想定外
翌朝。楊震は自らの目を疑った。
「…F‐369が…逃げた__?」
部屋はもぬけの殻だった。F‐369が座っていた椅子の近くの排気口の蓋が開けられている。部屋の内側に落ちたボルト。そこにはF‐369が意思を持ってこの部屋を出たとしか思えない痕跡が残っていた。
ーーー
「意味がよくわかんないんだけど?」
燈夜の家。
訝しさを全面に出した流輝が燈夜を睨んでいる。
流輝の視線の先には燈夜と、そのベッドに横たわる流輝の知らない人物が居た。
「だから。俺が仕事行ってる間、こいつみてて欲しいんだって。」
「それはさっき言ったでしょ!私が知りたいのはこの状況!何であんた自分ちに知らない人泊めてんの?何か調子悪そうなのに放って仕事行く?それで今日お休みを謳歌する予定の私に傍にいてやって欲しいって…わかる方がおかしいでしょ?」
「……悪い。」
早口に捲し立てる流輝の正論に燈夜は反論出来ない。
二人の視線の先にはベッドで軽い咳を繰り返すF‐369が居る。
安全な燈夜の家に着いてしばらく。F‐369は咳が止まらなくなり、夜中に熱も出した。
今は落ち着いてみえるが、調律環があんなにも熱を帯びていても言葉一つ発しなかった前例がある。一人にして何かあっても困る。そう思った燈夜は流輝を呼び出したのだ。
「ねぇ。君、名前は?」
「あ…おい_」
「…F‐369」
流輝の質問に反射したように彼は名乗った。
理解が追い付かず、聞いた事のある響きと記憶を頭の中で合致させた流輝が“え?え?”と口をパクパクさせながら燈夜に声を荒らげる。
「ちょっと!何でも無い、みたいな顔してなにヤバいことしちゃってんの?!F!重要機密レベルのてっぺん!わかってる?こんなのバレたらあんた…_」
「わかってるよ、わかってる。…でも_」
一言では言い表せない理由が逆に燈夜を黙らせる。
「助けて…くれないか?」
自分に向けられる真摯な眼差し。ぐっと押し黙って流輝は折れた。
「…わかったわよ。私にやれる範囲だからね。」
「ありがとな。」
唸りながら絞り出した流輝の言葉に、安心した燈夜が立ち上がった。
妙な疑いをかけられないため、保全庁の動きを様子見するため。今日は“いつものように”整備部で働く必要がある。
幾分か緊張した面持ちで燈夜は中枢域へと向かった。
ーーー
少なからず動きを見せるのではないかと予想していた保全庁は驚くほどいつも通りだった。
目撃情報を集めていたり、統括部が庁舎内を歩き回ることもなく、捜索に人員を割かれることもなく、整備部は整備部としての仕事をこなした。
それでも今、燈夜の家に匿っているのは“F‐369”であることは間違いない。
(あいつ…そんな重要人物じゃないのか?)
そう錯覚しそうなほどにいつも通りだった。自分がしでかしたことの大きさは測りかねる。
(下手に探ろうとしない方がいいか。)
気になりはする。だからといって自分から尻尾を出すわけにはいかない。
(流輝にはどこまで話すかな…)
快くはないがF‐369のお守りを引き受けてくれた流輝。知る情報が多いほど彼女にも危険が増えるかもしれない。
(まぁ、あの性格ならどこまで知っても上手く切り抜けるんだろうけどな。)
頭に流輝の顔がちらつく。どこまでも好奇心の塊でズンズンと人の領域に入り込んで行く、良く言えば人の懐に入るのが上手く、悪く言えば図々しい流輝。昔から奔放な彼女に振り回された記憶が蘇ってくる。
(大丈夫かな、Fー369(あいつ)…)
心配の矢印はF‐369だけに向かなくなった。




