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今回は現代の恋愛についてです。
あらすじは過去の恋と決別すると書いてあるので悲恋だと思われるかもしれませんが、作者的には悲恋だと思わないのでタグに付けておりません。
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「……俺はアイツと別れるべきなんだと思う」
私の隣で覇気が感じられないほどの情けない声音を発する強面な男は、いつもきっぱりと自分の考えは正しいと思い込んでいる頃の彼と違った。
荒々しくグイッと高級な赤ワインを一飲みした彼は、この地域一帯を支配している紫月組の若頭である紫月亨。そして一月五日を迎えたら、紫月組の組長になる男。
その彼の隣で同じく高級な赤ワインを半分ほどまで飲んでいる私は、彼の高校時代の友達。それも、彼にとって唯一の女友達。
私と彼が出会ったとき、いわゆる彼は遊び人で、私の友達が彼と付き合っていたのが彼と知り合うきっかけになった。知り合ってから映画の趣味や食べ物の好みが似ていたことが分かり、彼が私の友達と別れた後も時間が合えばよく遊びに出かけたり喋ったりしていた。
その関係が高校を卒業して、三十歳過ぎた今でも続いているのは奇跡だと思う。彼が当時付き合っていた私の友達とは既に疎遠になっているし、今も仲の良い友達の殆どは大学時代に知り合った子達ばかりだ。
「変わったね、亨」
「……だろうな。俺はアイツのお陰で変われた」
ぽつりと独り言のように呟いた言葉を拾った彼は、私が今まで見たことのないほど優しい顔をしていた。
先程から出ている"アイツ"とは、彼が若頭になってから出来た二つ下の恋人のこと。亨は彼女と付き合い始めてから女遊びを一切やめて、一途に彼女を愛し続けている。信じられないほど、亨は彼女を溺愛しているのだ。
彼女のことは真っ先に亨から紹介されて、何度か食事をしたり会ったりしているのでどんな子か知っている。一言で言えば、砂糖菓子のように甘そうで守ってあげたくなる女性だ。けれど、同時にもうすぐ組長になる彼を支えていけるのか不安になるくらい頼りない感じでもある。
だから、珍しく彼は迷っているのだろう。
極道の世界について亨から聞くこと以外は無知な私だけど、組のことを考えれば彼女と別れ、彼の母のように逞しく頼りがいのある女性と結婚した方がいいことぐらい馬鹿でも分かる。何度か会ったことのある亨の母親は、極道の女に相応しいほど肝が座った格好いい姐さんだ。
でもね、亨。よく考えてみて?
「私は彼女と結婚するべきだと思うよ」
私の意見を率直に言うと、彼は驚いたように目を見開いた。まるで、私が結婚しない方がいいと言うと思っていたみたいに。
「……理由は?」
「理由? そんなの一つしかないじゃない。あなたが好きな彼女は、あなたのぼろぼろな心を守っているからよ。──ねぇ、亨。私が知らないとでも思った?」
いったん言葉を切ってひと呼吸を置くと、ワイングラスの方に視線を向けていた彼の目線が、私の瞳を捉えた。
「あなたは人を傷つけることが好きじゃない。その厳つい顔に似合わず、できるだけ組同士の対立は話し合いで片付けたいし、争うことが苦手でしょ。だけど、若頭という立場上、亨は組員を護らなければならない。だから、自分の心を殺してまで必要な時は人を銃で撃って組員を護っている。その代わりに、そんな享の心を理解して守っているのが彼女。ねぇ、どこか間違っているところある?」
スラスラと並べた言葉に嘘や偽りは無い。彼が初めて手を汚した日、私の胸の中で泣いていたことを知っているから、何年も彼の友達だったから、そして私はかつて彼を一度愛したからこそ、私は亨の本当の思いを理解しているつもりだ。
──だからそんなに驚いた顔しないでよ。
「……いや、間違ってない。お前の言う通り、アイツは俺の心を守ってくれている。初めて手を汚した日に置いていった、俺の綺麗なままの心を。俺が汚れ仕事をするたびに、アイツは俺の代わりに泣いて俺の全部を愛してくれる。なのに、なんですっかり忘れてたんだろうな……」
自嘲気味の笑いを零した亨は、すっかり迷いを断ち切ったみたいだった。もう迷わない、そんな声が聞こえてくるほど、彼の顔は清々しく前を向いた。
「心が決まったみたいね」
「ああ。俺はアイツじゃなきゃダメだ。たとえ組のためにアイツと別れても、先に俺の心が壊れるだけだ。それに、実際のところ周りがとやかく言っているだけで、親父もお袋も反対してるわけじゃない。だから、なぁ、香月」
「ん?」
「俺、アイツと結婚するわ」
予想通りに迷いなく言い切った亨は、今まで見てきたどの亨よりも格好良く輝いて見えた。闇の世界で生きている人だけど、その瞬間の亨はとても眩しかった。
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