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都合のいい幼馴染なんかいない

 これから閉会式が始まるためか、校舎には当然誰もいなかった。大きく開かれている窓からは夕焼けが差し込み、白い壁を茜色に染め上げている。生徒のざわめきが、遠巻きに少しだけ聞こえた。


 人気のない廊下を、ぺたぺたと音を立てて歩きながら、思う。


 あの「熱狂」には、確かに質量がある。傍から見ていてよく分かった。

 あれは多分、虚構ではない。あの状況に酔えることは、きっととても素晴らしいことだ。

 けれど、俺と相容れることはついぞないのだろうということも同時に感じられた。

 俺は懐疑してしまう。醜い自意識と、そこから生じる打算的な思考が、あの熱狂に酔うことを認めてくれない。向こうに罪はないのだ。俺が向こうにいると、俺が空虚な感覚に苛まれてしまうというだけ。

 その自分とあの場所との埋まりようがない乖離が、俺の心の中で絶望と溶け合って、ある種の嘔吐感を産み出していた。


 それは多分、生徒会も同じだ。この二週間、充実していて楽しかった。でも、俺はあそこで何かに邁進することはできない。

 さりとて、決して俺は孤独が好きというわけではない。俺の心は弱いから、どれだけあり得なくても、心のどこかで他人を欲してしまう。

 そんな心の弱い自分が俺は嫌いだ。そしてそんな俺が、これ以上変わっていったら、いよいよどうしようもなくなる。

 だから、俺はあの場所に、決して相容れないのに羨望してしまうものが見える場所には、いられない。あれを見て平然としていることはできそうになかったし、その時出てくる感情は、黒い憎悪だ。弱い俺では制御しきれない、強い感情だ。

 俺は、不変なんていう大それた言葉で、強い感情にとらわれてこれ以上自分を嫌わないようにと、自分を必死に縛り付けて、自分自身が空虚に溺れないように、必死に今の自分にしがみついている。せめてこれ以上は弱くならないように、と心のどこかで願っている。


 深いため息をついて、保健室の前にで立ち止まった。

 申し訳程度のノックをして、保健室の中に入る。得も言われぬ、絆創膏か正露丸の匂いが、扉を開けた瞬間に押し寄せてきた。

 誰かが眠っているのか、ベッドのカーテンが一つ閉められている。

 保健室は怪我をしたときにすぐ来られるようにグラウンドの近くにあるから、窓からはグラウンドの様子がよく見えた。


 俺は備え付けのソファーに腰かけて、その様子を黙って眺めていた。ちょうど閉会式が始まったようだ。校長がステージ上に上がっていくのが見えた。画面越しに美しい作品を見るように、違う世界は窓を隔てて見るくらいがちょうどいい。

「冬……至……?」

 突然、左側から声をかけられて思わずびくっと身震いした。なに?オバケ?慌てて声のした方を向くと、閉まっていたカーテンから美咲の顔だけが覗いている。

「なんだお前か……。……いや、何してんの?」

「え、ううんと……休憩?」

 美咲はおぼろげな様子で小首をかしげている。いつもよりどこか幼げだ。寝ぼけてんのか?

 徐々に頭が回り始めたのか、一瞬だけはっと我に返ったような顔をしてから、頭がカーテンの奥に引っ込んだ。


 ……さてどうしよう。逃げようかな。女子と二人きりは嫌だと思ったものの、美咲だから今更な気もする。

 そもそも、美咲を避けるのは原理的に無理がある。どうせ家は近いし、親同士もしょっちゅう会っている。無理に距離を取れば、面倒なことも多くなるだろう。


 そんなことをうだうだ考えているうちに、しゃーっと音を立てて、カーテンが開かれ、美咲が何食わぬ顔でこちらへ向かってくる。

 さっきの雰囲気はどこへやら。打って変わって物静かなふるまいだ。

 ソファーの隣に立ち、腕を組み、俺と同じように窓の外を眺めながら一言。


「ここで何してるの?」

 ……そこからやり直すのね。そりゃこっちのセリフだよ。

「体調崩して休みに来ただけ。そっちは」

「私もそう」

 グラウンドでは校長のありがたい話が終わり、会長が一応の特得点や順位を発表している。まもなく優勝旗授与が行われるみたいだ。


 その情景を見ながら、ぽつりぽつりと話していく。

「いつから保健室いるんだ?」

「ほんの少し前」

「嘘つけ」

「……なんで」

 不満げに美咲は口をとがらせている。いつもよりも表情が豊かだな……。やっぱ、まだ少し寝ぼけてるよな?

「いや、お前玉入れのときいなかったろ」

「……探してたの」

 美咲は意外そうに俺のほうを見た。

 言ってから、自分の失言を認識する。くそ、俺も疲れてるから判断能力が落ちてんのかな。脳みそよ、もっと酸素を取り込んでくれ。

「探してはいない。パッと見まわしていなけりゃ、いないだろ、知らんけど」

「……ほんとは昼前に気分悪くなって、それで来たの。保健室の先生からは疲労だからゆっくり寝ておけって」

 疲れってお前……。それじゃ何の競技も参加してないし疲れようがないじゃないか、と言いかけた直前、最近の美咲を思い出した。ナイス脳みそ。

「お前、最近勉強に根詰め過ぎてたろ」

「……冬至みたいな勘のいいガキは嫌い」

 そう言うと、美咲はそっぽを向いてしまった。おいおいなんだ?今日のこいつはほんと饒舌だな。本気でなんなんだ。

「冬至はなんで休みに来たの。もう体育祭はほとんど終わったでしょう」

「まぁいろいろと」

 リレーの事の顛末を話していく。もちろん、不変とかその辺の、相手からしたら意味不明な話は避けてだが。


「……冬至は、少し変わった」

 一通り話し終えたのを見計らって、美咲は口を開いた。少し遠くで歓声が聞こえる。ちょうど、松本が授与された優勝旗を高く掲げているところだった。

 ……それにしても、参ったな。自覚していることを改めて指摘されると何とも言えない虚しさに襲われてしまう。

「近日中にはもとに戻る」

 大体明日くらいには。体育祭も終わるしね。

「変わったと言えば、お前の方がだろ。らしくもない」

 本当に、らしくもない。良くも悪くも勉強以外に興味がなくて、ただひたすら自分の気が済むまで勉強することが目的のお前が、たかが定期テストの順位ごときで一喜一憂するなんて。

「らしくもない、かな」

「誰が何点取っていようと絶対的な評価は変わらん」

「……私、冬至が思っているほど強くないよ」

 はっきりとした口調で言い切った美咲を見やる。

 彼女は、不安げな顔でこちらを見つめていた。儚げなその表情は、外で渦巻く熱気から切り離され、くぐもった歓声がじんわりと浸透していくこの部屋の奇妙な静寂と合わさって、今にも崩れてしまいそうだ。

 ほんの一瞬息をのむ。美咲は自分の腕を抱いて、震える声で続けた。

「私が冬至の見ている強い私であれるのは、私が結果的に強くあれているから。誰も寄せ付けることなく、確固たる地位を築いているから。でないと、私は私を保てない」

「……お前は」

 お前は他人の目線で変わるようなやつなのか、と言おうとして口を噤む。

 そんなのは俺が忌み嫌う「虚構」の押し付けに過ぎない。他人に仮面を押し付けるなんて、自分への逸脱も甚だしい。


 それでも俺は、南部美咲に強くあって欲しかった。

 他人の目は気にせず、自分の目標だけを見て、頂に煌めいている星であって欲しい。たとえそこにもう一つ星が生まれたところで、その輝きが消え失せることはない。

 深く息を吸って、吐く。これは押しつけじゃない。端的に言えば励ましに近い。だから俺は、自分を逸脱していない。祭りの日ボーナスと、形式上の小さい頃からの付き合いということでプラマイゼロだからギリギリ大丈夫。


 そう理論武装して、どうにか言葉を繰り出す。

「まあなんていうの、そういうのあんま気にすんなよ」

「……は?」

 言い淀んでいた俺に向けられていた視線は、人が気にしてんのに気にしなくていいってどういうこと?あんたバカぁ?と言いたげな視線に変化した。

 待て待て。最後まで聞け。

「誰が何位取ろうと、別にお前の点数は変わらんし、ぶっちゃけ一位も二位も俺みたいなドベからすれば一緒だ。等しく高い。今回だって、周りの見る目が変わったのは北条であって、お前に対する見る目は変わらなかっただろ」

 だから気にすんな、俺が言ったってなんの慰めにもならないけど、と心のなかで付け加えておく。俺の知ってる展開なら、大体ヒロインが肩を震わせながら抱き着いてくること請け合いだ。なぜならヒロインは主人公が好きだからね。

 美咲は一瞬あっけにとられたような顔をしてから、少し怪訝な顔をした。

「なんか早口でちょっと気持ち悪い」

「…………………………………………」

 生きててゴメンネ。ここは現実だもんね。俺がキモかったよね。

 やっぱりなれないことはするもんじゃない。緊張とか気恥ずかしさで思わず早口になったんだね‼豆腐の角に頭打ちつけて死んできます。

 悲しみに打ちひしがれながら、真っ白い天井を見上げる。やっぱりこういうのは無理でした。


「じゃあさ」

 悲嘆にくれる俺をつゆも気にかけず、美咲はほんの少しだけさっきよりも明るい声で話し始めた。足音が遠ざかっているから、多分出口に向かっているんだろう。

「私がどこに行っても、冬至は私のことを見てる?」

「そりゃもう。記憶喪失にならない限りは」

 例えばの話か?俺を一般化するのはあまり得策じゃないと思うが……この場に俺しかいないからしょうがない。

 でも実際、俺はきっと美咲がどうなっていようと彼女の同行を知っている。見ていなくとも母親経由で無限に情報が流れて来るし。

「なにそれ」

 そっけなく言いながら、ドアを開けて、閉める音が聞こえた。

 それきり、部屋には静寂が訪れる。

 窓の外では各組の団長が一言ずつ言葉を言っているようだ。既に太陽は姿を隠し、遠くの空の端の残照が高層ビルの姿を黒く映し出していた。

 それを見ながら、俺はソファーから立ち上がった。気分の悪さもだいぶ収まって来たし、最後くらいは向こうで見てみよう。また気分が悪くなったら戻ってくればいい。


 ……あと一人でいたらさっきの突き放しが悲しすぎて泣きそうなので。

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