朝と噂の始まり
蒸都の朝はいつも薄い蒸気の匂いがする。
家並みの上を渡る送気管が低く鳴り、街そのものがゆっくり起き始める時間帯だ
「おはよ!」
家を出て、中枢域へ向かう通りへ歩くと、静けさを台無しにする喧しい声が背中に刺さった。
昨日、欠員が出て遅番に回ってからの早番。という、起きただけでも褒めてほしいくらいの身体にこいつの声は喧しい。
「…なに、その顔。朝からへの字口とかやめなさいよ。もっと“流輝ちゃんに会えて嬉しい”ってオーラ出しなさいっての。」
「するかよ。朝っぱらからうるさいんだよ、流輝。」
あからさまに嫌な顔を向けても、この幼馴染には一切効かない。うんざりしながら歩調を合わせる。
「私がうるさいんじゃなくてあんたがテンション低いの!
クール気取ってるつもり?無理無理。あんたみたいな機械オタクはムッツリ止まりなんだから!」
一つ返せば三つは返ってくる。言い返すのはやめた。
このうるさい幼馴染、流輝も中枢域の働き手の一人だ。
「……お前、この時間に歩いてるの珍しいな。通信室ってもっと遅いだろ。」
流輝は中枢域の“管制通信室”勤務。蒸都のあちこちから届く音や通信を取りまとめる、特殊な職場だ。
整備部と違い、管制通信室は人が揃わなきゃ仕事にならない。本来、早番の俺と出勤時間がかぶるわけがない。
「そ・れ・が・ね!」
流輝は突然キョロキョロと周りを見回し、声を潜めた。
嫌な予感しかしない。こいつの噂好きは治らないし、“喋っても大丈夫な相手リスト”に載っている自分が恨めしい。
「最近さ、この時間に伝声管の中継してるとね、変な話が聞こえてくるの…」
興奮で鼻息が荒くなってる。抑えてる声量だけはほんの少し評価したい。
「何だよ、変な話って。」
興味があるわけじゃない。聞かないとこの時興味を持たなかったことを一生チクチク言われるからだ。
「私もよくわかんないんだけどね?」
「わからないなら話すなよ。」
聞くんじゃなかった。
「例えば、調…なんとか室って聞いたことない部屋の名前とか、“脳波”とか“バイタル”とか“投薬”とか、医療施設ないのに何それって感じじゃない?あと……“F‐369”。」
「えふ……さんびゃく?」
全く聞いたことの無い単語だ。
「Fナンバーって機密の最上ランクよ?なんかね、危ない感じしない?」
早口でまくし立てる流輝は楽しそうだが、確かに気味の悪い話ではあった。
「お前…そういうの聞いて、妙な詮索して消されるとかやめろよ?」
「なにそれ!小説の読み過ぎ〜。大丈夫、勤務中ずっと真面目に聞いてるフリしてるから、むしろ私の評価上がってるんだから!」
自信満々に胸を張ると、流輝はひらひら手を振った。
「続報の“流輝ちゃんニュース”、楽しみにしときなさいよ。じゃ!」
朝の喧しさを巻き散らかして、流輝は駆けていった。
嵐のような幼馴染が去り、静けさが戻る。
変な話だなとは思ったが……
(……ほんとに、変な話だったよな)
胸の奥にごく小さな引っかかりだけ残して、燈夜は整備部へ向かった。
人々が少しずつ活動を始めるのに呼応するように蒸気の音が鳴る。




