表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/48

深部の箱

暗い。

目を開けても閉じても、世界の濃さは変わらない。


どこかで蒸気が、鈍い吐息を漏らした。

金属の匂いが皮膚に貼りついて離れようとしない。

(………。)

起き上がろうとした瞬間、手首に触れた冷たい輪が、存在感を訴えた。

まるで“まだ起きるな”と命じるように。


ぼんやりと腕を持ち上げて手首を眺める。

輪に刻まれた数字。

 F-369

それが、自分を示す唯一の符号。それ以外は存在しない。

_……

(声…誰の…?)

思考を深めようとすると、頭の奥で何かが擦れ、軋む。

…考える必要はない。ただ、生きていればいい。

そんな声が、ずっと前から続いている気がした。


天井から微かな振動が降りてくる。回転する機械の鼓動。

この場所の空気を整える為の装置。僕を、いかす為の装置。

息を大きく吸い込むと、手首の輪が合わせてゆっくり明滅した。


起きる、眠る、動く、話す

この場ではどれ一つ、自分の意思ではない。


ただ、“生きろ” と言われたから生きている。

(どうして?)

問いかけても、答えは無く針の音に飲まれていった。


ーーー


蒸都は、朝になると町中の管がいっせいに息を吹き返す。蒸気の白いもやがゆっくりと立ちのぼり、軋む歯車の音がどこか遠くで、生活の始まりを告げていた。


街は機構で動き、人々はその機構に支えられて暮らしている。

灯りがつくのも、昇降機が動くのも、水が巡るのも、どれも誰かの手で保たれ続けている仕組みのおかげだ。

その仕組み全体の修繕や見回りを担う役所が、保全庁。中枢域の“動力庁舎”の中にある組織だ。

外から見れば、どこにでもある大きめの行政棟。構造も案内もきちんとしている。クリーンなイメージの庁舎だ。


燈夜(とうや)が勤めている整備部も、その動力庁舎の一部に属している。

街の機構を診て回り、古い部品を交換し、今日も蒸都が止まらずに動くように支える、地味で確かな仕事。

特別な光景はなく、特別な一日でもない。いつも通りの朝が、今日も始まる__


ーーー


夜明けのレンガ道は、誰よりも先に燈夜を迎える。

蒸気管の吐息。油を含んだ金属の体温。

そのすべてを確かめるように、今日も決まった道具を手に取った。


特別な事をしているわけじゃない。

しっかり造りを見て、必要なところに手を加える__それだけだ。

「……っとと」

モンキーレンチが手から滑り落ちた。反射的に爪先で蹴り上げて掴み、工具入れに戻す。どんなに仕事に慣れても、減りはしてもこのポカミスは消えないし、減ったからこそ予測が出来なくて厄介だ。

(変わらないな、我ながら…)

“優秀”だなんて言われるたび、思う。どこが? と。

教えてくれた人がすごいだけ。受け取った技術がすごいだけ。自分は、まだまだだ。


__でも。

手を動かせば誰かの役に立てる。その事実だけは、胸のどこかを温かくする。

誰も来ない整備場で、燈夜は、静かに夜の冷えた空気を吸い込む。

今日も、いつも通りに終わった。明日も変わらず始まって、いつも通りに終わるのだろう。そう思っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ