光合成計画
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
君は春といったら、どんな色のイメージがある?
桜色? 菜の花の黄色? 青藤の色?
――お、そうだね、緑色とかもそうかな。
緑は夏にかけても使える、万能的な色のひとつだ。
空や海に使われる青や赤に並んで、自然あるところでは、まず共通で認識されるだろう色合いだ。人によって思い浮かべる風景は様々だろう。
そいつはつまり、占める領地が広いということだ。戦国時代の大名をとっても、領地の広さは石高の多さにつなげやすい。きっちり開発を進めているのならば、だけど。
石高が多ければ、力がつくのも自然なこと。広い領域を占める色に出くわしたら、ちょこっと僕たちも気をつかった方がいい局面もあるかもしれない。
昔の話なんだけどね、聞いてみないかい?
小学校に通っていたある日のこと。
あくびしながら教室へ入った僕は、とたんにそれをのどの奥へ引っ込めてしまった。
やたら緑色。髪の長い女子は緑色のリボンで結っているし、ブラウスとか着ている女子も、濃淡の差はあれ、緑色のリボンでくくっている。
目をぱちくりさせながら、男子の方を見ていくと、女子ほどは目立たないが、トレーナーのワンポイントとかに、やはり緑色のマークなどがちらほら。
そして僕自身も、目を留めたクラスメートが二度見、三度見してくる。
今日の僕が着る服に、緑っぽい要素は皆無だ。よっぽどおかしいのか、席に着く前から「緑色のものはないのか?」と尋ねてくる始末。
はあ? と思いながらカバンをあさり、出てきたハサミのケースが明るい黄緑色。それを認めると、相手は「肌身離さず持っとけ」と命令さえしてくる始末だ。
なんの遊びだ? と聞きなおすと「こいつは遊びじゃない」と、これまた自意識がでかくなったような言葉を返してくる。はいはい、と思いながら、すねられても面倒なので、先を促してやる。
光合成計画、とクラスメートは話してくれた。
光源氏の間違いじゃねえの? といったら、ぺしりと頭をはたかれたうえで、話が続く。
植物が光合成で栄養を得られるのに、人間が同じことをできないのはおかしい。そのようなことをクラスメートは言い始めた。
光合成をする葉っぱは、そのことごとくが緑色だ。ならばわれわれ人間も、緑色に染まるなら光合成できるんじゃないかと考えて、このように緑だらけなのだと。
おバカな過激派ほど、やっかいなものはない。
そもそも葉緑体はどうした、というところから始まる理詰めの説得を試みたのだけど、クラスメートたちはそれらを、詭弁だ妄言だと叩き潰しにかかってきて、多勢に無勢だ。
――お前らのほうが、妄言極まりないよ。
数の暴力は、かくも面倒くさい。どうせ熱病のようなものだろと、僕は適当に話を切り上げて、せっせと授業の準備に取り掛かった。
休み時間をむかえるたび、その緑装備の連中は、カーテンを開いた窓際に並んだり、グラウンドに出たりして、積極的に光を浴びていったのさ。
廊下の流しからも、いっせいに蛇口をひねる気配がある。水を飲んでいるらしかった。
いったい、いつからこんなことになったのか。僕だけ伝わっていないのか。
尋ねると、ちょうど僕が家の用事で休まざるを得なかった数日前に決まったのだという。
――仲間外れにされてる?
時間があったにもかかわらず、一切の働きかけがないあたり、いじめの線を感じさえしてしまう。
しかし、彼らはしきりと僕へ緑を推してくるし、ないがしろにしようというわけでもないらしい。いちおう緑のハンカチなどは用意し、彼らにいわれたらすぐ出せるようにしているが、どうにも彼らは不満らしかった。
どうやら、じかに身に着ける服や装飾でないと、彼らはご機嫌やや斜めといったところ。
実際、彼ら自身も柄などから別物を用意しているらしいが、やはり服装のどこかしらに緑色が。
それだけならまだ、長引く病気だな程度で済んだのだけど。
忘れ物をして、放課後すぐに外から戻ってきたときのことだ。
教室のドアをくぐると、さっと僕のロッカーから不自然に離れる、クラスメートの姿が。
教室後ろにある、横穴を積んだかのような形状のロッカー。僕のスペースは廊下から一番奥の、掃除用具入れの隣だ。
残っていたのは彼だけで、僕と目を合わせずに自分の席に置いてあったランドセルを手に取ると、そそくさ教室を後にする。
あきらかな逃げだ。
立ち去るのを無言で見届けてから、僕はそっと自分のロッカーの中身を見る。この中にあるのは図工で使う絵の具セットや、家庭科の裁縫箱。そして体育で着替える、体操着入れ。
体操着入れの口元が、僕が最後に触ったときに比べ、緩み気味だ。さっと取り出し、中身を改めてぞっとしたね。
体操着の内側、肌にほど近く接するところ。
その背面部分が、反対側へ移らない程度に薄い緑色を塗りたくされていたんだからね。
さすがにこいつは行き過ぎだと、その日の夜に親へ相談したよ。
母親は気味悪がるばかりだったけど、途中で帰ってきた父親は、どうもこの緑染めに心当たりがあるのだとか。
事情を尋ねられて、例の光合成計画とのたまっていたことを話すと、なお表情を苦いものにした。
「またあいつ、生えてきてんのか」
いかにも事情を知っている様子。
僕は父親から、その計画の実情を聞いたんだ。そして、そいつは子供の前しか姿を見せないから、お前が始末をつけろ、とも。
翌日。僕は校門が開く時間に合わせて、誰よりも早く登校した。
「ひとまず確認だ。その緑色の体操着をつけてみろ。ただのいたずらなら、それだけでなにも感じないはずだ」
そっと、体操着を羽織ってみる。
とたん、先ほどまで感じていなかったのどの渇きを僕は覚えた。のみならず、足元がふらついたかと思うと、一瞬だけ意識が飛びそうになる。
こいつが脱水症状ってやつか? と僕はあわてて体操着を脱ぎ捨て、廊下の流しへ飛びついた。
二口、三口とたっぷり水をほおばっては飲み下して、僕は父親の言葉を反芻する。
どうやら恐れていた事態だったらしい、と。
「確証が持てたら、その日の放課後。人がはけるまで待て。
大勢いる中じゃ渇きが分散するし、自由な行動もとりづらい。のらりくらりと過ごして、身軽になるのを待つんだ」
その日もまた、流しを利用する人が多数いた。
一人ひとりの渇きは大したことないかもだが、やたらまとまって利用することが多いのは、その分散のためらしい。
僕は体育の時間も、気づいていない風をよそおって、件の体操着を着た。朝ほどではないが、やはりのどがどんどんと渇くのを感じる。
だがそれ以上に寒気がしたのは、ここのところ疎ましさを覚えるほどのみんなの視線が、体操着をまとっている間は、あからさまに緩んでいたということだ。
放課後。
みんながおおよそ帰るのを待って、僕は行動を起こす。
学校の裏手、近辺の原っぱ。春を迎えて、緑茂る草原の中で僕はお目当ての虫を探す。
「いいのはバッタやカマキリだ。元から緑色の奴なら、なおよし。少しかわいそうなことになるけどな」
僕は手に、あの緑色に汚された体操着を広げている。
身をかがめながら練り歩き、とうとう僕はバッタとカマキリをセットで見つける。
はねるバッタに、それを追うカマキリ。狩る側としては情けない失態を演じたところだろうか、それでも名誉を挽回する機会は与えられない。
僕はレジャーシートのごとく、ぱさりと彼らに体操着をかぶせてしまう。
すっかり隠れたのを見て、僕はランドセルから新聞紙に包んでいた、小さいスコップを取り出しながら、耳を澄ませる。
ほどなくして、僕の鼻でする呼吸とは別に。肩でするような荒くて苦しげな呼吸音が聞こえてきたんだ。
いまバッタたちをとらえている地点とは、点対称にあたる一角。その音源へととと、と近寄っていく僕は、また何度か耳を澄ませて源を探る。
一歩、半歩と微調整をしながら、つんとつま先にぶつかるもの。
根がからんできたとかじゃない。あきらかに形あるもののさえぎりだ。僕は草たちをかきわけ、靴のあたりをあらわにしてみる。
当時の知識で当てはまるのは、百合の球根だ。ただし、ふくらみが僕の頭部に匹敵するほどの大きさの。
見下ろす僕にも分かるほど、大きく拍動していくふくらみ。その身は草に溶け込むような緑であり、なお耳を近づけると、人が嚥下するのと変わりない音が断続的に響いてくる。
それが父親のいう、最後の判断基準。
僕はシャベルの葉を、その球根へ突き立てた。
ほんのミリ単位の差し入れなのに、そこからどっと水があふれ出る。その勢いはすさまじく、たちまち僕の靴を半分以上沈めかけて、なお緩む気配なし。
すぐさま撤退する僕は、体操着を回収。その下にいるバッタとカマキリが、ともに何日も炎天下に置いたように、干からびてしまっているのを見て、その場を後にしたんだ。
翌日から、みんなが緑にこだわることは、はたとなくなってしまう。その緑づくしだったことも、当人たちの記憶じゃあいまいなことらしい。
そして例の野原の一角は、雨が降ったわけでもないのに盛大な水たまりが広がったままになっていたんだ。
父親いわく、自分が子供のときにもじいちゃんから対策を教わったらしい。
じいちゃんの話だと、光合成計画というのは、あの球根に似た生き物が水を吸い取る生物へ語らせる、言い訳なのだという。
「人間の体の命令も電気信号に過ぎないからな。それをちょちょいといじれるなら、言葉や動作を操ることもたやすいだろう」
そうして、緑を身に着けるターゲットたち――主に人間の子供――から、水分を巻き上げるわけだ。昔は運動中に水分をとることを非推奨していたこともあいまって、脱水症状に倒れる子も多かったらしい。
そのぶん、奴らは苦めな虫の養分を苦手とするらしく、ちょっと口にすれば呼吸が乱れる。
そこを探り、引導を渡してやることで縛りから逃れられるだろう、とね。