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夜の燈

見るものすべてが無彩色に見える、色のない世界。

出した声はすべて吸い込まれていく、音のない世界。

あの日から、そんな場所に取り残されていた。



「少し、腕を見せてもらっても良いかな?……あぁ、大分キツそうだね。痛かったでしょう?」

初めて会ってそう聞かれた時、どう答えれば良いのか分からなかった。

命令でも、通例でもない “問いかけ” そのものが理解できなかったからだ。

けれど、その人──織玖(おるく)さんは、僕の戸惑いごと包み込んでしまうような手つきで腕の輪をそっと外した。

「ほら、こんなに痕がついてる。体が成長するにつれて合わなくなるんだ。痛くなる前に言わないと。」

「……。」

言葉はわかるのに、意味はうまく掴めない。

なのに、この人が居る時間だけは仄暗いこの部屋が、少しだけ明るくなる気がした。


織玖さんは僕を “F‐369” とは呼ばなかった。

「何故って?──君は“人間”だからだよ。番号は、人につけるものじゃない。」

だんだんと時間を経て理解できるようになった言葉の温度は、確かに胸に残った。


ーーー


「それを人扱いするな! ……まさかこんな身近に愚かしい真似をする者が居たとはな!」

「楊震さん、やめてください!その子が怯えています!」

「貴様が余計なことを吹き込むからだ!感情も恐怖心も…こいつには存在しなくて良い!我々が苦労して漸く整えたというのに……!」

聞いたことのない声量で言い争う二人。

僕の腕を強く掴んで、織玖さんから引き離そうとする手。その手を──怖い、と思った。


その瞬間。

腕の輪が激しく光り、脈が暴れて苦しさが押し寄せた。

熱いのか痛いのか、わからない。息ができない。腕を抱えて蹲った僕の視界に、織玖さんの心配そうな顔が揺れる。

「どうしたの? 大丈——」

「チッ。高科、兆調だ。調律環では対処しきれん。処置班を呼べ!」

怒鳴り声が響くのを、遠くから聞いているようだった。頭の中を掻き回されるような、嫌な感覚にただ苦しくて声を漏らした。白衣を着た人達に引き摺られるように別の部屋へ連れて行かれ、冷たい台に押さえつけられる。


__やめて

抵抗しても、子どもの力ではどうにもならない。

「安定剤! 急げ!」

(怖い…)

__いやだ…!!

「黙らせろ。適正値に戻れば多少壊れても構わん。」

_…!

「暴れるな。お前に意思は不要だ。」

手足が痺れて、視界が歪んでいく。

力が抜ける。

何も掴めない。

“どうしても動けない時は、その声で助けを乞いなさい。”

__たすけて。

声は、届かずに墜ちていった。



ーーー

ーー


錆びて朽ちて剥がれていくように、

温かい何かが静かに消えていった。

優しい色の、あの声はもう聞こえない。


そこから先、時間の感覚は途切れた。

色のない世界。

音のない世界。

目を開けても真っ暗な世界。

また、取り残されたこの世界。

ときどき、小さな光が点滅することがあった。

だけど、それが何なのか確かめようとするとすぐ消えた。

本当に、それだけの光。


寂しいとも思わない。

虚しいとも思わない。

ただ“無”があるだけだった。


そこに永遠に居続けるのだとして、

それで構わないと本気で思っていた。


 …! …__!

耳を掠める何か。

 …ぉぃ……!

聞いたことのある声。

でも遠い。ゆっくり、目を開ける。

視界が僅かに明るい。斜め上──排気口の蓋の奥に、人影が見えた。

「やっと気付いたか…! 立てるか?」

目が合ったのを合図にしたように蓋がカタカタと揺れ、ボルトがひとつ落ちる。

「……。」

見覚えのある顔。

何度かこの部屋に来ていた人。

“約束”をしてくれた人。

「ぼーっとするな!約束!しただろ!忘れたなんて言わせないからな!」

その手が伸ばされる。

真っ暗だった世界に差し込んだ、あまりに眩しい光。

「……」

僕は──縋るように、その光へ手を伸ばした。

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