表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

指輪と星

親友に会いに行く。

「三つの願いが叶う」恐ろしい指輪を手に。

自分の死が確定する前に。


なお世界観・時代背景は、19世紀のロンドン近郊くらいですかね。ざっと二百年前。

でも、工場の煤煙、長時間の過酷な労働、低賃金、子供の労働者…今でも世界にある事象です。


今進行中のあの侵略戦争も、やり口とか方向とか、百年程度前の、なんですけど。

たった一つ、違うものが、彼の手の中にある。

 風は弱く、夜空は白くにごったままだ。星ひとつ、月光一筋ない空がもう何年続いているのか。それともほんの数箇月なのか。

 町の真ん中に建った工場は、朝も晩も黒い煙を吐き続け、青空を汚し太陽を隠し夜空の光も塗り潰してしまった。

 ぼくらはまだ星空や満月の明るさを覚えているけれど、年少の子たちはもう本物の星を見たことがない。星座版やプラネタリウムで見るのが精一杯になるだろう。もしかしたら、星とか月とか、そんな言葉さえ忘れる日もそう遠くないのかもしれない。

 工場がすべて悪いというわけじゃない。

 工場ができて町が豊かになったのも本当だ。ぼくの一家も工場で働いている。友達の家だってそうだ。日々のパンは少し大きくなり、食卓の皿は一品増えた。おなかを空かして眠る夜もなくなった。工場は確かに、ぼくらに幸せを分けてくれている。

 でも。

 でも。


 遠くに見慣れた色のランプ。かむるの家だ。

 かむるの家は峠の宿屋だ。町へ行くには結構な道のりになるので、峠越えの人々が多く食事とベッドを求めてやってくる。おかげで繁盛しているが、その分かむる達こどもは苦労しているようだ。

 戸を叩くと、かむるが顔を出した。

 かむるの肩越しに室内が見える。宿のほうはいつもと同じく繁盛していて、おばさんがテーブルの間を軽やかに飛び回っていた。少し大きくなったかむるの妹たちがそれを手伝っている。かむるは今夜は子守の番らしい。背中に、今年生まれた弟を背負っている。

「こんな遅くに、どうしたのさ」

 ちょっと驚いたふうにかむるが目を円くした。

 お別れを言いに来た。

 言おうと思った。

 言えなかった。

 なんて言おう、なんて話そう。

 ぼくが今夜いなくなるなんて。魔法の指輪のちからを借りて、きみに逢いに来たなんて。

 かむるは信じてくれるだろうか。驚くだろうか。

 悲しんでくれるだろうか。

 ああ、きっと。

 でも、今言うのは残酷だと思った。

 どうせすぐ分かる。でも。

 いま、言えない。

 ぼくが言えない。

 んーん、とぼくはごまかした。

「明日、学校行くよな」

「あした? 学校で何かあるのかい」

「別にないけど。ただなんとなく」

 いくよ、とかむるは答えた。

 よかった。

 ほんの少し、よかったと思った。

 ぼくがいなくなったことを、かむるはひとりで聞かなくて済む。

「かむる。あのさ、あの」

 言いかけて、自分が何を言いたいのかわからないことに気づいた。

 確かになにか、とてもたくさんあった気がしていたのに。胸がはちきれるほどににたくさんあったはずなのに。全部全部、炭酸の泡のように弾けて散ってしまうのだ。喉を通らず消えてしまうのだ。

 黙ってしまったぼくを、けれどかむるは急かさなかった。ぼくの言葉を、黙って待っていてくれた。

 だから。


「そうだ。今ひとつ、たった一つだけどんな願いでも叶うとしたら、どんなことを願う?」

 だから願おう。君のために。

 ぼくのだいじな君のために。

 一つだけ? とかむるは鸚鵡(おうむ)返しに訊き返し、ちょっとの間首を(ひね)っていたけれど。

「星」

 そう答えた。

「星をね、見せてやりたい。弟たちも妹たちも、ほとんど星を覚えていないんだよ。

 それにぼくも見たいんだ。ほら、工場の建つ前の最後の冬に見たオリオン座。脇で光る大きな星はシリウス。寒いのにずっと空ばかり見上げて」

 そうだね。そのあと二人とも風邪を引いて、ぼくが三日、かむるが一週間休んだんだ。

 なんて遠い走馬灯。春も夏も秋も冬も、変わりはしないと、いつまでも巡ってくるのだと信じていた。

 信じていたのに。

 気づいたときには、いつも手遅れ。


 あした学校に来いよ。震える声を押さえて、ぼくはかむるの目を見ながら言った。

 行くよ、とかむる。

「じゃあな」

 ぼくは自転車にまたがった。

「また明日」

 かむるは戸口で、弟をおんぶしたまま手を振った。

 明日は、ない。

「……さよなら」

 ようやく、言えた。

「ばに!」

 かむるが急に、不安そうな声でぼくを呼んだ。だけどぼくは振り向かなかった。


 ぼくは自転車を漕いだ。幻の自転車のペダルを踏み抜くほどに漕ぎ続けた。宿の光が、かむるの姿があっというまに遠ざかる。

 さよなら。さよなら。さよなら。

 不思議と、涙は出なかった。

 喪うのはぼくじゃない。

 喪われるのがぼくなだけ。

 悲しむのはぼくじゃない。

 悲しませるのがぼくなだけ。

 だからせめて。

 指輪よ叶えろ。これが最後のひとつ。

 自身のために他人のために、そんなことは関係ない。黒小人の思惑なんて知ったことじゃない。あの光の柱だって、光れるものなら光ってみろ。

 ぼくは願う。

 どうか今夜だけでも。

 かむるや、かむるのかあさん、弟や妹、町中のみんなが、きれいな星空を見ることができますように。

 きらめく星々を見られますように。

 どうか。

 どうか。


 ポケットのなかで指輪が光る。小さく何かを(ささや)いている。

 目の前が徐々に白くなる。白い光が天から溢れてくる。

 不思議と怖くはなかった。

 さよなら。

 さよならかむる。

 さよならみんな。

 さよならぼくの好きだったひとたち。そしてぼくを好きだったひとたち。

 指輪がポケットから飛び出す。それは星色に輝いて、くるくる回りながら空に昇っていった。

 黒小人は喜ぶかしら。それとも、たいしたことないと放り出すかしら。

 そんなことはもう、どうでもいいけれど。

 とりあえずかむる。君にあえて良かった。

 さいごに。

 ありがとう。


 おやすみなさい。


                       <Fin.> 


水に落ちた少年と、後で知らされる彼の親友。

そのセットで一番有名なのは「銀河鉄道の夜」です。

お名前は、そこからいただきました。

ここに辿り着き今更「知らない」「読んでない」なんて人はいないと思いますが。

どうぞこの機会に、もう一度、本を手にしてください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ