水玉模様のワンピースの少女(1)
「思えば普通は有得ないことだったのです。私はただのしがないサラリーマンなのです。私は営業職でしてほぼ八割方の勤務時間は外回りです。今日も脚を使い汗をかいていました。なんのかんのいっても退職せずにこの日までやってこれたので、この家業には適正は有るのかもしれません。まあこんなことを言っても、学生の貴女には分からないかもしれませんね。」
そう言って彼は姿勢を整えた。恐らく自宅は洋室がメインなのだろう。明らかに彼は座布団に胡座をかいているだけでも疲労している。おまけに少々苛立っている様にも見受けられる。恐らく彼は喫煙者なのだろう。シャツの前ポケットが膨らんでいる事がそれを推測される。彼女に気を使って煙草は控えているようである。そして気も弱いときてる。喫煙の了承を言い出せないでいるのだった。彼の目の前にはセーラー服の少女が正座している。彼女は寡黙で相槌さえも打ってくれないが、男は心配していない。間違いなくセーラー服の少女は彼の話をきちんと聞いている。それは彼女から滲み出る雰囲気と、真剣な眼差しから明らかなのである。男は話を続けた。
「いつも通りに営業の外回り。私は真夏の炎天下の中、上着を抱えて汗だくで歩いていました。そしていつも休憩している公園の自販機で冷たいお茶を購入したのです。さあ、ゆっくり腰掛けようか。でも普段から座っているベンチには先客がいたのです。水玉模様のワンピースを着た女の子でした。勿論そこは公共の場であり彼女が逐一私に断りを入れる必要性もないし、私が彼女を咎める権利などは持ち合わせていないのです。だから私は諦めて別の場を求めるべく歩きだそうとしたのですが、しかし。」
「ふう。」
男はお茶をすすり呼吸を整えた。どうやらここからが話の本題の様なのである。相変わらず向かい合うセーラー服の少女は黙りこくっているが、きちんと男の話は聞いてくれている様子だ。
「まあ、ここからは少々お恥ずかしいお話なのですが。」
自分からみたら娘位の年頃の少女に話にくい内容なのであろうか。そうであっても、この場の雰囲気から察するに話すべきであろう。そう男はそう感じて話の続きに入った。
「視線を感じたわけなんです。自分が場所を変えようとしたときに。その視線の主は、そのベンチに座っている先程言った水玉模様のワンピースの少女でした。そりゃあ思いましたよ。自分の気のせいだって。」
男は頭をカリカリと掻いた。照れ臭いのだろう。
「だから私はまたそのまま歩きだそうとしましたよ。でも。繋ぎ止めるような力を感じたんです。視線、いや最早そんなものではありません。何というか、私が思いつく言葉では念、とでも言えましょうか。私の思い上がりと言われれば、帰る言葉もありませんが。
言葉には力が入っている。どうやら男は自分の意思ではないことを強調しているようである。男は「フウ」と溜め息をついた。
「まるでフワフワと私の体は宙に浮くような感覚に襲われたのです。でも、その見えない力に逆らおうという考えは起こりませんでした。なんとなくですがそれは悪いモノとは思えなかったのです。気がつけば私はいつものベンチに、その少女と並んで座っていました。そりゃあ私も平常心ではいられませんよ。自分と親子ほども歳の離れた、しかも初対面の女の子とベンチに並んで座っているのですから。しかも彼女との距離は近いのです。どれくらいかって?私と女の子の袖同士が触れあうのです。あわや肌の感触を感じられるのではないか、と・・・!」
男はハッとした顔をしていた。どうやら興奮して語る自分に気がついて我に返ったのだろう。そんな自分自身のみっともなさを恥じてなのか、彼は胡坐から正座へと姿勢を変化させたのだった。そんな彼をみてもセーラー服の少女は動じない。むしろ話に興味を示しはじめた雰囲気を出している。
「ふう。」
男は意を決した風な溜め息をついた。ここまで語ったのである。最後まで自身の体験を明らかにする義務があると思っているのだろうか。
「心地が良いのですよ。彼女といると。それは本当に営業活動という砂漠を彷徨う自分が出会ったオアシスなのです。その日はお互いに一言も交わさずにその場を去りました。再び過酷な営業に戻りましたが、何かが変わりました。それはリフレッシュされたというレベルではありませんでした。消えかかっていた私の心の灯火が復活したのです。だからその感覚に素直に従ったのです。恐らくその事は正しかったのではないか、と思います。彼女に寄り添う事で心のみならず、体力も回復していると感じるのです。私はこの少女抜きでは生きていけなくなりました。もう彼女とベンチに腰掛けるのが日課となってしまったのです。しかし・・・。」
男はそこで間をおいたのである。それはこれまでの話から異なる展開が待ち受けている事を意味していた。
「お煙草よろしいですよ。」
そういうや否やセーラー服の少女は男の目の前に金属製の灰皿を差し出した。これまでも非常に寡黙な少女からは想像できない意外な対応に、いささか男は救われた気分になったのだろうか。初めてこの場で彼はニコッと笑顔を見せたのであった。
<続く>