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ゲストハウス始める  作者: 七瀬 尚哉


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1/7

瀬戸内の島に移住

峰岸 (ショウ)60歳

四国愛媛県の松山で、色々と商売をしていた昭は、お金も去ることながら、これからは、自分の自由な生活をする為に、ここ、瀬戸内海に囲まれた、しまなみ海道の中にある大島に、女房の華と共に、3月3日に移住をして来た。


海が見える場所からの住まいと、毎朝の鳥の声での目覚めに、今までの人生には無かった充実感で、幸せな毎日を過ごしていた。

移住をして、最初の1年くらいは、今までの友人や、親戚などが遊びに来て、その度に民宿に泊めて、2.3日を過ごすので、飲食代、観光代、宿泊費などで、毎回10万円程の出費で、いくら今までの商売での貯蓄はあると言っても、今は、国民年金生活なので、結構な出費に、驚きを隠せなかった。

その為、何処か古民家の売家が出てると、そこを安く買い取り、遊びに来た友人達の宿泊所にしたいと、探し求めていた。

島にも、多くの友人が出来、移住して3年経ったある日、友人の1人から電話があり、「峰岸さん、アンタ前に言うてた空き家、まだ要る?」

「えっ、あぁ、勿論要るよ。」

「それやったら、ここからチョット離れとって、古いんやけど、売りたい言う家が有るんやけど、どう?」

「そう?分かったわ。それやったら見せて貰いに行ってもええかなぁ?」

「分かった。丁度息子さんが帰って来てる、言うから、連絡してみるわ。」

そう言って、その場で連絡してくれた。

どうやら、その息子さんのおばあちゃんが住んでた家で、そのおばあちゃんも、もう亡くなって、7年くらい空き家になってて、息子さんも、都会に住んでいて、この家は、管理も出来なく必要無いので、売りたいと言う事だった。

そこは、昭の自宅から車で20分位のところで、裏が海岸で、平屋建てで、部屋が6部屋の家だった。

前面には、車が2台くらい停められる駐車場になっていて、65年前の木造住宅だけど、手直しすれば、何とかなる様子だった。

金額も安くしてくれたので、昭と華の2人は即購入する事にして、次の日から、その家の片付けをするようになり、忙しい日々が続くようになった。


4月から古民家のリノベーションに踏み切った昭と華は、まず、家の中の物を片付ける作業に入った。

早朝6時から、弁当を作って、昼ごはんを食べる時間も15分くらいで、休憩もしないで、次の作業に入る。

田舎の売却古民家は、殆どが、今まで生活していたかのように、全ての家財道具や、衣類、食器など、全ての物が、そのままの状態で、残されている。

全ての物を軽トラックに乗せて、ゴミ処理施設に運んだ。

何と、その回数、17回。

全て捨て去るのに、12万円の費用が掛かった。

2人には2人のアイデアがあるので、業者に頼まず、全て自分達で完成させるのが夢だった。

先ずは、玄関を入った所に、左手に縁側への廊下と、正面の廊下、その隣には、引き戸があり、その引き戸を引くと、10畳ほどの応接間が現れた。

その壁の奥には、6畳ほどのキッチンが有り、そのキッチンに行くためには、一度、応接間の廊下側の引き戸を開けて、隣りのドアを開けなければ、キッチンに行けない。

不便な作りに、2人の意見は一致して、この際、応接間の仕切りの壁を取り払い、16畳の1部屋にしようと、仕切りの壁を取り払う事にした。

よくよく見ると、応接間とキッチンの間に、1本の柱が立っている。

屋根裏に上がって見てみると、その柱は、屋根の枠組みまで繋がっていた。

「コリャアこれを外したら、天井が崩れるぞ。これは、外せんわ。」「そう?仕方ないわよねー。そしたら、この柱は残して、あとの壁と要らない柱は退けようよ。」華も、仕方なく納得して、電動鋸で余分な柱を2本取り去った。

古い建物なので、全ての壁が土壁で、中に竹組がされていて、簡単な作業では無かったが、極力、外した柱や、材木は、再利用する為に丁寧に取り外し、保管しながらの作業を始めた。

業者に頼むと、結構な金額になるので、その分、必要な機械を購入した。

機械は、テーブル丸鋸、電動自動送りカンナ、ベルトサンダー、エアーコンプレッサー、エアータッカー、グラインダーなど。

必要な物は、その都度、島にあるホームセンターや、ネットで購入した。


次に天井が低いので、高くする為に、天井の板を全て取り払う作業。

テレビでは、リフォームの番組などでよく見る、天井を、皆んなで下から引っ張り、簡単に外す画面は見た事が有るけど、その最初のやり方が分からない。

そこで、他の島にも、昭より先に移住して、自分でリフォームした人がいると聞いたので、その人が住んでいる、大三島の自宅を訪ねた。

「こんにちは、先ほどお電話した峰岸です。」そう言うと、家の奥から、ノッシノッシと、口髭を生やした大男が現れた。

「あぁ、こんにちは。山田です。」そう言ってお互い顔を見合わせると、どちらからともなく「なんや、鏡見てるみたいで、ソックリやな?兄弟みたいやわ。」

確かに、お互いに口髭を生やして、物怖じするような様子も無く、声も大きく、笑い方もガサツで、瓜二つで、いきなり、意気投合した。天井の外し方が、分からんので、聞きに来た。と言うと、山田さんがいきなり、「よっしゃ、今から現場へ行こう。」そう言って、昭の後をついて来てくれた。

家に入った途端に、「峰岸さん、多分これ釣天井やと思うけん、チョット天井壊すわ。釣天井やったら、何本かの細い棒で、屋根の梁から吊ってるだけやから、直ぐ分かると思うわ。」そう言いながら、天井の、ジプトンと言う飾り板を4枚、L字の釘抜きで、叩き壊して、脚立に登って天井裏を覗いた。

「やっぱりや。これだったら簡単やわ。そしたら取り敢えず、このジプトン、全部、叩き落として、屋根裏が見えるようにしよう。」そう言って、昭、華、山田さん夫婦で、ジプトンを全て叩き落とすと、屋根裏が、そっくり見えるようになった。

「よっしゃ、今度は峰岸さん、チェンソーで、周りの横木の細い柱を全部切って。」と言われたので、縦横の梁という柱全てに、チェンソーで切り込みを入れた。

「次に、落としたい方の吊ってる棒を全部切り込みを入れて、残りを3本くらい残しといて。」と言われたので、奥の棒を3本だけ残して、あとの棒は全て切り込みを入れた。

「よっしゃ。こここらが、テレビでやってる、天井を落とすシーンや。皆んなで、セーノーで、いっぺんに引き落とすで。」そう言って、4人全員が横に並んで、山田さんの掛け声「セーノー、ソレッ」と言う声と共に、思いっきり下に引き落とすと、メキメキメキ、と言う音と共に、天井が剥がれ落ちた。

辺りは、65年の間の埃で、モウモウとしていたが、全員一斉に拍手をして、テレビと同じ場面の上の屋根裏を見上げた。

昔の家の作りは、簡単で、天井を外すと、その上には、広い空間があり、直ぐ上に瓦を乗せるための板が有るだけで、屋根裏は広々としている。

山田さんが帰った後よくよく見ると、屋根裏には断熱材も何も入っていなくて、その上、屋根と壁の周囲には、空気抜きといって、蒲鉾板の大きめの板を嵌め込んで、周りを囲っている。

それは、夏場の暑い空気を、屋根裏から逃すための工夫らしいけど、古い建物なので、至る所の板が外れて、鳥が自由に出入り出来るようになっていた。

「コリャアいかん、こんなに板がパタンパタン倒れとったら、ここから鳥や蛇が入ってくるぞ。全部、ネジでしゃんと止めなおそう。」そう言って、全ての空気抜きの箇所を、ネジで止め直した。

「あの上も板を貼りたいねえ。」と、いとも簡単に華が、天井を見ながら言うけど、屋根裏を見ると、床から10m位の高さのところに、瓦を乗せる為の天井が見える。「そりゃあ、あそこに板を張れたら隙間風も入らんし、ええけど、あそこまで届く脚立も無いし、命綱にぶら下がっては、ようせんわ。俺が高所恐怖症やと知っとるやろ。」

「そうやねぇ、堕ちたら死んでしまうわ。やめとこ。」

結局、屋根裏はそのままにしておく事に、2人で納得する事にした。


次に、キッチンに冷蔵庫を置くスペースが無いので、さて、どうしよう?と考えた挙句、キッチンの隣に8畳の部屋がある。考えた結果、その8畳の部屋とキッチンの間にある壁を抜いて、キッチンで、切り取った柱を使って、畳2畳ほどの部屋を、8畳の部屋に作って、その分キッチンが広くなった所に、冷蔵庫や、食器類を置けるスペースを作った。

隣の8畳の部屋が狭くなったので、元々有った押し入れの襖を取り払い、そこを2段ベッドに活用して、部屋の中にも新たに2段ベッドを置き、その部屋に4人が寝れるようになった。

その隣の6畳の部屋も、同じように、押し入れをベッドに変えて、新たに2段ベッドを置き、そこにも4人が寝られるように改造した。

玄関から入って左手には、6畳の居間と、隣には9畳の居間が有ったので、古い畳をはぐって見ると、敷板と、敷板の間の隙間がかなり開いていて、下から風がドンドン入って来ていたので、全て取り払い、下を覗くと、床下は直ぐに砂場になっていた。後から聞いた話では、大昔は、この家が建っている敷地までが海岸だったらしく、床下は、砂場で、貝殻や小石がいっぱい転がっていた。そしてその砂の上には大きい石が何個もあり、その上に、家の土台の柱が乗っているだけの作りで、昔の家は全て、そう言う作りで、大きな石の上に家を乗せているだけだと言う事を、その時初めて知った。

「コリャア、下から隙間風が入って、湿気も入って、メチャクチャ身体に悪いわ。よっしゃ、床下全部にビニールを敷いて、湿気が上がらんようにするわ。」

そう言って、昭は、床下全体にビニールを敷き詰めた。

何様、古い建物なので、床下の高さも60cm程で、昭も、中で腹這いになって移動する度に、頭をしこたま打って、痛さの為に、涙を流しながらビニールを敷いて這い上がってくると、華が「どうしたんそれ、頭から血が垂れてるわよ。大丈夫?」と言いながら、慌てて頭を見に来たが、何箇所にも切り傷が有った。

ようやく全ての床に、隙間なく板をビッシリと張り巡らせて、9畳の居間には、ベッドを2つ置いて、寝室に改造した。

これで下から風が吹き込むこともなく、都合10人が寝泊まり出来るようになった。

それから、玄関から上がって直ぐの所が、応接間の引き戸だった所に壁をつくり、半分の高さを、引き戸の窓に作り替えた。

しかし、引き戸のレールの作り方が分からない。

色んな人に、引き戸のレールの作り方を聞くと、「そりゃ、大工さんか建具屋さんが、そう言う溝切りの道具を持っとるけん、そんな人にやってもらわんと無理やわ」と、言われたが、島には知り合いの大工さんも、建具屋さんもいない。

困り果てた昭は、別のドアの引き戸をジーッと見つめていると、ある考えが閃いた。

待てよ?

溝を切ろうとするから道具が必要なので、逆転の発想で、溝を作ったらどうだろう?

つまり、1枚の引き戸の下になる柱に、引き戸が入るだけのスペースを残して、レールになる所の両サイドに、それぞれの高さと厚みの棒を作って、タッカーで撃ち込めば、レールになるんじゃない?そう思い立って、今あるレールの高さと厚みを参考に、両サイドに撃ち付ける棒を、自動送りカンナ機で作り、タッカーで撃ち付けると、立派なレールが完成した。

4月から始めたリフォームも、終盤に入り、8月の暑い日には、キッチンに元々有った流し台を取り壊し、上部のステンレスだけを磨いて、下の台を、食器を置いたり、洗剤を置いたり、包丁を置いたりと、作り直し、立派なキッチンシンクが完成した。

その間、華は、シンクの上部に、自分がネットで選んだ好みのタイルを貼る作業をしていた。

あまりにも無言で黙々と作業をしている華を見て、「オイ、大丈夫か?」と聞くと、華が振り向いて「うん、大丈夫。」と言ったが、その顔は、鬼のように真っ赤で、目が虚になっていた。

「お前、大丈夫じゃ無いやろ。それ、熱中症になっとるんと違うか?」

「そう言えば、チョット、頭が痛いわ。」「アホ、そりゃ熱中症やわ。早よ降りて、ここへ横になり。」

そう言って、慌てて脚立から降ろして、リビングで仰向けに寝かせて、濡れたタオルで頭と首を冷やして、真横から扇風機をかけて、休憩をさせた。

作業をしていると、夢中になり過ぎて、自分の体調のことまで、気が回らなくなっていたのである。

「今日は、この辺にしとこう。」そう言ってその日は早めに家に帰って早くから深い眠りに入った。

次の日の朝も6時から弁当を持って、再びリフォームに取り掛かった。

いよいよリフォームも、最終段階に入り、各部屋と、廊下の壁に塗られている、昔ながらの聚楽壁、いわゆる、キラキラ光る繊維壁を全て取り除き、そこに珪藻土を塗る作業で有る。

繊維壁は、ボロボロ剥がれるし、中に虫が湧くので、一度スプレーで、水を吹きかけ柔らかくして、それをコテで全て剥ぎ取り、乾いてから、珪藻土を塗る作業で有る。

今頃の珪藻土は、簡単で、ネットで見ると、素人でも、そのまま直ぐに塗れる缶が売っているのだが、全ての壁の繊維壁を剥がして珪藻土を塗る作業に2週間費やした。

最後にキッチンに、憧れだった薪ストーブを付ける作業。

これも業者に頼むと、えらい金額が掛かるので、自分達でやるように、ネットで、色々調べながら、壁に穴を開けて煙突を通して、部屋の中の本体の周りには、消防法に乗っ取って耐熱煉瓦を張り巡らせて、完成した。

9月末には、全ての作業が完了して、新しく息を吹き返した古民家が出来上がった。

その事を早速、友人や親戚に知らせると、各方面から多数の知人が泊まりに来て、楽しい日々が始まったが、それでも毎日大勢の友人や、親戚が来るわけでもなく、知り合いが、一巡りすると、ほとんどの日々が空き家になった。

そんな時友人の1人が、

「お前、いっつもタダで泊まらせてもらうのは悪いけん、せめて宿泊費くらい取ってくれよ。そうせんと、我々も来にくいけん、そうしてくれや。」

と言うので、初めのうちは、「そんなんええよ。」とは、言っていたが、それもそうかなぁ?と思い、料金をもらう事にした。

この島には、昔から民宿と言う旅館は有るけれど、2人は、食事を出して、その仕事の為に、一生懸命働く事には抵抗があった。

田舎に、ストレスフリー、自由な暮らしを求めてきたのに、生活の為に毎日を費やす事には抵抗が有った。

しかし、現実に、新しく家を建てたり、古民家を購入したり、リノベーションをしたりと、それまで働いて貯蓄してきた金のほとんどが底をついてきた。

なので、これからの生活は、僅かばかりの国民年金と、食料品は、野菜を作って、自給自足的な生活をして、魚介類は、知り合いになった漁師の人と、野菜との物々交換で、賄えるようになり、肉は?と言えば、年齢と共に、あまり食べなくなってきたので、食費の消費は少なくなってきていた。

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