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白露①

 理の外の存在。カピバラに言霊権を行使し、自分の残りの寿命を彼方に譲渡する交渉をした日から、三週間が過ぎた。


 今日は九月二十日。暦の上では白露だ。夜中の空気が冷たくなり、朝方には草や花に朝露がつく頃だ。


 残暑も落ち着きを見せ、朝夕とても過ごしやすくなって来た。


 新学期が始まっても、僕は毎日彼方との特訓に明け暮れた。いつもの公園でナンキンハゼの声に耳を傾け、イメージトレーニングで大木達の苦情を聞き、彼方の精霊と戦った。


 根気が欠落し、何をやっても長続きしなかった僕が、この特訓だけは途中放棄しなかった。


 いや、放棄出来る筈が無い。彼方と彼方のお母さん。未来の僕の妻子の想いと、世界の未来がかかっているんだ。


 本来なら、僕の頼りない小さな肩に、そんな重い物は背負えない筈だった。でも、大事な人の為になら立ち向かえる。


 大事な彼方の為になら、未来の僕の娘の為になら······それでも、僕のこの彼方を想う気持ちは、子供を想う気持ちとは明らかに違った。


 ······僕は、彼方を一人の女の子として想っていた。こんな僕はやっぱり、人と少し違うのかもしれない。


 でも、僕はもうその事について深く考えなかった。どちらでもいい。僕の気持ちの問題など小さい事だ。


 彼方の為に、僕は今の日々を過ごしている。それでいい。それで充分だった。


「稲田君!」


 放課後、公園に急ぐ僕を郡山楓が追いかけてきた。あれから郡山は、何事も無かったかのように今迄通り僕に接している。


 僕は、それがなんだか不気味で仕方無かった。


「聞いた?稲田君。波照間君に、冬至一族代表と、大雪一族代表が負けたって話」


 郡山の話に僕は絶句した。郡山の口調はまるで、昨日何のテレビ番組を観たか。そんな気軽さだった。


 ······郡山の話が本当なら、波照間隼人はこれで六つの一族に命令出来る立場になった事になる。


 それにしても、波照間隼人はどうやって、あのカピバラ達を無視して勝手に決闘を行えるんだ?


「稲田君。理の外の存在は、万能じゃないわ」


 郡山の言葉に、ボクは固まった。今僕は、考えを口に出していない。


 ······同じだ。あの時、波照間隼人に心を読まれた時と!


「稲田君。これは波照間君の仮説なんだけど、理の外の存在は、力を無くしつつあるのかもしれないわ」


 郡山は指を唇に当て、考え込むように目を伏せる。


「波照間君の啓蟄一族には、千里眼と呼ばれる力があるの。理の外の存在が彼に辿り着けないのは、千里眼の力だけじゃないわ」


 ······た、確かに。好き勝手に行動している波照間隼人に対して、カピバラ達は今の所、何も出来ていない。


「彼等は、二十四の一族に暦の歪みを正す力を与えた。自らは暦の歪みを正す力を失って······その頃から、彼等は力を、いえ、存在自体が消えつつあるのかもしれない。それが、波照間君の見解よ」


 ······僕が彼方から最初に聞いた話。僕はなんでカピバラ達が暦の歪みを正さないのかと聞いた。


 答えは今、郡山が言った通り、カピバラ達がその力を失ったからだ。でも、カピバラ達が消えつつあるなんて本当だろうか?


「······波照間隼人は、理の外の存在に取って代わるつもりなの?郡山」


「彼はそんな俗物じゃないわ。波照間君は、心からこの世界の行く末を心配しているの······彼は、とっても純粋な人よ」


 純粋?波照間隼人が?あのアルパカの着ぐるみに扮し、人の命を軽く見ている男が?


 郡山の言葉より、僕は彼女の瞳に驚いた。波照間隼人の事を純粋と話す郡山の瞳は、とても切なそうな色をしていた。


「早く私達の仲間になってね。稲田君」


 郡山は笑顔で去って行った。彼女は、郡山楓は一体何者なんだろう。僕が公園に着くと、ベンチには彼方とカピバラが仲良く座っていた。


 ······な、なんかシュールな光景だな。二人で何の会話をしているのだろう。僕に気付くと、彼方は駆け足で僕に向かって来た


「稲田祐!悪い知らせよ。波照間島に、冬至、大雪、小雪、立冬一族代表が負けたらしいわ」 


 僕は耳を疑った。郡山の話に加えて、小雪一族、立冬一族も波照間隼人に負けたのか?


「郡山楓の正体が分かりました」


 カピバラもベンチから立ち上がり、僕に近づく。郡山の正体?


「郡山楓。彼女は、啓蟄一族の分家の人間です」


 カピバラは続ける。波照間隼人は啓蟄一族の本家の人間であり

、波照間隼人と郡山楓は親戚関係にあるとの事だ。


 だが、本家の波照間隼人に関しては、未だにその詳細は掴めていないらしい。恐らく、波照間隼人の精霊の力による、情報封鎖と妨害による物と思われた。


「あの娘、なんか腹黒そうに見えたのよね」


 彼方の言葉に、僕は苦笑するしか無かった。いずれにしても、波照間隼人とは必ず戦う事になりそうだ。


「よし彼方!特訓をしよう。それともこのまま転移かな?」


 僕の威勢のいい声に、彼方は僕を不思議そうに見る。


「······稲田祐。あんた最近、何か吹っ切れたように元気よね?


「え?そ、そうかな?ふ、普通だよ彼方」


 ······言えない。彼方が立冬の日、死ななくて済むと知っているなんて。それが、僕の寿命を彼方に譲渡したからだなんて。


「······ふーん。ところで稲田祐。あんた甘い物好き?」


「え?甘い物?まあ、普通に好きだよ?」


 僕の返答に、彼方は嬉しそうに頷いた。間髪入れず、カピバラが機械音で呟く。


「転移、開始します」


 僕と彼方は、一瞬で公園から異世界に移動した。


 砂漠に降り立った僕と彼方は、急いで周囲を観察した。予想通りと言うべきか。前回同様、砂漠に緑は発見出来なかった。


 でも、僕と彼方は見つけた。前回枯れかかっていた、きなこちゃんの若木が生気を取り戻し成長している。


 僕と彼方はしばらく黙ってその若木を見つめ続けた。きなこちゃんのこの若木は、まるで未来の希望に見えたからだ。


「あの小学生······まるでこの若木、負けるもんですかって言っているみたいね」


 彼方が目を細め微笑む。きなこちゃんも頑張ってくれている。僕も負けていられない。


 今日の決闘相手は、既に僕等の後ろに立っていた。男性でスポーツウェアを着ている人だ。ん?この人どこかで見た事が······


「しゅ、首里駆!?」


 僕は絶叫した。僕の目の前に立っていたのは、日本サッカー界のスーパースターだった。


「両一族代表は、お互いに自己紹介して下さい」


 彼方に肩を叩かれるまで、僕は呆然としていた。


「白露一族代表、首里駆。二十七歳、サッカー選手です」


「せ、清明一族代表、稲田祐。十八歳、高校三年生······あ、あの僕大ファンです!握手して下さい!!」


「阿呆かあんたは!」


 堪らず首里さんに右手を差し出した僕の頭を、彼方が叩いた。い、痛いなもう。


 首里さんは気さくに笑顔で僕と握手をしてくれた。僕はそれだけで、気が抜ける程嬉しくなった。


「稲田祐!敵に何デレデレしてるの!そんなに有名人なの?あの人」


「有名人どころの人じゃないよ!首里さんは別格なの!」


「そ、そうなの?」


 僕の勢いに彼方は後ずさった。首里駆。弱冠十八歳で日本代表のエースを務めた人だ。その活躍から、海外のビッグクラブから誘いが多くあった。


 でも、首里さんはそれを全て断った。首里さんは、自分が生まれ育った地元のクラブを愛し、離れようとしなかったからだ。


 そんな首里さんが、突然海外クラブの誘いを受け、海外移籍した。日本中のサッカーファンがひっくり返る程仰天した。


 首里さんは常々言っていた。自分は地元クラブでサッカー人生を終えると。海外移籍の記者会見で、首里さんは言い放った。


 海外クラブの年棒に惹かれたと。地元クラブの年棒は安すぎると。首里さんの話は、確かにその通りだった。


 だが、首里さんは日本中からバッシングを受け、海外に去って行った。サッカーファンは首里さんに失望し、心無い罵声を浴びせた。


 僕もこの時、本当に悲しかったのを覚えている。だが、首里さんが抜けた沖縄島海クラブの選手達はめげなかった。


 首里さんは記者会見で、チームメイト一人一人の欠点をあげつらった。首里さんへの反骨精神から奮起し、沖縄島海クラブは見事リーグ制覇を達成した。


 見たか首里駆!お前が居なくても、俺達は優勝したぞ!クラブの選手達は、口々にそう叫んだ。


 そして、舞台は後に伝説のオーナー会見と言われる場面に移る

。キャプテンや監督のインタビューが終わった後、クラブのオーナーが突然現れた。


 オーナーはアナウンサーからマイクを受け取り、優勝の熱気がまだ覚めない観客に向かって話し始めた。


 それは、首里駆の海外移籍の真実だった。沖縄島海クラブは、経営難でクラブ存続が危ぶまれる状態だった。


 どうしても緊急の資金繰りが必要だった。オーナーと親しい首里駆は即断した。自分が海外クラブに行けば、移籍金がクラブに入る。


 首里駆は、クラブを救う為に海外移籍をしたのだ。記者会見でチームメイトの欠点を話したのも、それを克服して欲しかったからだ。


 首里駆は海外移籍した後も、沖縄島海クラブを見守り、選手一人一人を気遣い心配するメールをオーナーに送り続けた。


 オーナーが涙声でそのメールを読み上げて行く途中、沖縄島海クラブの選手達は全員号泣していた。


 いや、選手達だけじゃない。その場にいあわせた観客、テレビを見ていた人達も、全員が泣いた筈だ。


 クラブは経営を持ち直し、五年後、海外クラブから首里駆を取り戻す事に成功する。羽田空港に降り立った首里駆を一目見ようと、空港に三万人が集まった。


 首里駆はそのファン達に、笑顔と涙でただいまと言った······


 僕の力説に、彼方は唖然としていた。彼方も感動したのかと思いきや「移籍金って何?」と聞いてきたので、僕の心は折れた。


 とにかく決闘とは言え、こんな有名人に会えるなんて。一族代表で良かったと初めて僕は思った。


「甘いスイーツに心もほっこり!今日の対決は、スイーツ大食い対決とします」


 す、スイーツ対決?僕らの目の前に、二つのテーブルと椅子が現れた。そして少し離れた所に、長テーブルにケーキやお菓子が山のように置かれている。


 そのテーブルの脇に、パテシエの格好をしたタスマニアデビルが立っていた。


 カピバラが決闘方法を説明する。僕と首里さんは、これからスイーツの大食い勝負をする。


 勝敗は、一時間以内に食べたスイーツのグラム数で競われる。尚、精霊を自由に使用出来るらしい。


 こ、今回は大食い勝負か!まずいぞ。スポーツ選手の首里さんは、強靭な胃腸をしている筈だ。対して僕はそんな大量に食べれない


 ······不利だ。今回は僕が圧倒的に!不安な気持ちで席に着くと、隣で首里さんが浮かない顔をしていた。 


「······参ったなあ。俺、甘い物の苦手なんだよなあ」


 え?そ、そうなの?


「では今から決闘を開始します」


 カピバラの宣言と共に、パテシエの格好をしたタスマニアデビルが、大きな時計版のスイッチを入れた。


「稲田祐!」


「分かってるよ彼方!僕、頑張るから!」


「食べ物を残したり粗末にしたら、絶対に許さないわよ」


「······は、はい」


 僕は背中に鬼コースの恐ろしい視線を感じながら、小皿を持ってスイーツを取りに駆け出した。



 


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