母との距離感
次の日からの学校は地獄のようでした。
勿論A達は話してこない。
茶化してた子達は挨拶はしてくれるものの、少し壁を作っているようでした。
大声で、悪口を言われることになりました。
シンプルなものです。
あれで嫌なら学校来なきゃいいのに
あ!話しかけたらまたすぐ先生にチクられるよ!
チクリ魔!!
嘘をついたのは私です。
謝らせたのも私です。
当たり前なのはわかってても苦痛でしかありませんでした。
ここから私は1人で過ごすことに慣れてきました。
ただ段々と笑うことが無くなりました。
笑うこともありませんでしたから当然です。
図書室だけが、私の幸せでした。
もう学校を休む訳にはいかない。
この場に馴れるしかないとそう思って過ごしてきました。
ただその頃の変化は家で起こりました。
おかんがいないと不安で仕方なくなった時期があったのです。
学校のことを話すわけでもありません。
ただこの頃あまりおとんが早く帰ってきてなかってので、ご飯を食べて、ドラマを見て、リビングにいることが増えてなのか
私にはお母さんしかいない、そう思っていたのだと思います。
当時は気付いてませんでした。
ただ私が小学4~5年、弟も小学校に入ったのでおかんが同窓会や友達と夜ご飯に行く、コンサートに行くから1泊することもあって
寝る時に近くにおかんがいないことが怖くて怖くて不安で、そのときは夜にずっと泣いていました。
おとんが心配で何言っても泣き止まないから、電話で早く帰ってくるようにと催促してたのも覚えてます。
申し訳ないことをしたなあ…
おかんはこのとき、私に何が起きてるのかわからなくて辛かったそうです。
どうしたのか聞いてもずっと泣いてたみたいです。
泣いたのは覚えていますが私もよく覚えてません。
ただきっと、唯一の味方だと思っている人がいないのが
1人きりだと思って怖かったのだと思います。
最近はないですが、私が親元を離れた後このように泣いた私がお母さん助けて、お母さんっていう夢を見てたそうでその度に大丈夫?て電話きてました。
大体そのときなんもないし出勤最中だけどwwてときもありましたが
それだけ印象あったのでしょうね。
思い出しただけで何故か泣けてきます、今でも。
ただこれは自分なりのSOSだったというのが、今は分かります。