④
「確かにアイツに盲目だったな。あの頃はアイツが俺から離れていかないように必死だったし。でも、俺だって悩んでたよ」
昔のことを思い出していたら、亨と何の話をしていたか忘れるところだった。辛うじて直前の会話を思い出すことができ、返事を返す。
「へぇ、何に?」
「お前との関係に」
「何で?」
「だって、アイツもだけど、ずっと傍にいたお前が俺の答え次第で離れていきそうで怖かった」
今日は本当に予想外のことばかり起きる。初めて自信のない亨を見たり思わぬ事実を知ったり。でも、それ以上に今の言葉は驚いた。
まさか亨から"怖い"という言葉が出るなんて、誰が予想出来たのだろうか。何十年も隣にいて、亨から"怖い"と言われたことは一度もなかった。
組の対立で死にかけたことは何度かあったみたいだけど、その時すら"怖い"と言わなかった亨。だからこそ、驚いてしばらく言葉を返すことはできなかった。
「……そんなに私のことも大切にしてくれてたのね。今年が終わる最後に、最高の言葉をもらったわ」
──ねぇ、亨。あなたは一体どこまで私の心を見抜いてたの。
亨が放った"離れていきそう"という言葉は、的確に私の行動を読んでいる証拠。もし亨が明確に私の想いを断っていたら、その時点で離れるつもりだった。私は振られても友達に戻れるような強い女じゃないから。だから、亨が私の気持ちに気付いていても黙っていてくれた優しさが嬉しい。そのおかげで、今もこうして"友達"の関係でいられる。
ああ、でもやっぱり悔しい。知らないところで享の手のひらで転がされていたなんて。
「当たり前だろ。俺の仕事は危険で、何度かお前を危険に晒してしまった。それでも守ってきたのは、お前が大切な友人だからだ。大切じゃなきゃ、暴走してまで守らない」
当然のような顔で言われて、思わず泣きそうになった。亨の言う通り、危険な目にあったたび怖かったけど、必ず助けてくれたのは亨だった。
十夜と付き合ってすぐに、十夜が懐かしむように話してくれたことがある。
『若が暴走するときは、今の彼女が危険なときか香月さんが危険なときだけなんですよ。その時の若はいつも以上に冷酷で、誰も近寄れないんです』
それを聞いたときは私のために暴走するなんてと信じてなかったけれど、今はっきりと本人の言葉で証明された。
「私のために暴走してたなんて馬鹿ね。でも、ありがとう」
「暴走するくらいお前が大切だってことだ。……そろそろ帰るか」
「そうね。次会うときは年明けかしら? ぜひあなたが組長になったお祝いをさせてね」
「ああ、多分そうなるな。新年の最初は引き継ぎやら新年の挨拶巡りやらで忙しくなると思うから、それが落ち着いたら十夜を通して連絡する」
「分かったわ。今度は四人で会いましょう」
私の返事に頷いたあと亨は立ち上がり、会計を済ませに行く。どうやら今日は亨が奢ってくれるらしい。私は亨の一歩後ろについて行き、会計を済ませる前に私の気持ちを見抜いていた彼に一言放り投げた。
「亨、愛してたわ」
──好きよりも深く愛してた。
きっと、亨はそのことまでは知らない。"大切な友人"だと言われたばかりの今、想いを伝えた私は狡いだろう。
でもね、亨。お互い結婚する前に、あと数日で年が明ける前に、きちんと清算すべきだと思うの。
今の私は、亨から振られても離れない。十夜という愛おしい人を見つけているから。亨にも愛している彼女がいるから。そして今はもう、本当にお互い大切な友人としかみていないことを知っているから。
そんな私の心の中をまたも見抜いたのか、亨は立ち止まった。
「ちょっと、今止まったら危ない!」
注意虚しく亨の一歩後ろで歩いていた私は、立ち止まった亨に思いっきりぶつかった。亨の背にぶつかった鼻が痛い。
「あ、悪ぃ」
注意された亨は軽く謝ると、前を向いていた体を私の方に向き直した。そして、しっかりと私から視線を外すことなくはっきりと断ってくれた。
「香月、ありがとう。でも、俺にはアイツ以外愛せない。だから、これからも友人としてよろしくな」
誠実に答えてくれた亨に私ができることはただ一つ。何も言わずに頷き返すことだけ。そうすれば、ほら。
「じゃあ、会計済ませてくる」
何事もなかったように、いつも通りの友人の距離に戻ることが出来る。
次の更新は明日の18時を予定しています。
次が最終話です。