ちょうちん祭り
ちょうちん祭りは、優雅で幻想的なお祭りです。見る事だけでは、味わえない地元民のお話を書いてみました。
盆よりも、一ヶ月程早めにやってくる年中行事は、夏の暑さの中から始まる。
昼頃、山へ行って竹を切り出して、持ち帰る。町の区に分けられた家の個数分、、赤いちょうちんを付ける。
そうしている間に、子供たちが集まり出して、やがて、大人も出てきて賑やかになっていく。浴衣に下駄の人達も多い。うちわや扇子を持って。
暗がりになれば、バケツの周りで子供たちが花火を始める。
そこは、車がなんとかすれ違えるくらいの道の両脇に、古びた住宅が詰まって並ぶ前で、椅子が並び、餅をつき、酒を振る舞う、暗黙の歩行者天国となる。
三年前までいたこの中区も、人が減り家の数が減っているが、ちょうちんの数は、減らさないでいる。祭りを賑やかにするために。
各区、ちょうちんの灯りを電池式にしたり、ちょうちんを下げる枝を、角材で魚の骨の様に作ったり、下げる数を、一木当たり三十ぐらいにしたりしているので、年々、縮小している感は、否めない。
それでも、町を出て行った若者たちが、ちょうちん祭りの日には、小さな子供や友人を連れて、戻ってきている。
その一人が私である。
私のいた中区は古臭いやからが多く、区長をはじめとして、年を取ってもう、ちょうちん木担げる力もないのに、「ちょうちん八十より減らさん」といって、ゆずらないらしい。もう、担げるのは、ただ一人なのに。
区長の息子、長倉 強士、通称『つよし』
私と同級生の幼馴染である。
昔は、がたいのいい大人が何人もいたからだが、ちょうちん木持ちは、力比べで取り合ったものだし、それを子供の頃から見ていた私たちは、いつかは自分がと目標でもあった。
ちょうちん木、竹一本に八十ものちょうちんをぶら下げ、重さ七十キロぐらいになる。火を入れたちょうちんを燃やさぬように神社まで往復2キロの道を往復する。これが出来たら、祭りの大男となる。それを毎年やっている強士は誰もが認める、祭りの大男である。
そのがたいと強靭な肉体は、町にいた頃から、きゃしゃな私がいくら鍛えたところで勝てるわけもなく、いつもその前を行く鈴持ちとなる。
この鈴持ちは、竹木に鈴を百八付けたもので、重さ五十キロ程と軽く、火も入らないので、いずれちょうちん木持ちになる候補の人が持つのだが、年齢を考えてもこいつがいる限り回ってこないことは、明らかだった。
強士はそろそろ昼だというのに、竹を取りに行こうとしない。
「どうした、もう酔っぱらったか。」
とにこやかに、肩をたたいた。
「腰をやっちまってなぁ」
「大丈夫か」
さらしを巻いた背中に手を当てて、うつむいている。
「弱音を吐く奴じゃないから、本当にきついようだ。」
「鈴持ちを上げたら」
「まだ高校生で落ち着かん」
『落ち着かん』とは、火が扱えないという事。少しの風で竹は揺れ、ちょうちんが燃える。鈴鳴らしも上手くできないのだろう。
練り歩き中に民家に引っかかって、家が半焼したこともある。そうしたことから、各家の前にバケツがならび、早めの花火を子供たちが遊ぶ。
「本当は四十もあれば、足りるのだろう。竹を小さくすればいいだけじゃないか。」
「歩くのがやっとで、もてそうにない。代わりを頼む、大きさは任せる」
思わぬ言葉に、一瞬、時が止まった。
この町を出たものに持たせていいわけがない。それを承知で、言ってくる。
心底嬉しい。
この町の男の夢なのだ。誰しもが憧れるものだ。一生に一回も無いと初めからあきらめていた事が、今ならできる。決心は一瞬でついた。
周りがどう言おうと関係ない。祭り男は奪い取るものだ。出来ると心底思える者しか言えはしない。
「見てくれ、このために鍛えて置いた身体だ」
と、割れた腹筋を見せた。本当は、海水浴で恥ずかしくならない為の、夏季限定の代物だ。
「しっかり担いでやるから、爺たちの愚痴は任せたぞ、担ぎ終わったら逃げるからな」
子供の頃から近所の子でも叱る時は叱る。そんな町なので、爺と言えど昔の記憶が蘇って、おっかない。
「祭り男が逃げるとは、ははっはっはっ」
笑いながら背中を押してくれた。
もう止まらない。血が沸騰し始めた。忘れかけていた祭りの高揚だ。。
終わるまでもてばいい。動けなくなる覚悟もした。やり遂げる。誰よりも大きな竹に、誰よりも多くのちょうちんを飾り、一つも燃やすことなく、凛として歩く。
鈴持ちの高校生と、近くで遊んでいる中学生を捕まえて、軽トラで竹を取りに行った。
もちろん八十下げれる大きさのを用意した。
それに続こうとしてか、竹鈴にしては大きな竹を切ってきた。
いずれ、こいつが祭り男になるのだろうが、今は渡さん!
強士が選んだのに間違いなかったと、思わせられるだけの事をする事を決めた。
さらしを巻き、浴衣を着る。
ちょうちん祭りは見た目は優雅で幻想的で、穏やかな祭りだ。
亡くなった方が一日だけ戻り、帰っていく日。
だからこそ祭り男は、凛としていなければならない。安心して帰ってもらえるようにするために。
「あら、今年はあんたかい。がんばりな」
と、おばちゃんに背中を叩かれる。
すると、周りにいるおばちゃん達が次々と、励ましの言葉をかけては、叩いて行く。
最後の方になると、子供たちがまねをして、叩き逃げをする。
近所の人ばかりで、三年ぶりとなるので、挨拶をしっかりして、ちょうちん付けを手伝ってもらう。
そして、見栄え良くするために、いらない枝や葉を落とす。
祭り男が、女性たちにろうそくの火つけをお願いする。
十人余りで一斉い火を付けて行く。ろうそくが燃え尽きるまでに戻ってくる為だ。
ちょうちん木を持ち上げると周りから歓声が沸く。
案内役を先頭に、鈴持ち、ちょうちん持ち、子供たち、その家族たちと並んで続く。
一回り大きく二階の屋根のひさしにまで届きそうで、揺らめく、大きなちょうちん木。
曲がり角で、風向きが変わる。うっすらと分かる雲の流れ、庭の木、神社の周りの公園の木の揺れ方を見ながら、ちょうちんを燃やさない様にする。
ちょうちんが燃えると、歓声があがるが、その歓声はほしくない。
交差点で、他のちょうちん持ちと見合うと、大きい方が先に行く。
神社に近づくにつれて、観光客と各区から来たちょうちん木が、立ち並ぶ。
優雅な景色となる。
観光客の多くが、ひときは大きいこのちょうちん木に歓声と拍手が起こる。
毎年の様に聞いていた歓声と拍手が、今年ばかりは、胸に響いた。
神社でお祓いを受けると、帰っていく。
中区まで、一度も下ろさず、燃やす事無く、帰ってこれた。
「お疲れさま」
「お疲れさま」
「お疲れさま」
多くの声と拍手が、身体に響き、泣きそうになる。
顔を赤らめた爺達が、酒を升に波々とついで、差し出してくる。
一気に飲み干すとまた、拍手が起こる。
逃げることを忘れていたが、必要なかった。
落ち着いた頃を見計らった様に、強士がやってくると、
「うまかったぞ」
そう言って、肩を組んできた。
「重いよ」
そう言い返して、持っていた升を渡すと近くにある一升瓶を取って、注いでやった。
そうして、夜遅くまで、道端で賑やかな飲み会が続く。
ちょうちんは、竹の枝ごと切り分けられて、それぞれの家の子供や、年よりが、持って帰る。
そうして家々の玄関先に一つずつ飾られる。
-おわりー
ちょうちん祭りも地域によって様々で、川に流したり、一人一人が持ち歩いたり、踊ったりと、さまざまです。祭りの音や、屋台の匂いがしたら、邪魔にならない様にのぞくと面白いかもしれませんね。