絶対に分かり合えないことを、分かり合う
昨年度、僕は町内の組長を務めた。
面倒臭せえ。はた迷惑。マジだりー。本音の部分では、誰だって、僕だって、気持ちは同じでやんす。
んが、順番に回ってくる役なので、断る理由も無く、快く受けた。
その時期妻は、次女の保護者会の会長という大役を光栄にもクジで引き当ててしまい、ヘロヘロになっていたので、町内会の方は僕が務めることにした。
昨年の春、はじめて町内会の会合に出席をした。
うちの町内会では、各組長に事前に役を振り分け指名しておくのが通例らしく、僕は婦人部の平役員に勝手に配属されていた。
「ふ、婦人部って、僕、男っすけど、いいすっか?」
町内会の顧問的ご老人に訊ねた。
「いいんだよ。盆踊りの準備やら、何かと男手がいるんだ」
マジっすか。
ところが、その後、副部長を任命されていたご婦人が、御御足の調子がよくないとの理由で、その場で役を辞退された。
また、部長を任命されていたご婦人は「今日ここに座っていればいいと言われたから来たのよ! 婦人部長だなんて聞いていない! 騙された!」とぎゃーぎゃー文句を言い出す始末。
会場に重い空気が流れた。
それを見かねた顧問的ご老人が、僕に向かい「君は若いんだから、ね、頼むよ、若いんだから、分かるね、だって若いんだから」とひたすらお願いしてきた。
結局断り切れず、あれよあれよという間に、ヒゲづら下げてハゲずら下げて「婦人部長」という大役を仰せつかることになってしまった。とほほ。
なんか最近は、町内会や自治会や保護者会に入会しない人が多いらしいっすね。
実際に、うちの町内にもそういったご家族は、ちらほらいます。
まあ、強制ではないですからね、人それぞれですね。
うちはってえと、町内の行事には全て参加していますよ、適正な間合いを測りながらね。
ご近所付き合いの秘訣は、間合いを見切ることなり。
身近な人だからこそ、適正な距離を保ち、ある一線から内側には絶対に立ち入らせない。
ご近所さんのタイプに応じて、この一足一刀の一線がどこかを見切ることが出来れば、無駄な攻防戦に発展することなく、それなりの関係を継続出来ます。
例えば、近所の公園の掃除でも、うちは無遅刻無欠勤、皆勤賞です。
町内では、僕はちょ~若僧なので、誰よりも積極的に重いゴミ袋を運んだり、虫の多い人の嫌がる場所を掃除したりします。
掃除が終わると、町内会費から飲み物が支給されるのですが、皆さんどなたも積まれたジュースの山に最初に手を出すのを遠慮するので、いつも僕が、率先して好きなジュースに手を出して、ばきばきとキャップを外し、大声で「いただきやーす!」叫んで、その場でグビグビ飲んじゃいます。
その後、ご近所さんが雑談がてら、ジュースをぼちぼち手にしはじめるのを尻目に、「お疲れさまでしたー!」と満面の笑みで挨拶をして、とっとと帰ってきちゃう。
間合い! 間合い!
どうしても好きになれない人もいます。すみませんです。
でも、その方々が、自分の生活の過度のストレスになることは、まったく無い。
性格というか、性分というか、自分をネガへと導く人に、まるで興味が湧かないのです。
関わっている時間が惜しい。傷付くのも、腹を立てるのも、相手を憎悪するのも、その労力がもったいない。これは恐らく僕が人として完全に欠落している部分、ある種サイコパスな部分なのでしょうけれど、まあ、所詮この程度の人間です。まあ、そういうことです。
従って、一秒たりとも相手にしない。
即刻、ブロックユーザ設定、作動。
秒で、ミュートユーザ設定、ポチッとな。
月並みな意見ですが、「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」。
「嫌い」は「好き」の亜種です。
実は表裏一体の感情なのです。
そして、「嫌い」は時に「好き」以上に、その相手への執着心を抱かせるからタチが悪い。
自分をネガへと導く人に、絶対に関わってはならない。
一秒たりとも、心を揺さぶられる筋合いはない。
この人とは、未来永劫絶対に分かり合うことは不可能であろう。
周囲を見渡せば、実際そんな人ばかり。
でも、その現実を、お互いが十分理解し合っていれば、どんなご近所さんとでも、意外と共存の糸口は見出せるもんだ。
と、個人的には、陽気に、アッパラパーに思っています。
絶対に分かり合えないことを、分かり合う。
ひょっとしたら、これは、ご近所付き合いに限らず、家庭、学校、職場、SNS、はたまた他国とのお付き合いに至るまで、
全ての人間関係に通じる、共存の糸口ではないかと思うのです。