみたいで。

キィ……ン……

(あー、そこか。)

直しどころは見えている。今日もすぐ終わる、はずだった。

「っと……!」

レンチが引っかかって腰の工具入れが少し浮く。

カラン。

小さな歯車が、小さな音を立てて燈夜の工具入れから転がり落ちた。

「あ、まじか。」

転がった歯車は通気口の奥へ、奥へ、さらに奥へ。見えない闇に吸い込まれるように消えていった。

「ま、いいか。替えはあるし」

こういう凡ミスは減ってくれないのに周りの評価が上がっていくのも不思議なもんだ。

自嘲めいた笑みが溢れた。無くしたのは初めてじゃない。その程度でお咎めがあるわけでも整備が止まるわけじゃない。放っておいても問題はない。


でも

(………。)

胸の奥で、微かなざらつきがひっかかった。

音がした。

風が動いた。

歯車の吸い込まれた先に、何かがある。


そんなはずはない。

この区画には誰も居ない。…居ない事になっている。

__…“調…何とか室って聞いたことない部屋の名前とか”__

耳の奥で今朝聞いたばかりの流輝の声が過った。

(……行くなよ)

理性が釘を刺す。

「少し、確認……」

そんな釘は、あっさり抜けた。

這うように通気口へ身を滑らせる。暗闇がすぐそこに口を開けていた。




通気口の奥。光も人の足も届かない隔離区画。

通気管の先にこんな空間があることを、燈夜は知らなかった。突然視界が開けたその空間に__それは居た。

肩まで伸びた灰色の髪。白い肌。

怖さと、どこか神々しさが同居したような雰囲気を纏った何者かが椅子に座り、項垂れている。

(……人形?)

あまりに動かないから、まずそう思った。


手摺にかかった手首。そこには薄い光が脈打つ“輪”が巻かれていた。規則的な明滅。

今の蒸都では説明のつかない、置き去りにされた呼吸。

(何か……書いてある?だめだ、見えない。)

未知の機構は、それだけで危険で魅力的だ。視線を凝らして排気口の網に顔を寄せた、その瞬間。

「……っ!」

心臓が一拍、大きく跳ねる。

動かなかったはずの身体が、不意にゆっくりと頭を擡げた。


逃げるはずだった。

でも、その眼__

吸い込まれるような色の瞳に、足が凍りついた。

「……。」

向こうからは見えていないはず。それでも、目が合っている心地だった。

椅子からすっと立ち上がり、一歩、二歩。金属床を踏むかすかな音。躊躇のない歩みがこちらへ向かってくる。


息を止める。

音を立てたくない。

立てれば“何か”が終わる気がした。


だが、その足取りは燈夜に届く寸前で止まった。自らの足元に視線を落とし、何かを拾い上げている。それが何かは把握しなかった。視線が逸れたのを機に、燈夜はその場をそっと後にした。


ーーー


通気口を抜け出すと、急に空気を求めた肺に合わせて荒く息を吐く。

その背後から声がかけられた。

「おーい、どした? 顔色良くないけど?」

整備班の先輩、緯斗(いと)だ。

「いや、何でも……狭かったから、息苦しくて」

笑ってごまかす。ほんの少し震えた声に、自分でも驚く。緯斗は気づいていない。

いつもどおりの通気口。いつもどおりの隔離区域。そう“思い込む”しかなかった。

けれど__

(……何だ、あれ。)

頭の奥に、あの“眼”が焼きついて離れない。この蒸都の管理を一手に担うこの動力庁舎は、何を隠している?

怖い。けど、嫌ではない。

遠ざけるには、あまりにも強かった。知らないままでは、いられなくなっていた。


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