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春分

 巨大な阿修羅像の頭上から、修行僧の精霊は杖を振り、錫杖の輪が鳴り響く。そうだ。あれは、精神を攻撃する音だ。


「······なる程。精霊を操る本人を狙ったのね」


 郡山が両手で頭を抑え、砂の上に膝をついた。彼方は阿修羅像では無く、郡山を攻撃したのか!?


「不吉な闇は、元から断たせてもらうわ。覚悟しなさい。郡山楓」


 修行僧が左手を広げ、胸に当てる。あれは、目に見えない衝撃波だ。


「失礼ね。出雲彼方さん。それを言うなら、臭い匂いよ」


 修行僧の精霊の攻撃は、郡山に届かなかった。衝撃波を放つ前に、阿修羅像の左拳が修行僧の精霊の背中を直撃する。


 彼方の精霊は、地面に叩き落とされた。そこを阿修羅像が踏み潰そうと足を上げたが、修行僧の精霊は素早く距離をとって離れる。


「······その千里眼とやら。万能では無いようね」


「どう言う意味かしら?出雲彼方さん」


 互いの精霊を背後に従え、二人の女子高校生は睨み合う。


「千里眼が万能なら、黒幕本人がこんな戦場に出る必要はないわ。柔らかいソファーで、ふんぞり返って高みの見物が出来る筈よ」


「······半分正解よ。出雲彼方さん。この能力は厄介なの。知りたい時は分からずに。見たくない時は見えてしまう。本当に面倒なの」


 二人の舌戦の温度は、だんだん高くなって行った。


「······それを正しい道に使えば、どれだけの事が出来たか。それを安易な破壊に手を染めめた。所詮それがあんたの限界よ。郡山楓」


「悲劇のヒロインのまま死ぬつもりが、うっかり生き残ってしまった気分はどう?恥ずかしくて死にたいなら手を貸すわよ?出雲彼方さん」


 思いやりと気遣いの対極にある言葉の応酬は、精霊同士の戦いに移行した。修行僧の精霊が猛スピードで阿修羅像の背後に回り

、錫杖を叩きつける。


 阿修羅像が苦痛の呻きを漏らす。報復に六本の腕が彼方の精霊を襲う。修行僧の精霊は六本の腕を錫杖で払い、それを避ける。


 僕は二体の精霊の戦いを見上げながら、心の中で紅華、爽雲、月炎に語りかけた。もう一度だけ、僕に力を貸してくれと。


「爽雲!」


「あいよ旦那」


 阿修羅像の足元に、爽雲が現れる。不敵に笑う爽雲を、阿修羅像は右足で踏み潰そうと足を上げる。その時、阿修羅像のバランスが崩れた。


 爽雲は阿修羅像の右足を重くし、左足を軽くした。阿修羅像は倒れそうになったが、六本の手を地面につけ、自分の身体を支えた。


「月炎!」


「は!」


 がら空きになった阿修羅像の背中を、月炎が炎の刃で一閃する

。阿修羅像な背中に、大きな亀裂が走った。


「紅華!」


「かしこまりました」


 紅華の紅い眼が、阿修羅像の背中の亀裂を更に広げていく。


「彼方!」


「任せて!」


 修行僧の精霊が、拡大した背中の亀裂に、衝撃波を放った。その衝撃波は阿修羅像の背中を貫き、胸に大穴を開けた。


 阿修羅像の精霊は、立たったまま沈黙した。か、勝ったのか?郡山を見ると、自分の精霊を見上げている。


「······六終収斂」


 それは、まるで世界の終わりを告げるようや囁きだった。郡山は確かに言った。六終収斂と。


 沈黙したまま屹立する阿修羅像の頭上に、黒装束の聖霊が浮いていた。二体の精霊は重なり合い、一つになって行く。


「止めなさい!郡山楓さん。三終収斂の精霊を二体合わせるなど

、どんな危険が貴方に及ぶか予測が出来ません!」


 彼方の母が郡山に叫ぶ。郡山は目を伏せている。もうどうでもいい。まるで、そんな表情だ。


 その時、僕の中に何かが流れ込んで来た。······これは、郡山の心の中のイメージ?


 ······病室の一室に、二人の男女がいた。季節は夏で、開けられた窓の外には、一面のひまわり畑が広がっている。


 二人がベットに腰掛けている。一人は郡山。もう一人は、細身の男だ。血色は良くないが、とても穏やかな顔をしている。


 ······病室の入り口の名札には、波照間と名前があった。この細身の男は、波照間隼人か?


 二人はとても楽しそうに話し込んでいる。郡山の表情は、見た事がないくらい幸せそうだ。そうか。二人は恋人同士だったんだ


 場面が切り換わり、波照間隼人はベットに伏していた。郡山は波照間隼人の左手を握りしめている。


 再び場面が変わる。ベットには誰もいなかった。郡山は無人のベットを、立ち尽くしたまま見つめていた。郡山が何か呟いている。


······隼人。あなたの想いは、私が継ぐわ

 

 僕の中に流れ込んできたイメージは、そこで途切れた。現実の僕の目の前に現れたのは、人の形をした黒い闇だった。


 合計六体の精霊が一つになったその姿は、雲とも霧とも言い難い、不気味な形容をしていた。


 黒い闇の精霊は、足元にいた爽雲に右腕を伸ばす。黒い手が地面にぶつかり、砂埃が舞う。


 爽雲は回避したが、黒い手が触れた地面が、消失していた。な、なんだあれは!?


「黒炎刀演舞!」


 月炎が空から半月状の炎の刃を放つ。その刃は黒い闇の頭部を直撃したが、炎の刃は闇に吸い込まれ消えた。


 その光景を見た僕は、紅華、爽雲、月炎に距離を取るよう指示した。あれは、あの闇に触れたら大変な事になる!


 僕は、力が入らない両足を引きずりながら歩き出した。


「······これが、あんたの千里眼が見た結末なの?」


 血の気が失せた表情で、彼方が郡山に問いかける。


「······言った筈よ。出雲彼方さん。千里眼は厄介で面倒だって。知りたい未来は見えなくても、大切な人の死は見えてしまうの」


 僕は朦朧とする意識を必死で保ち、郡山の前に辿り着いた。


「郡山!波照間隼人は、自分の代わりに暦の歪みを正す事を君に託した。これは、こんな事は彼は望んでいない!」


 無気力な瞳を僕に向ける郡山の頭髪が、次々の抜け落ちて行く

。鼻と口からは血を流し、顔は急速にやつれて行った。これが、六終収斂の代償なのか?


「······世界を一度大掃除する。私は隼人の遺志を違えてないわ。ただやり方が違うだけ。隼人の居ないこの世界の人間なんて

、私にはどうでもいいの」


 ······郡山の絶望した感情が、僕の中に流れ込んでくる。郡山は、波照間隼人の元へ行きたがっている。でも、彼の遺言が郡山を縛り、それを許さない。


「郡山!波照間隼人は望んでいた。君が幸せになる事を!君は今、波照間隼人が願った未来の姿なのか!?」


「······私の心を覗いたのね。稲田君。私もいい事を教えであげるわ。何故、終候の極の領域にいるあなたが、初歩の声が聞けないか」


 郡山は起伏した砂の上から、僕を見下ろした。僕は何故か、断罪される罪人のような気分になる。


「あなたが自ら心の耳を塞いでいるからよ。無意識にね。あなたは異常に恐れている。相手の声を聞くことを。それによって、自分が傷つく事を」


 ······そうだ。僕は自分の殻に籠もり、自分を守っていた。それが、木々の声が聞こえない理由だったのか。


 誰かが僕の右手を握った。その手の主を見ると、彼方がそこに居た。彼方はゆっくりと頷く。僕も同じ事をする。


「郡山。僕はきっとこれからも、人との関係を上手く築いて行けないと思う。それに自己嫌悪し、直そうとして、また上手く行かなくて落ち込む。ずっと、それを繰り返して行くと思う」


 僕は無意識に、彼方の手を強く握っていた。


「でも、それでも僕は、大切な人が一人いるだけで頑張れる。勇気を貰える。何でもない草木が、空が、世界が、愛おしく思える。こんな僕でも、暦の歪みを正そうと思えるんだ」


 黒い闇は、不吉な足音と共に、郡山の背後に迫って来た。


「だから郡山!君がいるこの世界に絶望しないで!君が大切に想える人が、きっとまた現れる!波照間隼人も、それを望んでいる


 黒い闇の人の形が、急激に崩れ始めた。その闇は四方に広がり、僕達を、この砂漠の世界すら覆い尽くすと思わせた。


「······稲田君。私、もう疲れたの」


 郡山がその場に膝を着き、倒れた。その時、彼方の母が僕達に叫ぶ。


「彼方!稲田君!言霊権を使いなさい!それしか助かる方法はないわ」


 僕と彼方は互いに顔を突き合わせる。僕は以前、カピバラに質問した。言霊権は、ただの交渉権だけじゃない。何か大きな力ではないのかと。


「······彼方、言霊権の使い方しってる?」


「し、しってる訳ないでしょ」


「だよね」


 僕は何故か、場違いな笑いが込み上げてきた。


「なんで笑ってるのよ。こんな時に」


 そう言う彼方も笑っていた。やっぱり彼方は、笑った時、素顔の何倍も可愛く見える。


「彼方。目を閉じて。二人で言霊権の使い方を聞こう。僕達が生きた世界の全てに。この世界は僕達より長生きしているから、きっと方法を僕らに教えてくれる」


 彼方が、澄んだ瞳を僕に向ける。


「······声を聞く事が怖くない?稲田祐」


「怖くないよ。彼方が一緒にいるからね」


 彼方は微笑んだ。それは、今までの見た彼方の笑顔の中でも、とびきり一番に可愛かった。


 僕らは手を繋ぎながら、両目を閉じた。僕は意識の扉を開放する。瞬く間に、世界中のありとあらゆる声と心が流れ込んできた


 僕はそれに逆らわず、身を委ねた。膨大な意識の洪水の中で、僕は何故か窒息しなかった。以前の僕は、パンクしそうになる意識をすぐに閉じていた。


 だが、今は閉じなくてもそこに居られる······そうか。自ら飛び込んて行けば、居場所って見つかるのかもしれない。


 暗い不吉な闇は、僕と彼方を飲み込もうした。


「言霊開放!!」


 僕と彼方は、同時に叫んだ。


 僕と彼方の周囲から、白い光が輝き、広がっていく。その光は黒い闇を消し去り、この砂漠世界の隅々までに届いていった。


 ······僕と彼方は空を見上げていた。その視線の先に、雲一つ無い青い空が広がっていた。


 僕は倒れていた郡山を抱き起こした。郡山は虚ろな目をしていた。僕の余計な口が、また動きだす。


「郡山。言葉ってね。信じられないような力があるんだ。僕はそれを大切な人から教わった」


 郡山の生気の欠けた両眼が、僕に向けられた。


「だから、僕は君に言葉を贈るよ。言葉の力を心から願ってね」

 

 僕は目を閉じ、心を込めて言葉を発した。


「楓。君がお婆ちゃんになる頃。僕は黒猫に生まれ変わって、君の元へ現れる。その時はよろしくね」


 ······それは、僕が郡山の心を見た時、波照間隼人から流れ込んできた彼の心の声だった。


 千里眼は見たくも無い物を見せられてしまう。波照間隼人は、自分の未来をその時知っていた。


 波照間隼人の見た未来は、彼にとって目を背けたくなる物だったのだろうか。僕はそう思えなかった。


 猫に生まれ変わり、郡山の側に行く。それは彼にとって、幸せな事かもしれなかった。


「······隼人」


 郡山の両目から、涙があふれ出す。冷徹な顔は、大切な人を想う少女の顔に戻っていた。


 一面砂漠の世界に、静寂が戻った。この乾燥した世界に、また一から緑を増やして行く。それが未来の世界の、いや、お米が食べれる世界にする為に必要な事だった。


 郡山はタスマニアデビルに介抱され、元の世界へ消えて行った

。僕は笑顔でそれを見送った。郡山なら、きっと立ち直れると信じて。


 三人の頼もしい友人達も笑顔で去って行った。最後は、母と娘の別れの時間だ。


「······彼方。元気でね」


「うん。お母さんも」


 千の言葉を言い尽くしても足りない筈の二人は、互いにそう言うのがやっとだった。そう言えば、郡山が去り際言っていた。


 彼方の母は、理の外の存在の一員になるかもしれないと。力を弱めていく理の外の存在は、彼方の母をスカウトする為に、審判をやらせたのだろうか?


 二人が抱きあった後、彼方の母は僕に言った。


「稲田君。彼方はこれから、あなたと同じ世界で生きて行きます

。ですが、その世界には十八歳の私も存在しています。稲田君には酷な話ですが、あなたから彼方の記憶を消します」


 ······僕は、自分でも意外と落ち着いていた。彼方の母は、理の外の存在と交渉した時、米死病を克服した彼方が、生きていく場所まで考えていたのだ。


 僕に異存は無かった。彼方が死なないと分かっただけで、僕には充分だった。


「稲田祐。私が居なくて、ちゃんと訓練を続けられるの?」


 彼方の両目が潤んでいる。ほんとによく泣くなあ。彼方は。


「彼方こそ、僕が居なくても平気?もうご飯は作ってあげられないよ」


 僕は平静を装って軽口を叩いた。駄目だ。やっぱりこれは辛いや。


「言うようになったわね。稲田祐。砂漠で大こけする、鈍くさかったあん······」


 彼方が言い終える前に、僕は彼方を抱きしめた。彼方の体温と香りが、僕の身体中に伝わって行く。


「元気で彼方。ちゃんとご飯食べてね」


「······最後の台詞がそれなの?」


 僕が最後に見たのは、泣きながら苦笑している彼方の顔だった

。薄れゆく意識の中で、僕は白い着物を着た少女を見た。


 彼方によく似たその少女は、笑顔で僕に言った。


『待ってるね。お父さん』


 彼方を母と言い、僕をお父さんと呼ぶこの少女は一体······


 僕の意識は、そこで途切れた。



 ······季節は移ろい、また春がやってきた。僕は卒業式の帰り道、川沿いの桜並木を歩いていた。


 僕は結局、就職しなかった。何か食べるものを作る技術を習得したかったので、取り敢えず農家さんにアルバイトとして働かせてもらう事になった。


 何故か僕は、一番最初に米作りを学びたかった。何度考えてもその理由が分からない。そう言えば、郡山に卒業式の時、感謝の言葉と妙な事を言われた。


 待ち人現れると。一体何の事だろう?僕は、ピンク色に染まった桜並木を眺めていた。今日は三月二十日。暦の上では春分だ。


 大いなる自然と生き物に、敬意と慈しむ心を持つ日だ。僕は桜を見上げていると、不思議な気持ちになった。


 ······何故だろう。何か大事な事を忘れているような気がする。


 その時僕は、タスマニアデビルの着ぐるみとの訓練の約束を思い出した。時間に遅れると焦り、僕は駆け出した。


 その時、とても強い風が僕の前で吹いた。風は僕を通り抜け、どこか遠くへ消えて行った。目を開けた僕は、咄嗟に桜の木を見た。


 ······良かった。桜の花びらは、それ程散っていなかった。


「桜の花が散らなくて安心したの?」


 声がした。女の子の声だ。僕が後ろを振り返ると、桜の花びらが舞い散る中に、純白のセーラー服を着た少女が立っていた。


 肩より長い髪。意思が強そうな両目。だけどなんでたろう。その両目は微かに揺れていた。


 僕は彼女に向かって歩きだした。それは直ぐに、駆け足に変わる。何故そうするか、自分でも分からなかった。


 僕の視界が突然暗転した。僕は足がもつれ、転けてしまったのだ。頭を擦りながら、目を開くと、青い空と桜の花びらが見えた


 その視界に、僕を見下ろす彼女の顔が映った。


「相変わらずね。あんたって本当に鈍くさいんだから」


 僕の頬に何かが落ちてきた。それは彼女の涙だった。僕の口が、勝手に言葉を紡いで行く。


「······彼方?」


 彼女の顔は、驚きから喜びの表情に変わる。


「······どうして分かったの?稲田祐」


 それは新しく理の外の存在に加わった、彼方の母の仕業だなんて、この時の僕達は知る由も無かった。


「私がいない間、ちゃんと訓練していたんでしょうね?」


「伸び伸び出来たよ。鬼コーチが居なかったからね」


 僕達は同時に吹き出し、笑い合った。


 その時、僕の脳裏にあの白い着物の少女の顔が浮かんだ。


「······ねえ彼方。もし僕達の間に子供が生まれたら、その子供は、何か不思議な力を持って生まれるのかな?」


「と、突然何を言い出すのよ!この馬鹿!」


 頬を赤く染めた彼方は、凄い剣幕で怒ってきた。


 ······未来でね。僕は心の中で、白い着物の少女に伝えた。


「ま、真面目にやりなさいよ、稲田祐。なんの為の訓練だと思っているの?」


「未来を変える為さ。やろう彼方。僕達で。皆がお米を沢山食べれる世界にしよう」


 ······言葉には、信じられない力がある。僕は自分の言葉に、明るい未来を願った。


 春の香りと、桜の花びらに埋め尽くされた川沿いの道を、僕と彼方は並んで歩いて行く。僕達の歩く先。その未来に向けて。


 





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