表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/46

救うべきは

調整槽室。F‐369の昼の定期確認。

静調、と呼ぶにはあまりにも整いすぎた沈黙が満ちていた。

高科が調律環の端末を覗きながら、小さく息を吐く。

「今日も、正常値…ですねぇ」

楊震は無言で頷き、369の前に立ち、観察する。呼吸、姿勢、視線――どれも規定通り。いつもと同じ。変化はない。

…ない、はずだった。

「……?」

F‐369の瞳が、ほんのわずかに動く。

いつもは呼び掛けなければ合わない視線。

ほんの一瞬、まるで目の前に居るのは誰なのかを確かめるように、F‐369は楊震と視線を合わせたのだ。


ほんの僅かな瞬間的な出来事にハッとして調律環を確認する。

異常はない。調律環にも測定出来ないレベルの違和感。

(……今のは……)

「楊震さん、どうされましたぁ?」

間の抜けた声を出す高科は何も気づいていない。

目の前のF‐369自身も、表情ひとつ変えていない。

楊震は、感じた違和感を言葉にしないまま記録帳を閉じる。

(兆調…ではない。では――何だ、今の反応は。)

気のせい、と片付けることもできた。実際、数値は正常だ。兆調の兆しに出る“揺れ”ですらない。

(だが。監査会が近い今、放置するには…気に障る。)

369の瞳は、ただ前を向いている。静かで、空っぽで、完璧な“静調”。

だが、先程の視線には、確かに“人間の意思”があった。

「……戻るぞ、高科。」

「へっ?あ、はいぃっ!」


去っていく二人の後ろ姿をF‐369の視線が静かに追っていた。


ーーー


統括部・執務室。

送達筒の往復音だけが響く静かな部屋で、楊震は書類に目を落としていた。

(……数値は、どこにも“揺れ”を示していない。)

反応値、静調指数、投薬同調率──どれも完璧なまでに平常だ。数字のどこにも“あの瞬間”を裏付けるものはない。


ただ。視線が合った、それだけだ。ほんの一瞬。たったそれだけで、何年も継続してきた静調の形が揺らいだように見えた。

(……見間違い、かもしれん。)

記録紙の表面を指でなぞりながら、自分の目を疑ってみる。もし自分がもう一人居たとすれば、きっと数字が全てだと主張する筈だ。

(兆調の初期揺らぎではない。調律環にも反映がない。──なら“何”だ。)


答えはない。モヤは残る。


机の端に置かれた“過去の記録”が目に入った。

《適合評価会/臨時記録──F‐369兆調》

黒塗りの痕跡。そして、読める唯一の文字。

《……玖》

(織玖…か今、どこで何をしているやら…)

昔居た同僚に思いを馳せかけ、すぐに思案へ自分を戻す。

(静調帯に戻すための処置は…あれを削る。)

一言“調整”と言ってもその処置をする事によりF‐369の脳や身体への影響は計り知れない。考え無しに処置を繰り返してしまえば、その寿命を確実に削る。長持ちしない。

(……気のせいであれば、何もせずに済む。)

自分の判断ひとつで、F‐369の“使用可能期間”を削る。それは、職務の外側にある罪悪だ。

(だが──)

ペン先が紙を強く叩いた。

(蒸都の動力はひとつでも不安定な要素を許さない。静調が崩れれば……都市の根幹が揺らぐ。)

“蒸都の安全”。それだけが、考えるべき唯一の要素。

信ずるべきは己か数字か。

私情ではなく、都市を守るために動く。

(……再調整を申請する。)

背筋を伸ばし、机上の通電器を手に取る。

「繋いでくれ、中央動力管理部だ。」



ーーー


朝独特の、静かに蒸気の立ち込める街の上空を眺めながら、中枢域へ続く道を歩く。


あの後、旧区画の倉庫を漁ってみたが、大きな収穫はなかった。

時間を掛ければ何か見つかったのかもしれない。だが、自分がやろうとしている事の規模を考えれば、不審を買う行動は極力避けるべきだ。

(自発反応に対しては要警戒、で合ってるよな。上から潰されてる“っぽい”し……)

掴めない煙を相手にしているような気分だ。

遠くに上がる蒸気の揺らぎを見ながら、どうにも手詰まり感が残る。

配管。排気口。上下水道。

外へ繋がるルートだけは把握した。条件さえ整えば、彼を“助ける”ことは可能だ。

(…まさか自分が完全犯罪の計画立てる未来が来るとはな。)

それが犯罪なのか救済なのか。

燈夜の中で唯一ブレーキがかかるのは、その線引きだけだ。

「やっほ!朝から湿気た顔〜。」

流輝だ。燈夜とは対照的に、いつも通り軽い足取りで隣に並ぶ。

「…そう思うなら絡むなよ。」

軽く睨むと、想像以上に目が輝いていて、嫌な予感しかしない。

「こないだね?またちょっと気になる話し声聞いちゃって。久し振りの流輝ちゃんニュースの時間だよん。」

(………。)

流輝が以前管制通信室で受信してしまった単語の数々は、今まさしく燈夜の中で根を張った悩みのタネだ。

「…何だよ?」

「やっぱ気になっちゃう?」

「俺がどう思おうが、お前どうせ言うだろ。」

この噂好きの幼馴染のおかげか、興味のないフリは得意なのかもしれない。

「よく分かってるぅ。」

にこにこと笑いながら、流輝は声をひそめた。

「また聞こえてきちゃったんだよね。あの話!」

燈夜は黙って耳だけ傾ける。

「私が思うに──F-369は機械ね。」

「は?」

思わず足が止まりかけた。そんなはずが無い。数える程しかないが、見、聞き、触れもした。あれは人間だ。

「だって、“数値が安定”とか“初期値がどう”とか。あと“処分”とか?普通、人にそんな言い方しなくない? どう考えても装置の話でしょ?」

「……。」

「回線の定期整備が始まっちゃったから、もうこっちには音声流れてこないんだけどね。 こないだの段階で“審査”とか“検査”とか言ってたから…もう導入準備終わってるのかなぁ、新しい機械!」

楽しげに言う流輝とは反対に、燈夜の胸の奥の温度が一気に冷える。

(処分。)

“たすけて”

あの言葉と結び付けるには十分だった。

全部ではない。けれど─


(大事なピースは繋がった。…助ける。)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ