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芒種①

 僕は夢の中にいた。最近よく見る夢だ。僕は石の塊の上に腰掛けていて、隣には白い着物を着た子供が座っている。


 なぜだろう。この子供と一緒にいると安心する。以前は死神を追い払ってくれた。この子は、僕の守り神なのかもしれない。


 この子はなぜか、僕の事をお父さんと呼ぶ。僕は特に気に留めなかった。でもこの子の顔、どこかで見た事があるような気がする。


 どこで見たのだろうか?思い出せない。子供はにっこりと笑い、僕の手をとても強く握る。それはまるで、今まで甘えられなかった分を、取り戻すかのように見えた。


 僕の夢は、そこで途切れた。


「稲田!起きろ!今は授業中だぞ」


 担任が僕の耳元で叫び、僕は飛び起きた。僕は事態が分からず、辺りをキョロキョロする。途端にクラス内から笑いが起こった。


 僕は授業中、居眠りしたらしい。皆から笑われた。クラスの、いや学年のマドンナの郡山も笑ってる。は、恥ずかしいなあ。


 昨日はゲームをやり込んで、就寝が遅かったのが原因かな。僕は欠伸を我慢出来なかった。開かれた窓から、少し湿った風がカーテンを揺らして入ってきた。


 今日は六月十五日。暦で言うと芒種だ。この時期は、穂の出る物の種を蒔く時らしい。確かに田植えもこの時期だったような。


 僕はもう一度欠伸をして、黒板を見る。今は、大学進学者の為の説明会だった。子供の数が少なくなり、大学が余るこのご時世。


 高望みしなければ、進学はそれ程難しくないのかもしれない。でも僕は、進学するつもりは無かった。


 勉強が苦手で嫌いな僕に、大学に行く意味が無いからだ。それでも、将来の為にと進学する人はいるかもしれない。


 でも裕福でない家には、それは負担が大きすぎる。僕が仮に進学するとなると、奨学金を借りなければならない。


 無事大学を卒業出来たとしても、数百万の借金を、背負わなくてはならない。大卒の若造が、その借金を返済するまで何年かかるか。


 だらしない僕に、それは不可能と思われた。そんな訳で、僕は何の迷いも無く、進学を選択肢から外した。


 最も、取り柄のない僕を、雇ってくれる会社があるかどうかも怪しい物だが。今日最後の授業の終わりに、中間テストの結果が帰ってきた。


 予想通り、散々たる結果に僕は落ち込み、鞄を持ち廊下に出た。郡山に声をかけられたのはその時だ。


「稲田君、今日も彼女とデート?」


「え?ち、違うよ。彼女じゃないって」


 郡山は、僕が照れて誤魔化していると思っているらしい。こんなモテない僕が、こんなモテる郡山に誤解される事があるんだと、僕は不思議に思った。


「······稲田君って最近少し変わったよね。なんて言うか、男らしくなった気がする。あの彼女のせいかな?」


 僕は必死に違うと反論したが、郡山は笑いながら、他の友達と何処かに行ってしまった。


 僕は、大切な約束を忘れていた事に気づき、急いで学校を出た

。帰り道の途中にあるスーパーで手早く買い物を終え、自宅のアパートに帰宅する。


 アパートには誰も居なかった。母親は仕事で、妹の希はいつも帰りが遅い。壁に掛けた安物の時計は、十六時を指していた。


 僕は急いでスーパーから買ってきた食材をテーブルに出す。ます米を研ぎ、水につけておく。ジャガイモ、人参、玉ねぎを剥き、鉄フライパンで炒める。


 火が通ったら、だし汁を入れ、お酒、みりん、醤油を入れていく。あとは落とし蓋をして、ひたすら煮詰める。


 次はネギを切り、ごま油で炒める。そこに溶いた卵を入れ、半熟になった所で火を止める。炊飯器にスイッチを入れ、僕は味噌汁に取り掛かった。


 近所の電柱に取り付けらているマイクから、音楽が流れてきた。十七時の合図だ。その瞬間、台所のテーブルの椅子に、人が現れた。


 紺のシャツに黒いパンツ。そして三つ編み。テーブルに座っていたのは、前回の決闘相手、両手きなこだった。


 きなこちゃんは、無言で椅子に座っている。僕は完成した肉無し肉ジャガと、ネギの卵炒めをテーブルに並べる。


「今、ご飯と味噌汁よそうね」


 僕が話しかけても、きなこちゃんは目を伏せたままだ。それにしても、あと一人揃わない。あの食いしん坊が来ないなんて、あり得ない筈なんだけど······


「······誰が食いしん坊だって?」


 僕の背後で突然、殺気がこもった声が聞こえた。危うく僕は、茶碗を載せたお盆を落とす所だった。どうやら僕は、心の声のつもりが、口から漏れていたらしい。


「い、いらっしゃい彼方。約束の時間ピッタリだね。丁度ご飯が出来た所だよ」


 純白のセーラー服を着た少女は、暫く仁王立ちして僕を睨んでいたが、味噌汁の匂いに気づいたらしく、大人しくテーブルに座った。


「彼方。きなこちゃん。遠慮なく食べてね。頂きまーす」


 三人の奇妙な晩餐が始まった。前回の決闘の後、僕はカピパラにお願いした。月に一度、きなこちゃんを僕のアパートに転移させて欲しいと。


 僕はただ、きなこちゃんにご飯を作り、一緒に食べるだけだった。それが彼女の為に、ひいては暦の歪みを正す為になると、カピパラを説得した。


 本心では、僕にそんな確信は無かった。只、きなこちゃんを一人にしたくない。それだけだった。


 カピパラは、試験的に了承してくれた。但し、きなこちゃんに良い影響が無いと判断された時点で、取り止めになると言われた。


 きなこちゃんも決闘に負けた立場上、勝者の僕の要求に従わなければならなかった。僕は料理の味を確認しながら、きなこちゃんを見る。


「きなこちゃん。新しい施設はもう慣れた?」


「······普通」


「タスマニアデビルの訓練、厳しい?」


「······普通」


 きなこちゃんの素っ気ない返事に、僕は満足していた。答えてくれるだけで、ご飯を食べてくれるだけで、僕は十分だった。


 ふときなこちゃんが、彼方を不思議そうに見る。その視線は、彼方の持つ茶碗に注がれていた。


「······お姉さんって、細いのに大食いなんだね」


 途端に彼方の顔が赤くなる。きなこちゃんがそう思うのも無理はなかった。彼方の茶碗には、溢れんばかりのお米が、山盛りで鎮座していたのだ。


「こ、これは違うの!これは稲田佑が、勝手に盛っただけなんだから!」


 ······か、可愛い。赤面する鬼コーチを、僕は不覚にも可愛いと思ってしまった。理由は分からないが、彼方は頑としてお替りを拒んだ。


 だから、せめて一杯で沢山食べて欲しいと大盛りでお米をよそったのだ。彼方は赤い顔を僕に向けた。


「あ、アンタが、こんなに大盛りにするから!」


「え?い、いや悪かったよ」


「······ふーん。お兄さんとお姉さん。仲がいいのね」


 小満一族代表の一言で、僕と彼方は赤面した。


 ささやかな夕食が終わり、きなこちゃんは、迎えに来たタスマニアデビルと共に、転移して行った。


 帰り際、一瞬だけ僕の目を見てくれた。そして小さい声で、ご馳走さまと言ってくれた。僕はそれだけで、世界中が平和になったような嬉しさが込み上げてきた。


「嬉しさが顔から溢れている所、悪いんだけど」


彼方が僕を見つめている。彼方は、前回決闘の最後に言った事を、忘れてくれと言ってきた。


『どうして別れたりしたのよ』


 確かに彼方はそう言った。あれは、どう言う意味だったのだろう?生まれてこの方、恋人なんて出来た事の無い僕に、別れる相手なんて居ないんだけど。


 彼方には、意識を失ったから聞いてなかったと誤魔化した。彼方は一瞬だけ考え込み、ならいいわと言い、この話を打ち切った。


「彼方は僕の所へ何度も来て、学校とか平気なの

?家族は?」


「何よ突然?どうしてそんな事聞くの?」


「い、いや。僕は決闘で、彼方の責任も負ってるからさ。彼方の事も知っておきたいんだ」


 彼方はテーブルの椅子に座り、よもぎ茶を静かに飲む。小さい台所に、時計の針が動く音が響く

。き、気まずい沈黙だな。


「······学校は融通が効くから大丈夫よ。家族は祖母一人だけ」


 僕は内心驚いていた。何を聞いても、守秘義務の一言で、無視されるかと思ったからだ。


「稲田佑。そんな事より、精霊についてアンタに言う事があるわ


 精霊には、あまり馴れ馴れしくしないようにと、彼方に言われた。一族と精霊は、完全な主従関係にある。


 精霊を呼出すあの暦詠唱は、精霊が主人に決して逆らえない為の、見えない鎖だと言う。暦詠唱を唱えないで精霊を呼ぼうものなら、精霊は主人の命令に、従わない事もあるらしい。


 な、なんか殺伐とした話だな。僕なんかに協力してくれるんだから、出来たらこちらも、礼を尽くしたい所だけど。


 そう言えば、彼方はいつもどうやって、僕の所へ転移して来るんだろう?まさか、自分で?僕は素朴な疑問を聞いてみた。


「私にも、タスマニアデビルが一体ついてるの。まあ、半分私の監視役みたいなものだけど。その着ぐるみに転移をお願いしてるわ」


 そうだったんだ。清明一族は、春分一族と並んで、二十四の一族達をまとめる立場にある。だから僕には、特別にコーチがついている。


 以前、彼方にそう言われた。でも、なぜ僕のコーが彼方なんだろうか?彼方は一族の一人らしいけど、詳しくは教えてくれない


「彼方って、もしかして僕の遠い親戚か何か?」


 僕はこの時、深い考えがあってこの言葉を言った訳では無かった。でも、彼女が僕のコーチになる必然性を考えた時、血縁関係という言葉が浮かんだのだ。


 僕の何気ない一言に、彼方の表情は凍りついた。凄く怖い目で僕を見る。


「······どうしてそう思うの?稲田佑」


「い、いや別に何となくだよ。彼方が僕のコーチになる理由って、血縁関係があるからかなって思ったんだ」


「······前に言ったでしょう。私にも、守秘義務があるのよ」


 そうだった。彼方も色々制約があるんだった。それにしても、さっきの反応は······


 その時、台所のテーブルの椅子に、突然何かが現れた。カピバラだ。カピバラの着ぐるみが椅子に座っている。な、なんかシュールな絵だな。


 カピバラは、黙って向かいの椅子に座る彼方を見ていた。どうしたんだろ?何時も有無を言わさず、転移開始しますって言うのに。


 そう言えば、前回の決闘の最後、僕が気を失う時も、こちらを見ていた。いや、あれは僕じゃなく彼方を見ていたのか?


「?何よカピバラ。私に何か用?」


 彼方が怪訝な表情で、カピバラを見返す。カピバラは沈黙を守り、少しだけ俯いた。


「······転移、開始します」


 どうやらカピバラは、茶飲み話に来た訳では無かった。いつものように、僕の視界が暗転した。


 一瞬で僕は異世界に転移した。僕は周囲を見回す。前回から大きな変化は無かったが、一本の若木が目に止まった。


 それは、まだ五十センチ程の若木だった。たった一本なのに、なぜか存在感があるように僕には見えた。


「きっとそれは、あの小学生のせいでしょうね。あの年齢で初候の極に到達。そして精霊を呼出す精神力。あの子は間違いなく天才よ」


 そっかあ。きなこちゃんが、この未来の世界へ影響を与えているんだ。僕はなんだか、嬉しさが込み上げてきた。


「これより、清明一族代表と、芒種一族代表の決闘を開始致します」


 カピバラが機械音を発し、決闘を宣言する。今日の僕の決闘相手が姿を見せる。ん?今日の相手はなんだか······


「両一族代表は、互いに自己紹介して下さい」


「······芒種一族代表、細木真。二十八歳、フリーターです」


 細木と名乗ったその人は、白いシャツに黄色のパーカー、ジャージのズボンを履いていた。そして突き出たお腹が目に止まる。


 顔もふっくらして、なかなか肉付きのいい人だった。髪の毛は寝癖があり、無精髭も伸び放題だ。


「せ、清明一族代表、稲田佑。十七歳、高校三年生です」


 ······なんだろう。この細木さんからは、自分と同じ匂いを感じる。目立たず、注目されず、モテず。それは、決して日の目を見ることの無い人生。


 細木さんも、僕に同類の匂いを感じ取ったのだろうか。穏やかや表情で僕を見ている。


 気づくと、僕達の目の前に、二つのテレビ画面が置かれている。またゲーム対決だろうか?しかし、ゲーム機は見当たらない。


 その代わりに、押しボタンと思われる箱が二つ置かれていた。


「あの思い出が甦る!今日の対決は、我慢対決と致します」


 ······我慢対決?テレビ画面、そして押しボタンが、我慢と何の関係があるんだ?この時僕は気づかなかった。


 この対決方法が、僕と細木さんに、とんでもない地獄を見せる事になるとは。


 








 


 


 


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