一.家宝の刀
歩けど歩けど道は前へと進まない。蛇のように長く伸び、どこまでも果てのないように道は続いていた。
「……おかしい」
俺は一人つぶやく。
一度立ち止まり、疲弊し切った足を休息させる。呼吸はまだ乱れてなかったが、灼熱の太陽の下、額から流れる汗をTシャツの裾で拭う。
眼前には雲一つない晴天が広がり、深く青い海が地平線を描いている。遠くにポツポツと小さな島がいくつか目視できる。
だが、俺が焦点としているのは、そのもっと手前だ。目の前に迫る大きな一つの島があった。
白く靄がかかっていて全体像はハッキリしないが、おそらく目指している島のはずだ。
島と言うには少し違うかもしれない。車が一台通れるくらいの細い道が数百メートルに渡り本土と繋がっているのだ。
と、思っていたのだが、そんな短い距離を歩くのに、もうかれこれ一時間は経過しようとしていた。
さすがに、おかしい。いや、おかしいのは俺の頭か。初夏とはいえ、近年の異常気象による炎天下の日差しは真夏のように肌を焼かれる。
これは一旦、引き返して水分補給しなければ熱中症になりかねない。その上で出戻るならば、改めて地図を見直す必要がある。しかし、
「引き返せんのか、これ?」
一時間かけて歩いて来た道だ。当たり前だが、引き返すとなると、また一時間歩く羽目になる。
だがそれよりも脳裏に引っ掛かるのは、前進できないのに後進はできるのか、という点だった。
ただの一本道だが、何か幻惑に惑わされて、袋小路に追い込まれている感覚がする。それもこれも、この灼熱の太陽に頭が茹で上がってるせいで、ただの妄想かもしれないが。
得体の知れない不安を抱えつつも、尻込みなどするものかと、強気で後方を振り返った時だった。
「おーい」
いつの間にか軽トラックが一台、近づいて来ていた。運転席の窓からひょっこり頭を出した、浅黒の顔をした中高年のおじさんがこちらに向かって手を振ってくる。鼻の下にちょびヒゲがあった。
軽トラはゆっくり近づき、俺の前で停止する。横を通り過ぎることもできただろうが、この細道に手すりはない。危険と判断して声を掛けたのだろう。
「何をしてるんだ? こんなところで。まさか、あの島へ行くつもりか?」
「そのまさかだけど……あの、この道って何百メートルあんの? 俺、もう一時間近く歩いてるんだけど、全然進まなくて……おっかしいなぁって」
「何だって? 坊主、もしかして参拝してないのか?」
坊主とは何だと訂正を求めたくなったが、今年高校へ入学するまでは、ケツの青い中坊だった。そんな事よりも、
「参拝って?」
「あぁ、やっぱ何も知らないんだな。この道を渡ってあの島へ行くには、すぐ近くの巳滝神社を参って、そこで頂いたお札を持ってなきゃいけないんだよ」
「何だそれ?」
一体何の話かと、胡散臭い目を向ける俺の視線に、ちょびヒゲおじさんは苦笑しながら答える。
「古くからの言い伝えってやつでな。真相は分かっちゃいないが、何か〝普通ではない島〟だ。そのため、こうしたお祓いを行ってるんだ。俺も半信半疑だったが……こうして、おまえがさ迷ってやがるときたもんだぁ」
「俺にもさっぱりだけど、確かに〝普通じゃない〟な。……その参拝する神社ってどこにあんの? 引き返すのは可能だよな?」
「この細道に入る手前に建つ小さな神社だよ。んー良かったら一緒に乗ってってみるか? おじさんも通るたびに参拝してるワケじゃないんだ。車にお札を貼ってるんだよ。もしかしたら、この車でならおまえも一緒に島を渡れるかもしれない」
「その話、乗った!」
と、助手席のドアを開いて中へ入り座る。何でもいいからとりあえず腰を下ろして休憩がしたかった。そして案の定、車内は冷房が効いてあって、蒸した頭が冷やされ天国だった。
運転席から降りたちょびヒゲおじさんは、荷台から何かを持って来て「ほら」と差し出してくる。ペットボトル入りのミネラルウォーターだった。
「うぉーありがと、おじさん!」
「残念なことに、冷えてはいないがな」
それでも乾いたのどが歓喜する。ゴクゴクと一気に飲み干した。
「プハーッ」
と、水を得た魚のように生き返る。
「坊主、いくつだ? 名前はなんて言う?」
「……俺、一応、高校生になったばっかだ。蛇功って、変なキラキラネームだよ」
「蛇功か、いい名じゃないか。いやぁ、悪かった。小柄だったもんでな。なぁに、おじさんも高校に入ってグンと背が伸びたから、心配すんな」
大人の説教などというのは、大体が自身の失敗談に基づいているものだが、ちょびヒゲおじさんの高校生から背が伸びたとう体験談は、そのまま信じよう。
「島の人も御札が必要なのか? おじさんは何の用なワケ?」
軽トラの荷台にはどうやらミネラルウォーターやパンなどの食料が積まれているようだ。積まれた段ボール箱にそう印字されている。
「島の人には必要ない。もっとも彼らは島からあまり出ない習性を持って暮らしているけどな。俺は荷物運搬業者だよ。おまえこそ、何だ? あの島に一体、何の用だ? こんな時に限って……」
こんな時とはどうゆう時か。言葉尻を気にしつつ、少しためらったのち話す。ちょびヒゲおじさんは信用できると直感して。
「ちょっと、この棒切れを島に納めに行かなきゃいけないんだ」
「それ、竹刀か?」
その棒切れとは、竹刀袋に入れられてあった。実際には竹刀ではなく――日本刀だ。こんな物を持ち歩くなど、銃刀法違反になる。なので、竹刀ということにして、軽々しく扱ってみせているものの、ずっしりと重厚で重い。つまり、そんな物を持って一時間も歩いていたワケである。
何故、こんな物を持って得体の知れない島へと向かっているかは、俺が一番聞きたいところだ。
「なんか、家宝らしくて、先日亡くなった祖父の遺言なんだ。……まぁ、仕方ないけど、損な役目を押し付けられたもんだ」
ホント、ため息が漏れる。曾祖父の時代からある物らしいが、百年近く押し入れの奥に眠っていた。本来、祖父が継承した際に納めれば良かったのではないかと思うけれど、この刀にとある問題があり、祖父でも父親でもなく、ひ孫の俺が継承した。
「そうか、確かに島に神社があったな。っと、見えてきたぞ」
軽トラは順調に走り、あっという間に島の入り口へと辿り着いた。