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小満②

 最後に竹馬なんかに乗ったのは、いつの頃だろうか。幸い、運動音痴の僕でも竹馬には乗れた。


 砂の上を竹馬で走るなんて、初めての経験だ。竹の棒が砂に埋まり、思うように進まない。


 決闘相手のきなこちゃんも、流石にこれは手こずっている様子だった。僕はなんとかバランスを保ちつつ、きなこちゃんに近づく。


「きなこちゃん待って!忘れられるって、本当に辛い事なんだ」


 好きだった人に忘れられても、あんなにキツイのに、家族に存在を忘れられたら、どれ程辛いか。しかも、十歳の子供に。


「······じゃあ、お兄さんが負ければいいじゃない」


 痛い所を付かれた。でも、僕一人の問題じゃないんだ。決闘で戦った人達、そして彼方の責任も僕は負っている。


「僕にも事情があって、負ける訳には行かないんだ。ただ、きなこちゃん分かって欲しんだ。忘れられる辛さを。その上で決闘をして欲しい」


 僕は、自分でも訳がわからない事を言っていた。それは自覚している。でも言わずには居られない。


「はあ?意味分かんない。って言うか、お兄さん、道徳の教師か何か?······ウザッ」


 夏休みの宿題は、計画的に片付けないと、後で痛い目に遭うよ。それは例えると、大人が子供に伝える、警告のようなものだったのかもしれない。 


 僕はキナコちゃんに近づき、更に声を掛ける。


「うるさい!」


 キナコちゃんは、両手と左足でバランスを取りつつ、右足で僕の竹の棒を蹴った。


 僕は左足を乗せていた棒を、手と足から離してしまい、左足を砂の上に着けてしまった。


「私は孤児院で生活しているの。給料の為に私達を世話している職員。負け犬みたいな目をしている他の孤児たち。憐れみという優越感で私を見るクラスメイト。忘れられて困る人なんて一人もいないのよ。分かった?道徳教師のお兄さん」


 きなこちゃんの身の上話は、僕を絶句させた。のほほんと、毎日をダラダラ過ごしている僕には、何も言葉が浮かんでこない。


「清明一族代表は、スタート地点に戻って下さい」


 カピパラの着ぐるみが、僕に警告する。きなこちゃんは僕に一瞥もせず、先に進む。僕は突然の情報量に戸惑い、動けない。


 僕は勝手に想像していたんだ。きなこちゃんには、両親や兄弟、友達が普通にいると。僕は一人で、余計で大きなお世話を、大声で繰り返していたんだ。


「稲田佑!早くスタート地点に戻って!」


 後ろから彼方の声か聞こえた。そうだ、僕には呆けている余裕はない。色んな人達の責任を負っているんだ。


 僕はただ義務感で足を動かし、再びスタート地点から竹馬を走らせる。高校生と小学生の体力差はやはり大きい。僕は時期にきなこちゃんに追いついた。


 駄目だ。僕なんかに、こんな境遇の子供に何を言える?何も言えなかった。でも勝手に僕の口が動く。


「······きなこちゃんは、両親の事は······」


「私の母親は、子供の父親が誰かも分からない程、だらしない女よ。その女に栄養失調にされた所、通報されて保護されたわ。これで満足?道徳教師のお兄さん」


 僕は再び絶句する。施設の職員の人達は、親の居ない子供達の為に、必死で働いている。施設で育つ子供達だって、明るい未来の為に努力している。


 クラスメイトだって、親が居なくても、友情を持ってくれる子だっている······そんな言葉が浮かんで消えた。


 僕の声など、きなこちゃんに届く筈もなかつた。それでも、馬鹿な僕は今浮かんだ言葉を口から外に出してしまう。


「······ねえ、道徳教師のお兄さん。お兄さんが決闘を始めたのはいつ頃?」


 きなこちゃんは僕の言葉を冷然と無視し、質問を投げかけてきた。決闘を始めた時期?桜の散る時で、今から二ヶ月弱前だろうか。


「その時から全ての一族代表に、あのタスマニアデビルの着ぐるみが、側についているのよ」


 それってコーチって事かな?僕に彼方がついているみたいに······え?ま、まさか?


「二ヶ月間、私には訓練する期間があったって事よ!」


 僕の想像は現実になった。きなこちゃんは、前回の決闘の僕のように、暦詠唱を唱え始めた。


「末候!麦秋至むぎのときいたる


 きなこちゃんの頭上に、七十ニ気神の精霊が現れた。尖った髪、鋭い両眼と引き締まった身体。上半身は裸で、褐色の肌をしていた。下半身は獣の皮のようなものを纏っている。


 な、なんか原始時代から飛び出してきた感じの精霊だった。精霊は僕を睨む。こ、怖いんだけどこの精霊。


 七十ニ気神の精霊は、月の上旬は心。中旬は技。下旬は体を司っている。今日は二十一日の下旬だから、末候の精霊が、最も力を発揮すると彼方が教えてくれた。


「精霊!あの学生服のお兄さんを痛めつけて。竹馬に乗れなくなる位にね」


 きなこちゃんが、非情な命令を精霊に下す。こ、こんな逞しい精霊に攻撃されたら、僕なんて一撃で倒される!


「稲田佑!ボサっとしてないで、アンタも精霊を呼び出して!」


 彼方が、僕を我に帰らせる。僕は無我夢中で暦詠唱を口にする。


「暦を守りし番人の名において命ずる。その姿を現し、我に従え!」


 僕は叫んだ。


「末候!虹始見にじはじめてあらわる


 詠唱を終えた僕の頭上に、何かが現れた。前回と違い、姿を見なくてもそう感じた。その七十ニ気神の精霊は、静かな目で僕を見た。


 黒髪を頭の上で結っている。細い両眼と細い頬。一見痩せているように見えたが、精悍で引き締まった顔だ。


 身体は黒い鎧を着ている。まるで、戦国時代の武将が着ている鎧のようだ。過度な装飾は無く、ただ実戦の為にだけ造られたような鎧だった。


 腰に刀と脇差しが帯刀されていた。黒い鎧武者は僕の前に膝を着き、頭を垂れた。


「御主君。ご命令を」


 鎧武者は、低い声で僕に指示を仰いできた。こ、この人、目と声に迫力あるなあ。


「相手の精霊の攻撃を、止めて欲しんだ。僕が竹馬から落とされないように」


 鎧武者は、きなこちゃんが呼び出した精霊を一瞥する。


「奴の生死は問わない。それでよろしいでしょうか?」


 せ、生死?いや、そんな物騒な。と言うか、精霊達も死ぬ事があるのか?


「人間界の死とは少し異なります。精霊が一度絶命すると、次に目を覚ますのは、数百年の時間が必要になります」


 黒い鎧武者が、僕の疑問に答えてくれた。なる程。一度精霊を失うと、少なくとも、一族達との決闘の期間は、もう呼べないらしい。


 鎧武者が言い終えると、地に着けていた足を蹴り、飛び上がった。褐色の精霊が間近に迫っていたのだ。


 屈強そうな褐色の精霊に、鎧武者がぶつかる。両者とも両手の掌を掴み合い、睨み合う。


「命まで取る必要はないから!動きだけ止めてくれ!」


「承知致しました」


 僕は後方支援を鎧武者に託し、竹馬を走らせる。きなこちゃんの小さな背中が、間近に迫る。僕は証拠にも無く、また叫ぶ。


「きなこちゃん聞いて!僕は勉強も運動も駄目で、友達もロクにいない。でも、自分を忘れて欲しく無い人は、一人ぐらい居るんだ。君にだって、そんな人がいる筈だ。例え今居なくても、きっとこの先現れるから!」


 僕はきなこちゃんの隣り並んだ。彼女の返答は、面倒臭そうなため息だった。


「ねえ、道徳教師のお兄さん。私がなんで、こんな決闘をやってると思う?」


「え?そ、それは、存在を消されたくないから。もしくは、暦の歪みを正す為に······」


 そうだ。きなこちゃんは、存在を消されるなんてどうでもいいと言った。では、暦の歪みを正したいから?······そんな風にはとても見えない。


「私はこの決闘に勝ち続けて、全ての一族に命じるのよ。この世界の気候を、メチャクチャにしろってね」


な、何を言っているんだ?この子は?


「決闘に負けたら、相手の一族命令は絶対。私は、こんな世界壊してやるのよ!」


 これが、僅か十歳の子供が言う言葉なのか?こんな小さな子に、ここまで言わせたのは、誰のせいだ?


 彼女の両親?環境?社会?分からない。頭の悪い僕には、とても答えなんて分からない。その時、僕の頭に何かが入り込んできた。


 それは、公園でナンキンハゼの心を感じ取ったイメージと同じ感覚だった······これは、きなこちゃんの感情?心か?


 それはとても薄暗く、どす黒い塊だった。僕は吐き気がした。こんな、こんな黒く重い物を、あの子は抱えているのか?


 その時、僕の頭上に褐色の精霊が、猛然と突っ込んできた。それを阻止すべく、黒い鎧武者が追撃する。


 褐色の精霊が、空中で突然静止し、振り向きざまに、後ろから迫る鎧武者に右拳を付き出す。ボクシングで言うと、カウンターの原理だろうか。このまま攻撃を受ければ、鎧武者は自分の勢いの分もダメージを負う。


 鎧武者は勢いをそままに一回転し、褐色の精霊の右腕に、かかと落としを叩きつけた。褐色の精霊は、苦悶の表情を見せ、鎧武者から距離を取る。


「多岩石流雨!!」


 褐色の精霊が何か叫ぶと、砂漠の中から大小無数の石が浮き上がって来た。石は褐色の精霊の周囲に集まると、鎧武者に向けて物凄いスピードで飛んでいった。


「あ、危ない!逃げて!」


 僕が叫んでも、黒い鎧武者は動かない。上半身をかがめ、右手で刀の柄を握る。


「黒炎刀演舞!」


 鎧武者が刀を抜くと、半月の形をした炎が飛び出した。轟音と共に、その炎は石を蹴散らし、褐色の精霊に直撃した。


「ぐああっ!」


 炎に包まれた褐色の精霊は、苦痛のあえぎ声を発し、地上に落下して行く。僕と鎧武者の視線が交錯する。

 

 ······あの精霊は、頑強な身体の持ち主ゆえ、死んではおりません。僕は、なぜか鎧武者がそう言っているような気がした。


 僕は小さく頷き、鎧武者に目で礼を言う。精霊を呼出す代償。精神の消耗は、後からやって来る。僕は全身のだるさを感じていた。

 

 それはきなこちゃんも同様で、肩で息をしている。僕は身体ごと、きなこちゃんにぶつけた。


 それは故意か、消耗によるふらつきか、自分でも判別つかなかった。僕ときなこちゃんは、竹馬から落ち、砂の上に倒れた。


「清明一族代表並び、小満一族代表は、スタート地点に戻って下さい」


 カピバラの機械音が響く。きなこちゃんは、砂だらけになった身体を手で払う余裕も無く、自分の呼び出した精霊を探す。


「精霊はどこよ?早く邪魔者をどこかにやって!」


 僕は彼女に近づく。自分がこれから、何をしようとしているのか?自身でも分からなかった。


 僕は、きなこちゃんの頬を叩いた。


「······何すんのよ!痛いじゃな······」


 彼女が言い終える前に、僕はまた、きなこちゃんの頬を叩く。それを繰り返す。何度も、何度も。


 この乾燥した世界に、少女の頬が叩かれる音が、静かに響いた。


「稲田佑!止めなさい。一体アンタどうしたの?」


「彼方は黙ってて!!」


 僕の肩を掴む彼方を無視しながら、僕はきなこちゃんの頬を叩き続けた。


「稲田佑······」


 きなこちゃんの両頬は赤く腫れ、両目は涙で滲んでる。それでも、僕を睨む目には、まだ力があった。


「······どうだ?痛いだろ?苦しいだろう?だったらこの痛みを忘れるな。いつか大人になったら、僕に仕返しに来い」


「······何を訳分かんない事、言ってんのよ」


「僕は忘れない。いつか仕返しに来る君を。世界中の人が君の存在を忘れても、僕だけは絶対に君を忘れないからな!!」


「······なんでお兄さんが泣いてんのよ」


 きなこちゃんに言われて、初めて自分が泣いている事に気づいた。なぜ僕は泣いているんだろう。分からない。自分のこの言動も、分からなかった。


「君にこんな酷い事をした僕を忘れるな!仕返しが出来る大人になるまで!だから、それまで強く生きろ!負けるな!負けるな!


 ······僕は何を言っているのだろう。分からない。とにかく悲しかったんだ。心が何か重い物に押し潰されるように痛む。


 僕は手を止めた。もう駄目だ。薄っぺらい人生を生きてきた僕に、これ以上何も出来ない。ごめんね。きなこちゃん。


 ······顔を上げ、きなこちゃんを見ると、彼女は小さい肩を震わし、僕を凝視していた。目と頬が赤い。こんな子供に、酷い事をしたなあ。


「······これは、お兄さんの心の声······?」


 きなこちゃんが何を言っているのか、僕は最初分からなかった。彼女は初候の極に到達していて、僕の心の声を聞いたと、決闘の後、彼方が教えてくれた。


 きなこちゃんの両目から、再び涙が溢れる。彼女は大声で泣いた。それは、どんな涙だったのか、僕には分からなかった。


 ······タチの悪い熱にかかったように頭がクラクラする。気づくと僕は、きなこちゃんの手を引いてスタート地点に戻っていた


 僕は半分無意識の状態で竹馬に乗り、ゴールを目指した。一度だけ後ろを振り返ったが、きなこちゃんは俯いたまま動かなかった。


 どれくらいの時間がかかったか。僕は、二体のタスマニアデビルが持つ、ゴールテープを切った。


「この決闘は、清明一族の勝利とします」


 カピバラの着ぐるみが、決闘の終わりを告げた。


 僕はきなこちゃんに、暦の歪みを正す活動をする事を命じ、タスマニアデビルに、その指導監督を一任した。


 決闘の余韻を許さないかのように、タスマニアデビルがきなこちゃんを連れて行く。


 僕はただ黙っていた。これ以上、何も彼女に出来る事は無い。いや、出来る事なんて一つも無かったんじゃないだろうか。


 きなこちゃんがタスマニアデビルから離れ、僕の近くまで走ってきた。十メートル程手前で足を止め、彼女は叫んだ。


「······私は変わらないから!私を捨てた親も!私を憐れむ連中も!この世界ごとメチャクチャにしてやるんだから!」


 無音のこの世界に、僅か十歳の少女の呪いの言葉が響く。僕は弱々しく笑い、彼女に頷いた。


 ······今はそれでいいよ。何でもいいから、僕に仕返しに来るまで強く生きて。


 きなこちゃんが、何かに気づいたように顔を上げ、また涙ぐんだ。僕に背を向け、タスマニアデビルの元へ歩いていく。


「絶対強くなって、仕返しに来るから!」


 背を向けたまま、彼女は叫んだ。そして、タスマニアデビルと共に姿を消した。あの娘の心の涙は、いつか乾き止まるのだろうか。


「御主君。ご無事で何よりでした」


 気づくと、鎧武者が僕の目の前で、ひざまづいていた。


「ありがとう。君のおかげで助かったよ。ええと、君の名前は?


「我々、七十ニ気神に名などございません。精霊とでもお呼び下さい」


 ······何故だろう。この精霊は、まるで抜き身の刀身のような鋭さを感じる。戦いが己の全てと。そう物語るような雰囲気を纏っている。


「······げつえん。月炎なんてどうかな?君の名前に」


「月炎······でございますか?」


 鎧武者は、少し戸惑った表情を見せた。今度の主人は、妙な奴だと思ったのかもしれない。


 幸い鎧武者は、僕の命名を了承してくれた。お呼びがかかれば、いつでも馳せ参じると、心強い言葉を残し消えて行った。


「······ねえ、彼方。決闘に勝った一族の命令は絶対なんだよね?」


 僕は後ろを振り向き、彼方に以前聞いた事を確認する。


「ええ。命令は絶対に、受け入れなくてはならないわ」


 僕は頷くとカピバラの前に行き、ある事を話した。その様子を見ていた彼方は、僕の目を真っ直ぐ見つめながら口を開く。


「······稲田佑。アンタは何で、他人にあそこまで一生懸命になれるの?」


 え?何でって、そんな事分かんないよ。深く考えて行動している訳じゃないし、気づいたら、自分でも訳分かんない事言っているんだ。


 ······おかしい。今日は身体が言う事効かない。僕は膝が折れ、倒れそうになった。その時、彼方が僕の身体を支えてくれた。


 彼方の髪の毛から、何かいい匂いがした。彼方が言うには、今日の僕は、精霊を呼び出した他に、きなこちゃんの心を感じ取った為に、消耗が重かったらしい。


「······はは。この体たらくじゃあ、また反省会だね」


「······どうして?」


「え?」


「そんなに他人を想えるなら、どうして別れたりしたのよ!!」


 僕には、彼方の言葉の意味が分からなかった。意識が薄れ、僕は無意識の闇の底へ落ちた。瞼を閉じる瞬間、カピバラの着ぐるみが目に入った。カピバラは、なぜかこちらをじっと見続けていた。



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