六のたまちゃん
真っ黒い影が、見上げた夜空いっぱいに広がった。
隙間が埋まる寸前、振り落とされた弓花が吹っ飛んでくのが見える。
「弓花あぁっ!」
駆け出して気づく、身体自由に動くやん。
おっさん、消えとる。
「ウソやろこのタイミングで!?」
あっという間に刀まで薄れてく。ちょ待ってや!
焦った俺の頭の上で、色んな笛やけくそで吹いたみたいなとんでもない音が爆発した。
「キイイィィ、アアアーッ!!」
「っ……!」
耳が潰れそうで叫ぶこともできん。脚が止まる。
影が覆いかぶさって目の前が暗くなった。鳥肌走って細胞全部が「逃げな!」って言う、でも逃げるとことか……
「あるやん、結界!」
夢中で家に振り向いた時。
縁側の下に転がったままの、小っちゃい背中が目に入った。
ちっちゃい弓花。俺の妹。
動かへん。
感情が飛んだ。
前向くと真っ暗闇がそこにいる。最凶の平安妖怪が俺を笑っとる。こっちはただの中学生、何の力もないちっぽけな鳥井剣太郎。
だから何やねん俺は止まらへんぞ!
「オラアァーッぬええぇー!」
脚折れるくらい強く踏み切った。
飛び上がって構えた刃先は下っ側、かけ声はもうこれしかない、
「むん!!」
駆け上がった刀が光になる。
切り裂いた影の真ん中に満月がのぞいた。
「ぐおあっ……」
鳴き声が途切れる。時間が止まったみたいな空中の一瞬、あいつと視線が合った。
犬みたいな眼しとった。
「ええ、犬逃げちゃったの? あらまあ、残念やなあ」
母ちゃんは相変わらず忙しくて、深いとこまで聞かん。今日ばかりはそれに感謝や、俺はそしらぬ顔で喋る。
「どっか開いてて脱走したんや。じいちゃんが保健所とかに届け出しとった」
「見つかるといいけどねえ。弓花、元気出しよ。あっ、次のお休み動物園いこか?」
テーブルで宿題やってた弓花は、
「ううん。またにする」
って素っ気なく首を振った。
俺と母ちゃんは目配せして肩をすくめるけど、考えてることは全然違う。
「じゃ、お仕事行ってくるね。今日も暑いから気をつけなさいよ!」
母ちゃんが慌しく出てって、リビングは静かになる。静寂を破って俺は聞いた。
「まだ怒っとんか」
「怒ってない」
弓花はさんすうドリルから顔も上げんと答えた。
「怒っとるやろ」
「ないよ」
「ごめん。他にどうしたらいいか分からんかってん。平安の人らも、ごめんって」
鉛筆が止まる。うつむいた顔に髪がかかって、表情は見えん。
「でも俺、弓花がここにおってくれて嬉しい」
弓花は何も言わんかったけど、マジメな兄謝罪がとりあえずの締めくくりになった…… 多分。
あの夜。
斬り捨てた鵺なんかどうでもよくて、俺は倒れてる弓花に駆け寄った。けど、抱き抱えて揺すっても目開けん。
ゾッてなった時、
「大丈夫、気を失っているだけですよ!」
ってタチバナの声が耳に響いて、一気に力が抜けた。
「タ、タチバナぁ……!」
見回しても姿はない、電話状態で通話続行や。
「お、おま何なん。段取りと全然ちゃうかったやん、いきなりおっさんくっつけてきよって」
「すみません、先に明かしてしまうと憑依術が効かないものでして。あんな場面で時間切れとは、見守る方も肝が冷えました」
さすがに申し訳なさそうで、俺は特別に許すことにした。二度目はないぞタチバナ。
庭の隅っこに崩れてる鵺の身体が、どんどん薄くなってく。それ見ながら俺は息を整えた。
「なあタチバナ。あいつ、わざと」
「いいえ。やらねばやられていましたよ」
どっちが合ってるんかは、もうわからへん。陰陽師はしみじみと言った。
「それにしても、名に恥じぬ戦いぶりでありましたな。お見事です、剣太郎どの」
「うん。ありがとう」
俺は恥ずかしくて誇らしくて、素直に答えた。
「本当に、お武家としてこちらにお迎えしたくらいですよ。今だから申し上げますが妹御もなかなかお美しいですし、ぜひともご一緒に……」
「即刻帰れや」
そんな会話を思い出しながら自分の部屋を見回す。
タチバナはほんまに帰ったし、鵺もおらん。平安の影はさっぱり消えた。
ヨリマサのおっさんによるスーパーアクションのせいで全身の筋肉痛だけがしつこく残って、気がつけば夏が終わりかけてた。
後は、落ち込んだ弓花だけが心配やった。
……んやけど。
鵺との別れからしばらくして、あいつは外に遊びに行くようになった。しかも「たまちゃんと一緒やよ」って言うから、俺は心の底から安心した。
これには母ちゃんも興味津々で、
「たまちゃんってどんな子? いっぺんお家に呼んだらええやん、オムライス作ったげる」
って嬉しそうやし。
つまり悪くない感じや。
コンビニ帰りの青空を見ながら俺は呟く。
「おーいタチバナ、丸く収まったぞ。二度と出てくんなよ」
ヒョウタン顔の平安人を思い浮かべてた時、道の先に弓花を見つけた。
そういや今日も遊んでくる言うとった、どうせなら友達見たろ。俺は立ち止まって壁ぎわに隠れた。
弓花は長い石段を下りるとこやった。
上の方に向かって「またねー」って手振ってて、手を振り返してるのは弓花と同じくらいの女の子。よっしゃ人間や、弓花やったやん!
ガッツポーズしかけた手が止まった。
「待て。変やぞ」
あの子、変わった格好しとる。
浴衣じゃなくってガチの夏着物や。しかもめっちゃ豪華なやつで、豪華やけど何か古い……
俺の予感は当たった。
くるっと振り向いて階段を駆け上がってくお友達。
その後ろ姿に、尻尾。鵺みたいなハゲやなくて金色もふもふふっさふさ、あれってキツネの……
「あー。あの石段の先、神社やったな」
納得した俺に向かって、
「あっ兄ちゃーん!」
って弓花が走ってきて、キラッキラの笑顔で言った。
「たまちゃんにね、ぬえのお墓あるって教えてもらってん! お墓参り行こ、すぐ明日!」
そうやね、鵺塚やね!
行ったら何が起きるんかな? お兄ちゃんの心臓嫌なビートでドキドキや!
……ガチの締めくくりには全然遠かった。
これどうしたらいいん、やっぱ戻ってきてやタチバナァッて平安に叫ぶしかなくて、俺の妖怪まみれの夏が終わってくれへん。
( 了 )
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