俺はオタクに優しいギャルなんか信じない1
「不変」を求めて
二年六組八番 木下冬至
とかく、世の中は汚れ、歪みきっている。
日々世間を賑わせているのは会ったこともない芸能人の結婚や不倫。学校で流行るのは話したことのない同級生の痴話や悪口。その一方で、所謂「いじめ」の阻止や風紀取り締まりの強化は半ば事後的、対症療法的に行われ根本的解決をしようとする気配はない。他人への誹りは挙って参加するのに、自分への攻撃にはひどく脆弱である。
そして人々、特に学生は、他人との関係性の中で自らを形作り、時と場合によってペルソナを使い分ける。加えて他人に対しても「協調性」を押し付け、円滑なコミュニケーションを行うことを最善と位置付ける。
そうした価値観が礼賛すらされる世の中であるにも関わらず、彼らはしばしば「親友」や「友情」といった、「協調性」を最善に据えた共同体では生まれない虚構に耽溺することを容認する。
それは恋愛関係においてすら同様である。人々は自分の本心を知らず、また相手の本心を理解せず、己の定義不能な感情に盲目的に「恋」や「愛」といった名前を付けている。その相互不理解が、最終的に不可逆的なすれ違いを多く発生させていることは、その後の離婚率の高さが雄弁に物語っているだろう。
自分は、他人の世間話の内容や耽溺することに対して批判をするわけではない。それは人間の選択しうる一つの方法であるし、人と人はわかりあえないという意見は妥当な帰結だ。他人と円滑にコミュニケーションをとっていくために、時と場合によって自分の表層を変えていくことは、とても有用な方法であるように感じる。
むしろ自分が批判しているのは、「協調性」を選択する一方で、それとは真逆の「親友」、「友情」といった概念を称賛することなどの、歪んだ人々の在り方である。少なくとも自分は、「仮面を付け替えること」を是とする価値観が膾炙している中、虚構の友情を礼賛する在り方に対して「歪んでいる」と評さざるを得ない。
それでは、こうした矛盾が起こるのは何故か?この問いに答えるのはきっと至極簡単である。畢竟、彼らは仮面を被りつつも仮面の下を分かって欲しいのである。こういった欲求が仮面の隙間から漏れ出るがゆえに、彼らはしばしば虚構の中に「友情」を求めるのではないか。また、そこから生ずる本来の「友情」と、虚構の「友情」の乖離が、歪みや矛盾を生んでいるように思うのである。
こうした流動性のある関係が主たる世界の中で、自己を確立しうる絶対的な価値を持つのは「不変」なものであるように推察される。故に自分は、自分の中、そして世界における「不変」を探し出し、各個たる自己を確立する所存である。
昼休みの、教員室に併設された面談スペースの一番奥に俺は座らされていた。
すぐ隣にある窓にかかったカーテンをそよそよと涼しげな風が揺らして、その隙間から初夏の陽光が差し込んでいる。ともすればセミの音すら聞こえてきそうな日差しだったが、存外暑くはない。今日の昼下がりは穏やかと言って差し支えないだろう。
……ここに流れる、緊張した空気を除いては。
机を挟んで向かい合っている担任の鳥居先生は、俺の「「不変」を求めて」と銘打たれた作文用紙をじとっとした目で一通り眺めると、その目のまま俺を睥睨しながら言った。
「で、木下君。これはなに?」
「なにって……課題で出された「現代社会と自分」ですけど」
なろう系主人公のように、「なにって……暗黒物質を作っただけだが?」くらいのノリで俺が答えると、先生ははぁ……と大きくため息を吐いて、俺が書いたレポートをこっちにひらひらと見せた。
こう見ると、論理展開や細かい接続詞にはまだまだ難があるものの、文章自体はなかなか良いものが書けたように思う。「畢竟」や「膾炙」などかっこいい漢字を使ったり、無駄に鍵カッコで単語を強そうに見せちゃうあたり、まだ中二病が抜けきっていない。
……それじゃあダメなんだよなぁ。
「参考までに聞いておくわ。これのどこが「現代社会と自分」なわけ?」
「いや、めちゃくちゃその通りじゃないですか。現代社会の問題に切り込んだうえで自分の立場表明してしてますよ」
「授業で見せたのは、貧富の格差や就職の話だと聞いているけれど?」
「みんながみんな、経済的側面にだけ焦点を当てて社会問題を論じたんでは意味がないでしょう」
などと言いつつ、俺はうんうんと深く頷いた。我ながら良い言い訳だ。官僚にでもなろうかしらん。
それを聞いた先生は、眉間にしわを寄せながら、こめかみに人差し指をあてて眉間にしわを寄せている。頭痛かな?俺のせいですね。わかります。
「はぁ、屁理屈ばっかり。まったく将来が心配だわ……」
「や、大丈夫です。ちゃんと進路決めてるので」
「どこ行くつもりなの?」
「哲学科です」
ちなみにおすすめはインド哲学科だ。そもそも、入ろうとする人間がいないからね!多分、競争率が鬼のように低い。
「ちなみにそのあと就職はどうするの?」
「ネパールで僧侶になります」
絶対に社畜は嫌だ。あと就活も嫌。なんなら受験も嫌だ。
そんな俺を見て、鳥居先生はより一層大きなため息を吐いた。
「心配だわ…………」
やかましいんじゃい!と心で思いつつも、俺は何も言わなかった。一昨日母ちゃんにも同じ顔をされたからね。
実際、心から哲学科に行きたいと言っている人間にロクな人間はいないのだ。俺以外に見たことないから知らんが。
先生はレポートをずいっと俺の前に置いて、ポケットの中からチョコレートを取り出した。丁寧に包み紙をたたみながら、それを口に放り込んで話を続ける。
「とりあえず、これは書き直しなさい。賢しらで難しい単語を使えばけむに巻けると思ってんじゃないわよ。これで私、現代社会の先生にめちゃくちゃ怒られたんだから。勘弁してほしいわよ。あのおばさん教師いつも私にいちゃもんつけてくるし。あー思い出しただけでイライラしてきた!小姑かっつーの!まぁ私独身だけどね!アハハ!……はぁ」
先生は俺を経由して嫌なことを思い出したらしく、椅子から立ち上がって何やら叫び始めた……と思いきや、どうやら自分で思いっきり自分の傷を抉ったらしい。今度はうなだれてぶつぶつ言っている。
そしてまたチョコレートを出して、ちびちびと食べ始めた。
でも仕方ないよね。今年でとりいしょうこさんじゅっさいだもんね。そろそろ焦るよね。それにしても躁鬱乱高下すぎる。ガソリンの値段のほうがまだ安定しているだろう。
とは言いながら寂しげに笑いながら目に涙をためている先生を見ていたら、普通に申し訳なさがこみ上げてきた。思わず声のトーンを落として平謝りしてしまう。
「や、なんかすんませんマジで……。書き直しますね……」
「うん……よろしく……ぐすん」
先生は軽く目じりをぬぐってから、椅子に深く腰掛けなおした。ちょっと可愛い。
それからふう、と呼吸を整え、机に置いた俺のレポートを眇め見てぶっきらぼうに話し出した。
「しかしまぁ、あなたはどうしてこんなにひねてるの?」
「いや、ひねてるわけではないんですが……。実際世の中こんなもんじゃないですか?」
「そうかもしれないけど……。なーんか考えが古臭いのよねえ……」
おい、古臭いて……。ぴちぴちの高校生に当てはまる表現じゃないでしょ。俺は華の十七歳だぞ。
若干の抗議を示すために向けた目線をまるで無視した先生は、脚を組み替えてから再び言葉を続けた。
「ときに木下君」
「今は一二時四八分ですね」
「んな話はしてないわよ……それで質問。あなた、友達いる?」
直球、ストレート。多分日本最高速度を更新したに違いない。
「え?あー、まぁいますよ」
嘘ではない。いることにはいる。
「ふーん……」
「……なんすかその意味深な間は」
こういうのって普通毒舌系のヒロインとやるやつでは?なんで教師とこんなことしてるんだ。
「ただ確認したかっただけ。いつもクラスで一人だし」
「う……ぐ……」
図星だった。クラスには友達がいない。先生は俺が言葉に詰まったことに味を占めたのか、少し勝気になっている。
「教室だと割とイヤホンしてること多いわよね。どんな曲を聴いてるの?」
「え、うーん……ブルーハーツですかね?」
「えぇ……あんた、いつもブルーハーツ聞きながらニヤニヤしてんの……?それは病気だから今すぐ医者にかかりなさい」
「なんでいつも見てんだよ怖えよ……」
いやほんと、なんでいつも見てんの?
「だ、だって木下君、いつも遅刻したり寝たりしてるし……」
言いながら、先生はもじもじとしている。やだ、なにこの人。やっぱり可愛い……?
「監視してあげないといけないでしょ?」
「最高の笑顔なのに、最後の一言で最悪だよ……。普通に怖い人だよ……。全然可愛くなかった……」
とりあえず、いつもニヤニヤしてるのはいけないな。今後は気を付けよう……。
実際、ブルーハーツはたまに聞いている。普通に曲は好きだし。
「それ以上に聞いているとすれば……」
言う前に少し躊躇する。俺が今挙げようとしているのは所謂「アニソン」だ。いくら相手が教師と言えど、下手を打てば大惨事になる可能性がある。
「まぁまぁ、言って見なさいな」
「はぁ……」
先生の圧に押され、若干視線を落として俺はお気に入りの曲名をいくつか適当に挙げていく。
果たして結果はいかに。俺は一息ついたついでに先生の顔を見た。
「……」
「…………」
鳥居氏、満面の笑み。
……いや、なんなんだよそのにんまりとした笑顔は。
「そうよねそうよね、そうだとは思っていたわ!」
鳥居先生は俺の方をぺしぺし叩きながら、だいぶ上機嫌なようだった。
「いや、否定しているわけじゃないのよ?悪くないチョイスだわ」
不貞腐れた俺を見て、先生は優しく慰めてくれた。そんな優しくしないで。どんな顔すればいいの?
「じゃあ好きな本は?結構本読んでるでしょ。一般文芸とか読んでるの?」
「だからなんで見てんだよ……。うーん、漱石、太宰、三島あたりですかね。ライトノベルも読みます。一般文芸はあまり……。あとミステリ、新書も読みます」
「一番たくさん読んだことがある本は?」
「捻くれ主人公が捻くれまくってるライトノベルですかね」
「なるほどねぇ……」
先生が瞑目してしまったので、時計を眺めながら、そういや俺が好きな作品にもこんなシーンあったなぁ、俺も部活とか入れられちゃうのかなぁ、もう昼休み終わるなぁ、ご飯食べ忘れたなぁ、などと思っていると、先生はかっと目を開いて、流れるような所作で俺を指さした。
「異議あり!」と言ってきそうなポーズだ。何歩堂龍一だよ。
「木下君、あなたは『懐古厨』よ‼‼‼」
「な、なんだってーーーー?!?!?!?!…………いや、ほんとになんだって?」
「懐古厨よ、懐古厨。昔は良かった……って感傷に浸る輩よ。「変わらない」ことを至上にしがちね。あんた最近の本も読まないし音楽も聞かない、結構典型的なやつだわ。さっき言ったアニソンも、全部二〇一五年より前じゃない。何歳のチョイスよ……。あんたの場合、ちょっと何でもかんでも逆張りする反抗精神も入ってる気がするけど」
「流石にそんなことは……ううん、あるな」
「でしょうね」
先生はふふん、と得意げに無い胸を張る。
それから軽く息を吐いて優しく笑んだ。
「まぁ、必ずしも悪いことじゃないと私は思うけれどね。誰もがきっと、ちょっとは懐古厨入ってるし。「ひとは、変わってゆくことが悲しいんじゃない。変わらなければ生きていけないことが寂しいだけなんだ」って言うでしょ。だからいいんじゃない?」
「先生……」
「なに?かっこよすぎて惚れた?結婚する?」
「いえ、鍵っ子は割と年齢バレるのかなって……」
よくそのセリフ知ってたな。俺も好きだけど。
あと、生徒に求婚しないでください。若干マジな感じが入ってて怖いです……。
先生は「うッ……」と呻いてから胸を押さえて、もがき始めた。今のは相当食らったんだろうな……。でも今どきのオタクは鍵作品やってなさそう。
「だ、大丈夫です先生、俺は鍵作品好きっすよ」
「ふ、ふーん。やるわね、あんた……」
「はぁ、どうも……」
何がどうやるんだよ。
「もしあんたも物語みたいなラブコメができたなら、そういう考えを変えたりするのかもしれないわね」
変わんなくてもいいと思うけど、と付け足しながらさらりと先生は言う。それからちらっと時計を見て、席を立った。
「……ま、そんな話はいいや。とりあえず、そんなところかしら。もう昼休みも終わっちゃうわね……結構時間かけちゃってごめんね。とりあえずレポートは再提出すること。中間テストが近いし、それが終わってからでいいから」
先生はそれだけ言い残して、すたすたと自分の机へ戻っていった。