第1章-1 始まりの海、重なり合う足跡
※FF14の世界観をお借りした二次創作です。
原作設定を踏まえつつ、独自解釈を含みます。
エメトセルクとアゼムの「もしも」の物語として、
静かな導入から始まります。
プロローグ
港町の酒場は夜の帳が下り、穏やかな灯りに包まれていた。木製のカウンターにひとり腰を下ろすエメトセルク。手元のグラスに注がれた水の表面を指先で軽く撫でながら、ぼんやりと周囲の喧騒を聞き流している。
「…やれやれ」
小さく吐息を漏らす。耳に届く笑い声やジョッキの音は、どこか遠くの世界のことのようだった。
一瞬、視界の端に過去の記憶が浮かぶ。煌びやかな玉座、整然と並ぶ執務官たち、そして自分を“ソル皇帝”と呼ぶ声。威厳に満ちたその光景に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
しかし、すぐにその記憶は薄れていく。今、目の前にあるのは温かな木のカウンターと、柔らかく揺れるランタンの光。かすかに漂う焼き肉の香り。自分はただ、ここに座る一人の人間に過ぎない。
「……厭だ厭だ。思い出すだけ、無駄だ」
そう呟き、肩を少し落とす。手元のグラスを軽く揺らすと、波紋が水面を柔らかく広がっていく。
店員が近づき、注文を尋ねる。
「お食事は何になさいますか?」
エメトセルクは一瞬、考え込む。豪奢な宴を思い浮かべる過去の自分の姿を振り払いながら、淡々と答える。
「…今日のおすすめで構わん」
その声には、過去の威厳も苛立ちも混ざらず、ただ静かに落ち着いた人間らしい調子があった。小さな笑みを浮かべ、店員が去るのを見送りながら、彼は静かに周囲の景色を眺めた。
――過去は確かにあった。でも今は、ただの自分でありたい。
その夜、港の灯火に包まれた酒場で、エメトセルクは静かに、人としての一瞬を噛みしめていた。
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アゼムは酒場の中を右往左往していた。どのテーブルもすでに埋まっており、座れる席はなかなか見つからない。肩越しに人々の笑い声やジョッキの音が耳に届く。少し焦りながら、空いている席を探す。
アゼムは視線の端に、一つだけ空いた椅子を見つけた。
慌てて近づくと、その向こうに白い髪の男性が静かに座っていた。
冷静で、どこか凛とした瞳が、ふとアゼムと重なる――初めて見るはずのその存在に、心がざわついた。
港町の夜はまだ静かに息づいている。
そして、これから始まる物語の、ほんのささやかな一歩が、今、ここにあった。
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第1章 運命邂逅
「あの…相席、いいかしら?」
白い髪の男性は、突然の呼びかけに軽く眉をひそめて顔を上げた。
「……ああ」
短い返事に戸惑いながらも、アゼムは彼の向かいに席を譲り受ける。テーブルに置かれたのは、一杯のエールだけ。彼女はそれを手付かずのまま眺め、広げた地図を指でなぞりながら小声でつぶやいていた。
男は黙って食事を続けていたが、やがてその手が止まる。
「お前、食べないのか?」
「えっと…その、金欠でして」
恥ずかしそうに白状したアゼムに、男はわずかに目を細め、小さくため息をついた。「そうか…悪かったな」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。それでもアゼムはめげずに地図を見つめ、「いつか、クガネに行ってみたいなぁ」とぽつり零した。そして、ふと思いついたように顔を上げる。
「あなたのジョブ、参考に聞いてもいいかしら?」
「…厭だ厭だ、面倒くさい」
一瞬口を噤んだ男の口から出たのは、拒絶の言葉だった。
男は椅子に座り直すと、冷ややかな視線をアゼムに向ける。
「見知らぬ奴に、軽々しく聞くものではない。少しは警戒心を持て」
その説教は、なぜかアゼムの胸の奥にある懐かしい記憶を揺さぶった。初めて会ったはずなのに、深い既視感が芽生える。
「私!貴方と一緒に旅がしたい!」
衝動に突き動かされ、アゼムは立ち上がって目を輝かせた。
「…お前、何を言っている」
呆気に取られる男を前に、アゼムはすぐに顔を赤くして慌てふためく。
「あらやだ...本当に私ったら。今の、聞かなかったことにして!」
男はわずかに肩を揺らして苦笑した。
「やれやれ。警戒心というものがないのか? ハッキリ言う。お前、まだ準備も足りていないだろう」
アゼムは背筋を伸ばし、真剣な眼差しで答えた。
「あ…はい!あ、明日からギルドで稼ぐ予定です!」
あまりにも真っ直ぐなその返事に、エメトセルクは軽くため息をつく。
「そうだとしても、まずは落ち着け。酒場で寝落ちしても、何も始まらんぞ」
「え…あっはい!」
ここで一夜過ごしますなんて、とても言えない…。
気まずい冷や汗を流すアゼムを、男は黙って見守る。その小さな視線の交差が、二人の距離を静かに縮めていくようだった。
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夜も深まり、酒場『溺れた海豚亭』は一層の賑わいを見せていた。
騒がしい空気の中、アゼムは重くなる瞼に抗えず、次第に意識を微睡みへと沈ませていく。
隣に座るエメトセルクは、それを横目で眺め、心の中でため息をついた。
厭だ厭だ。まさか本当にここで寝る気か……?
彼女は気づいていない。薄暗い酒場の隅から、無防備な彼女を舐めるように眺める卑俗な視線があることに。エメトセルクの眉間の皺が深くなる。ここに居続ければ、ろくでもない連中の的になるのは時間の問題だ。
彼は肩をすくめると、大きくため息をつき、そっと彼女の肩を揺さぶった。
「おいっ……」
「ふぁい?!…もう朝でしゅすか?……」
酔いで呂律の回らないアゼムに、エメトセルクは額を抑えて天を仰いだ。仕方ない、といった様子で彼は無言のまま腕を差し伸べる。
「ふぇ?!ぅわ…引っ張らにゃいでくだしゃい…」
驚くアゼムを半ば引きずるようにして立たせ、彼は冷淡な苦笑を浮かべる。
「…面倒くさいが、放っておくわけにもいかん」
「男連れかよ……」という酔客たちの舌打ちを背に、エメトセルクは覚束ない足取りの彼女を宿屋へと運んだ。
「部屋を一つ頼む」
「あいにく満室でして、残りは一部屋だけですが」
宿主の言葉に、彼は横で船を漕ぐアゼムを一瞥し、眉間に皺を寄せた。
「……仕方ない。一部屋で構わん」
部屋に入ると、そこにはシングルベッドが一つだけ。今にも倒れそうなアゼムを、エメトセルクは静かにベッドへ横たえ、毛布を掛けた。
「……寝顔まで無防備か。ほんと、危なっかしい」
灯りを落とした静かな部屋に、ため息が響く。彼女の穏やかな寝息を聞いていると、不意に懐かしさがこみ上げる。初めて会ったとは思えないほどのざわつき。
厭だ厭だ。面倒だと思っていたはずなのに、目が離せん。
押し寄せる眠気に身を任せ、椅子に深く腰を下ろして目を閉じる。
夢の中、かすかな光に包まれた懐かしい光景。
赤い仮面を胸に、黒いローブを纏った女性が振り返る。
『あ!あった!見つけたよ!……ん?どうしたの、ぼーっとして』
溢れ出す感情のまま、彼はその女性を抱き寄せていた。温もりと感触。それは現実に隣で眠る彼女を見つめる視線と、どこかリンクしていた。
ゴトンッ!
上の階の物音に、エメトセルクは弾かれたように肩をすくめた。
「……やれやれ」
ベッドを見れば、彼女は何事もなかったかのように眠っている。
「のんきなものだな。少しはこっちの身にもなってくれ」
呆れながらも、どうしても目が離せなかった。
夜風が窓を揺らす音と、重なり合う二人の鼓動。エメトセルクはふとした衝動に抗えず、ベッドの端に腰を下ろし、そっと彼女の隣に身を寄せた。
「……くっ。私は何をやっているんだ」
熱くなる頬、速まる鼓動。だが、心は驚くほど穏やかだった。身を引こうとした瞬間、アゼムが寝返りを打ち、彼の腕をぎゅっと掴む。
「 ……っ…!」
声を飲み込み、固まる。振り払おうとすればできる。だが、なぜか動けなかった。夜はゆっくりと明け、差し込む朝の光がアゼムの顔を鮮明に照らし出した。
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エメトセルクは思わず口元を緩め、意地悪な笑みを浮かべる。
このまま目を覚ましたら、こいつはどんな反応をするだろう……。
彼はわざと毛布を自分の方に少し引き寄せ、あたかも一緒に寝たかのように見せかけた。
やがて、アゼムが薄目を開け、掠れた声で呟く。
「ふぁ〜…ここは…?」
寝ぼけ眼で目の前の至近距離にある人物に気づいた瞬間、彼女の背筋が凍った。
「!?!?」
驚愕と羞恥で飛び起きる彼女に対し、エメトセルクは体勢を変えず、眉をひそめてじっと眺める。
「あ…貴方は…昨夜の!!」
「ふっ…昨夜は楽しませてもらった…」
「え?…なに?」
エメトセルクはゆっくりと彼女に顔を近づけ、耳元に掠れた声で囁いた。
「ほぅ…覚えていないとは…残念だ」
真っ赤になって動揺するアゼムを、エメトセルクは心の中で笑いを堪えながら見つめる。
「おい、なにをぼーっとしている。宿を出るぞ!」
「あ、あの!待ってください…」
扉に向かっていたエメトセルクは、ゆっくりと振り返り、彼女を見つめた。
「私…貴方の名前をまだ知りません」
「…エメトセルクだ。お前も名乗っていないだろ」
「わっ…あ、私は、アゼムといいます…」
エメトセルクは扉の方に体を向け、笑いをこらえて答える。
「そうか……アゼム。昨夜は――実に楽しませてもらった。お前は……覚えてないのだろうがな」
「っ!!」
胸がドキッとし、動揺を隠せないアゼム。「早く来い、置いていくぞ」と先に歩き出す彼を、慌てて追いかける。
宿を出ると、酒場の横で噂し合う客たちの視線。アゼムは真っ赤になってうつむき、エメトセルクのローブの裾を握りしめた。
振り返った彼は、恥じらう彼女を静かに捉え、わずかに笑みを漏らす。
二人の間には、これから始まる一日の気配が、潮風と共に漂っていた。




