妹と友達にラブコメ補正なんか働かない2
「あ、お兄ちゃん」
「は?」
そこに、突然声がかかった。
美咲が勉強のし過ぎで狂った……。ってんなわけないですよね。
俺らが声のした方を振り向くと、そこにはセミロングの髪を後ろでシニヨンにまとめ、夏用の半袖ジャージは肩までまくる俺の妹、木下千春が手を振りながらこちらに駆け寄ってくる姿があった。小麦色に焼けた肌は、日々明るいうちからこの時間まで部活にいそしんでいたことを伺わせる。
エナメルバッグには、SOCCER CLUBと書かれている。全国常連だとかで、とても強いらしい。そのなかでレギュラーを勝ち取っているというのだから、大したもんだ。
……てか、こいつまた身長伸びてねぇ?学年の中で低い方ではない美咲よりも、明らかに高い。陰キャの兄さんは、そろそろ陽キャ、ガチアスリートの妹に家庭内人権を失われてしまうのですが。
うんそうだね。今度は俺がだがちょっと待って欲しい(天声人語)される番だね。妹と幼馴染持ってるのは麻雀で言えばリーチ一発ツモタンヤオドラ二の跳満くらいラブコメっぽいね。つっても、幼馴染がアレの時点で盛大にチョンボで四〇〇〇オールだよね‼だから許してくれ。
そもそも、世界は姉・妹を神格化しすぎなのだ。
統計的に、一人っ子である家庭は三割弱である。兄妹、または姉弟の家庭は、恐らく我々が思っているよりもずっと多い。妹パラドクスだ。
とは言っても、隣の芝生は青い。俺も優しいお姉ちゃんが欲しい。
とまぁなんであれ、アニメのような妹、というのは幻想にすぎない。
実際の妹なぞ、小六のくせに無駄に色気があるわけではないし、お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないわけでもないし、妹モノのエロゲもやっていない。
小町ポイントも稼がないし、無駄に兄のことが嫌いでなわけでもない。
そういうのは伝説だ。プレスタ―・ジョンよりも伝説。普通に塩対応してくるかと思えば鬱陶しくてどうしようもないときもある。
「こんばんは、千春ちゃん」
「お久しぶりです、美咲さん。こんばんは」
律儀にお辞儀する美咲に対して、千春もぺこりとお辞儀をした。肩にかかったバッグがずり、と垂れ下がる。それから顔をあげると、二人で仲よさそうに歩き出した。
……俺は、しょうもないことを考えている間に完全に置いていかれていた。
「ちょっと千春ちゃーん?なんでお兄ちゃんを置いてっちゃうのかなー?」
「は?だってなんかキモいこと考えてる顔してたし……」
「キモ……」
軽いショックを受けた。
「千春、『キモい』と『ハゲてる』は事実でも他人に最も言ってはいけない言葉、っていつもお兄ちゃん言ってるよね?」
「自分のことお兄ちゃんって言うのやめなよ。キモいから」
いてこましたろかこのガキ。えぇ?
「なんでお兄ちゃん今日はこんな時間に帰ってんの?いつもは家帰って昼寝してるかアニメ見てるじゃん」
「図書館で勉強してた」
俺の言葉を聞いた千春は、口元に手を当て、すすすと近くの電柱の陰に隠れた。
「は?キモ。どういう風の吹き回し?」
ほらな、言ったろ。我が家では俺が必要以上に勉強することは盲亀の浮木かというくらい珍しがられる。だからキモいって言うな。
「失礼な小娘だな……。俺にだってそういうときくらいある」
「へーそっか」
千春はけろっとした顔で言い放った。一ミクロンも興味なさそう。
俺、もしかしてナメられてる?
「じゃ、私こっちだから」
「あぁ」
「またね、千春ちゃん」
「あ、はい。ではまた」
千春の口撃にやられているうちに、家の近くに着いていたらしい。俺と千春の数歩前を歩いていた美咲は、ぴっと指で自分の進路を差し、シャフ度ばりに首を傾いて少し気だるげに言った。
俺はそれに応えるように軽く手をあげ、その隣で千春が大きく手を振った。
そのままそれぞれ違う方向に歩いてゆく。ちらりと美咲の方を見てみると、既に一心不乱に勉強を始めていた。ほんとブレないなあいつ……。
「ね、お兄ちゃん、今日の夕飯何かな」
「知らんけど、サバミソとかじゃん」
「え~。骨取るのめんどくさいな」
そんな他愛のない話をしながら、俺らは残り僅かな家路を歩く。
妹とできるような会話がほかの人に対してもできれば、あるいは俺もこんな人間ではなかったのかもしれない。
今の自分が嫌いなわけではないけれど、そんなありもしない未来を少しだけ夢想して、そしてすぐにそれをやめた。
それは、こいつが曲がりなりにも十数年にわたって俺と接し続けているからこそできる芸当だ。 それを他人にも押し付けるのはいささか無理がある。将来千春には俺の介護をしてもらおう。
「ありがとな、愛してるぜ千春」
言いながら千春の頭を撫でようとすると、強豪校らしい華麗なフットワークで逃げられた。
「は?キモ。いや、マジキモイから。触ろうとしないでよ。気持ち悪い」
……。日頃の感謝を伝えようとしただけなのに。
まぁ、いい。
何しろ、明日からは俺の平穏がかかったテストなのだ。妹の暴言に泣いてる場合ではない。ついでに言えば、麻雀をやろうとしている場合でもない。脱セルフハンディキャッピングだ。
さっき美咲に聞いた話が本当なら、少しくらい悪あがきをしておいた方がいいのかもしれん。やっぱ今更やっても意味ないかな……。
まぁ、もしも今日の夕飯が当たっていたら、夜は勉強をせずにネット麻雀で遊ぼう。
そう思ったところで家の方から香辛料の香りがした。
「カレーかぁ」
「カレーだな」
似たようなことを言いながら、俺はドアを開けた。飯を食い終わったら、もう少しだけ社会科を詰めて、明日に備えるとしよう。