妹と友達にラブコメ補正なんか働かない1
麻雀において、アガることが目標であるように、人生をゲームだと仮定して高校生活における目標を「ラブコメする」に置いてみよう。
そうした場合、麻雀と同じように手牌は大事だ。例えばどんなイケメンであれ、男子校いれば学園ラブコメなんか起こりようがない。
逆にスペックが普通でも、周辺環境がしっかりとしていれば自然とうまい具合に行くものだ。なんたって大半の主人公が「普通」だからな。間違いねえ。
では俺は?
スペックも周辺環境も、おおむね普通。麻雀でいえば九種九牌というわけではないがイーシャンテンにも程遠い、という感じだろうか。
しかし、俺が今やっているのはアガることが共通の目的である麻雀じゃない。
他人の手牌を憐れむことも羨むこともしなくていいし、自分の手牌を悲観する必要もない。目標は各人において設定していいはずだ。
リア充を目指す、ラブコメを発生させる、どうぞご勝手に。孤高の存在になる、素敵なことじゃありませんか。俺は全部好きですよ。
さらば逆に、俺の「不変」を見つける、という目標も当然認められてしかるべきだ。
そんなことを思いながら俺はペンを机に置いた。
……要するに、今日はもう集中力が切れた。帰って麻雀したい。相手全員CPUだけど。
「まぁ、こんなもんか」
その時、下校時刻を告げる放送が鳴った。なんたるご都合主義。もっと他の場面で仕事してくれ。パンを加えた女子高生とぶつかるとかさぁ。
俺はとんとん、と教科書をまとめて鞄へと放り込み、それを背負って歩き出した。
あれから一週間が経った。
週明けから中間テストが始まる。いつもなら前日に一夜漬けで適当な点数を取るのが俺の戦略なわけだが、今回北条に負けるのはそこそこ洒落にならないわけで。俺の平穏が消え去るからな。
とはいっても、北条が勉強している姿はついぞ見なかった。
というわけで、今日は学校の図書館で試験勉強をしていた。時々鳥居先生に言われたことがフラッシュバックして、自分にラブコメができるか考えたりしていた以外は真面目にやった。
試験前日以外さして勉強をしない身としては、異例のことだ。理由なく俺がこんな事をしたら周りの大半は、やれ明日は槍が降るだの針が降るだのと騒ぎ出す。親に至ってはお赤飯とか炊くかもしれん。
……いや、ほんとに周りの人間はいるんだよ?
家族を除けば小中九年間であわせて三人できた。この調子でいけば高校卒業までにも一人できる計算だ。少なすぎるんだよなぁ……。
要するに、完全にぼっちというわけではない。手牌自体はある。役満だって出せるかもしれないのだ。そろそろ混ぜろよ。混ざる気はないけど。
「あ」
「お」
図書館の階段を降りて、玄関口までいくと見慣れた少女と鉢合わせた。幻影ではないし、妄想でもない。断じて。
あれは俺の知り合いである。
「珍しいね。冬至がこんな時間まで学校にいるなんて。勉強してたの?」
玲瓏な声が、しんとした空間に染み渡る。
彼女は南部美咲。隣のクラスの少女だ。俺との関係性は、一応「家が近い幼馴染」ということになる。
「ん、まぁそんなところ。お前は今日も勉強してたの」
美咲はうむ、と頷いてから靴を履き始めた。俺もつられるように靴を履く。それから、示し合わせたわけではないけれど隣同士で歩く。
ちらりと美咲の横顔を見る。長い黒髪が、宵闇の中で街灯に照らされて怪しげに揺れる。
彼女は美少女と言って差し支えない。大してイケメンではないがゆえに顔面共産主義を標榜する俺としては、そこにさしたる魅力を感じてはいない。いやマジで。
……うん、そうだね。今多分、「な~にが『青春ラブコメなんてしたくない(キメ顔)』だ、ガキが。インチキすんな」ってみんな思ってるよね。
だがちょっと待って欲しい(天声人語)。
俺はまだ大事なことを言っていない。
美咲の切れ長の瞳は、一心不乱にある一点を見つめていた。俺もつられて彼女の視界の先に目を移す。そこにあるものは。
……………………予想通り、使い込まれて表紙が破けてしまった単語帳だった。
「また単語帳読んでんの、お前……」
「うん。単語は英語の基本だから。何回やってもやりすぎる、ということはないわ」
ぱっと顔をあげて、それだけ言うと美咲は再び単語帳に目を戻した。再び俺と彼女の間には沈黙が流れる。
……もうわかったね。この女、勉強以外のあらゆる事柄について、病的なまでに興味がないのである。家がそれなりに近く、小中高と親同士の仲も悪くないとあって原義の「幼馴染」なだけで、それ以外の何物でもないのだ。
無論、こいつの成績は群を抜いている。国語以外の科目では満点を取らない方が稀だし、中学以降、順位の出る試験において一位でないのを見たことがない。校外の模試は県内で常に一位、全国ですら上位に入っていた。
実際の「幼馴染」なんて、ちょっと成績が良すぎるのを除けばこんなものだ。希薄すぎず濃密すぎず。
朝早くに起こしにきて味噌汁でカンパイ!はしてくれないし、実家のような安心感もない。
ちなみにコミケにサークル参加するハーフでもないし絶対に負けないラブコメを展開したりもしない。当たり前のことだ。
そして、それでいい。
俺がこんなことを思っている間も、美咲の勉強は目で世界史の一問一答、耳で英語のリスニング、口では数学の公式を復唱していた。
ちょっと待てや。どうなってんの?お前の頭。ほんとに勉強になってんのか?さっきまで単語帳読んでただろ。
おまけにすいすいと電信柱などの障害物を躱して進んでいく。一度もぶつからない。ルンバもこいつを見習った方がいい。
出会ってからはや十分弱。言葉を交わした回数は三度。もういい加減、おわかりいただけたと思う。俺とこいつの間にラブコメなんか起こる確率は万に一つもない。
「sinAcosB=1/2{sin(A+B)+sin(A-B)}、cosAsinB=1/2{sin(A+B)-sin(A-B)}、cosA+……」
中間テストの範囲、全く勉強してないわこいつ……。今回数学で三角関数は出て来ないし、今回の世界史の範囲は中世ヨーロッパのはずなのに彼女の一問一答の解答は明らかに漢字だらけである。
「なぁ、それテスト勉強?」
「ううん。受験勉強」
でしょうね。
「テスト勉強はしなくていいのか?まぁ、する必要もないか」
「ううん。多少してる。今回はやらねばならない」
「へぇ、珍しいな。定期試験なんて勉強しなくても一位だと思ってた」
てか、リスニングしてても会話できんのね、人間としてのスペックが違いすぎる……。聖徳太子もしっぽ巻いて逃げるレベル。
そんなことを思っていると、美咲はぼそぼそと話し始めた。
「冬至のクラスに北条夏海って娘入ってきたでしょう」
「……あぁ」
あらぬ方向から想定外の単語が出てきたことで、俺は返答に困って一瞬黙りこくってしまった。なんでこいつの口から北条の名前が出てくるんだ……?
「北条がどうかしたのか」
「私、中三の全国模試でずっと県内一位だった」
「それは知っているが」
唐突に美咲は話題を変えた。
かといって、自宅から遠くて通学時間が勉強の妨げになるという理由で受験したあらゆる有名校の特待生入学を蹴るのも、それはそれでどうなの?なんていう思いは、心の中にとどめておく。
「その時、一回だけ同点で一位になった人がいた。その名前がキタジョウナツミだったわ」
「…………へぇ。そいつはすごい」
うっそぉ。あれぇ?マジでござる?なーんでこの学校に来ちゃったんですかねえ……。
「ってちょっと待て。それ、本当にうちのクラスの北条と同じ人物か?同姓同名という可能性も……」
「あの漢字で「きたじょう」って読む苗字がそうそういるとも思えないでしょう。それに、同じだった時に負けてしまうのが嫌で勉強しているだけよ。別人にこしたことはないわ」
「あぁ、そう……」
形だけの相槌を打ちつつ、俺は戸惑っていた。
これはずいぶんと困ったことになったぞ……。自慢じゃないが、俺はテストという制度に縛られて以来、合計点はもちろんのこと各科目においても、一度たりとも美咲に勝ったことがない。それに一度並んだことがある相手……?
黙っている俺を他所に、美咲は一問一答に目を戻しながら、単調に質問する。
「冬至は、なんで勉強してたの」
「……今回はいろいろあってな。いい成績を取りたくて勉強したんじゃなくて、悪い点を取れないから勉強してただけだ」
「ふーん、そ」
美咲は国会答弁より適当な返答をして、それきりまた知識の海を泳ぎ始めた。再び沈黙が空間を支配する。俺は変わらない彼女を見て、少し安心した。一生このままでいてくれ。
こいつは本当に、どこまでもドライだ。
口ではああいう風に言っているものの、順位で一喜一憂しているのは見たことがない。勉強以外、なんなら自分ができるかどうか意外にとことん興味がないように見える。一位を取り続けているのだって、副産物に過ぎない。
自分に嘘をつかず、やりたいことをひたむきに続けることはそれなりに大変なことで、そしてそれゆえに正しいことだと思う。それに、ドライな方が良い。変に「普通の幼馴染」じゃなくて助かったまである。
まぁ、こんな塩対応の南部さん(俺に甘いわけでもない)ですら俺の数少ない周辺人物なんだよな……俺の周り人間少なすぎィ!困った困った。いや別に困ってはないんですけど。
「なぁ、お前の進路って聞いてもいいやつなのか」
ふと、そんなことが気になって聞いてみた。母親や鳥居先生に心配されたのを思い出したからだ。不安……というわけではないけれど、他人の進路が気にならないわけではなかった。勉強の話題になったついでだ。こういう時に聞いておくべきだろう。
「え、なに突然……」
「参考までにと思って」
一瞬怪訝な顔をしていた美咲は、「ま、いいか」と呟いてから少し真剣な顔をして俺の方を向いた。
「私は医学部に行くつもり」
「……ほほー」
「私立は信じられないくらい学費高いから……。なんとか国立に行きたいの」
それでも十分高いからまだ決まったわけじゃないけれど、と美咲は付け加えた。なるほど。それでこんなに勉強しているわけか。素直に感服せざるを得ない。
「凄いな、お前」
「ほめても何も出ないよ」
「それもそうだ」
それっきり、風の音だけが俺たちの間を流れた。空を見上げると、茜と紺のグラデーションはもうすっかりなくなっていて、辺り一面を濃紺の星空が支配していた。






