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処暑②

 木製テーブルに取り付けられた液晶画面に、お互いの残りの兵力が表示されている。石動さんは九千二百。対して僕は六千百だ


 先程の石動さんの挟撃作戦で、僕は大きな損害を被ってしまった。僕は劣勢を挽回する為に、奇策を弄した。


 一千の別働隊を迂回させ、後方に置かれている石動軍の兵糧を奪おうとした。だが、小さい小川を渡る時、突然の洪水が僕の軍を襲い、一千の兵力は全滅した。


 石動さんは、なんと上流地点で小川を堰き止めていた。僕の軍が近づいた時、それを決壊させたのだ。


 ならばと僕は森に兵を潜ませ、奇襲をかけようとした。しかし

、今度は風上に立った石動軍の火矢に炙り出され、ここでも一千の損害を出した。


 ま、まずいぞこれは。僕の兵力は、残り四千弱になってしまった。石動さんは有利に状況にも浮かれる様子も無く、隙らしい隙は見当たらない。


「稲田祐!総大将同士の一騎打ちを申し込むのよ!」


 か、彼方らしいアドバイスが飛び出した。現在、圧倒的有利な石動さんがそんな申し出を受ける訳がないし、一騎打ちにはリスクが余りにも大きい。


 僕は精霊の力を借りる事を決めた。今日は月の下旬。体を司る月炎がその力を最も発揮する。


 しかし僕は迷った。この状況なら、技を司る爽雲の方が適任ではないかと。だが、月の中旬ではない現在、爽雲は力を十分に発揮出来ない。


 僕は目を閉じ、二つの選択肢のどらかを選ぶか考えた。この決断には、彼方の想いがかかっているんだ。


 僕は、暦詠唱を唱えた。


「次候!鴻雁北こうがんかえる


 僕の頭上に、七十ニ気神の精霊が現れる。長髪に着崩した派手な着物。整った顔立ちの青年は、あぐらをかきながら気怠そうな表情で僕を見る。


「······旦那ぁ。俺を間違えて呼んだのかい?今は月の下旬だぜ?」


 不平を漏らす爽雲は、見るからに元気が無さそうだ。やはり本来の時期を外して呼び出されると、精霊は力を発揮出来ないんだ


「ごめんよ爽雲。でも、どうしても君の力が必要なんだ」


 覇気が無い両目の爽雲に、僕は手早く状況説明をする。僕は爽雲に、助言と言う形で協力を求めた。


「······コイツは楽観出来ない状況だね。しかも奴さん、まるで奢りや油断が無いと来てる」


 爽雲の言葉に、僕は改めて危機感を感じた。でも妙だ。石動さんは自分の精霊を呼ぶ気配が無い。


「私はあれこれ意見されるのが嫌いでね。一人で考える方が性に合っている。無論、君が精霊を使うのは自由だよ」


 僕の考えを見透かすように、石動さんは一人で戦う事を宣言した。確かに、石動さんのパートナーであるタスマニアデビルの着ぐるみも、遠くに追いやられていた。


「······旦那。ここまで兵力差が広がった以上、正攻法では勝てないぜ」


 怠そうな体調を推して、爽雲は真剣な眼差しで僕に話してくれる。僕は頷く。こうなった以上、危険を承知で何か奇策を敢行するしか無かった。


「一つ策がある。危険と隣り合わせだかね。一口乗ってみるかい

?旦那」


 爽雲は不敵に笑った。僕は乗ると即答した。


「石動さん!僕は総大将同士の一騎打ちを申し込みます!」


「そうよ稲田祐!ようやく私の一発逆転の良策を理解したのね」


 彼方が片腕を挙げ喜ぶ。確かに。彼方のこの作戦は、違う意味で効果が期待出来たのだ。


 石動さんは、当然一騎打ちを拒否した。その途端、石動軍の士気は低下し、逆に稲田軍の士気が上昇した。


 石動さんはそれを意にも返さず、黙黙と進軍する。僕は五百の騎兵を後方に残し、残りの兵力をすべて突撃させた。


 石動軍と稲田軍が正面から激突する。明らかな兵力差は、直ぐに結果となって現れた。僕の軍は文字通り蹴散らされた。


 生き残った僕の残兵が、四方に散り散りに移動して行く。石動さんは、それを掃討する事も無く、僕の残った五百の騎兵に向かってきた。


 石動さんの行動は当然だった。総大将を含む、僕の残りの騎兵を倒せば、勝利者となるのだから。


 僕は騎兵の機動力を駆使し、石動軍から逃走した。石動軍も僕を追いかける。僕が逃げ続ける間、四方に散った僕の敗残兵が北に集まっている事に、石動さんは気づかなかった。


 北側に僕の敗残兵が集結した。その数一千。その場所は、正に石動さん兵糧が置かれている場所だった。


 僕は爽雲の顔を見る。爽雲は片目を閉じ笑みを浮かべた。僕の一千の敗残兵は、石動さんの兵糧に襲いかかった。


 石動さんの五百の守備兵は、倍の相手に敗れ、僕は石動さんの兵糧を奪う事に成功した。


「······なる程。この為にわざと少ない兵力で突撃して来たのか」


 石動さんが感心したように呟く。カピバラが警告する。兵糧を失った石動さんが行動出来る時間は、残り五分だと。


「旦那!気を抜くなよ。残り五分の間、追いつかれたら一撃でやられるぞ!」


 爽雲の言う通りだ。たった五百の僕は、石動さんの軍勢に太刀打ち出来ない。こうして、壮絶な追撃戦が行われた。


 追う石動さん。逃げる僕。この間、石動さんは一騎打ちを申し込み、僕は拒否した。さっきと逆の事が起こった。


 石動軍の士気が上がり、機動力が増した。稲田軍は士気が下がり、機動力が減少した。石動さんは最後まで冷静だ。本当に強いこの人。


「ちょっと稲田祐!なんで一騎打ちを拒否するのよ!男らしくないわよ」


 た、頼むから今は黙ってて彼方!僕の騎兵は、とうとう追いつかれ、石動軍に包囲された。


「今だ旦那!叩きつけろ!」


「ああ!行けぇ!」


 爽雲の声に、僕が答える。僕は石動さんの兵糧を奪った一千の兵力を、石動軍の後方に近づけていた。


 無防備な後方を強襲され、石動軍は乱れた。しかし石動さんは

、損害を無視して僕の五百の騎兵に襲いかかる。


 僕の騎兵は次々と討ち取られて行く。自軍の総大将に敵兵が迫った時、僕はもう駄目かと思った。


「五分が経過しました。処暑一族代表は、作戦行動が不可能になります」


 石動軍の動きが停止した。カピバラが僕の勝利を宣言する迄に

、僕は緊張から身動きが出来なかった。


「······石動さんは、戦史に詳しいんですか?」


 敗北しても全く動揺してない石動さんに、僕は質問した。


「ん?ああ。一時期研究していた事があってね。その時、ある法則を見つけたたんだ」


 石動さんの話によると、古来より兵站を軽んじた軍と国は、例外無く亡んでいると言う。


 研究した筈なのに、自分が兵糧を奪われるとは。石動さんはそう言って苦笑した。やっぱりこの人は、学問に対して純粋な人なんだ。


 僕は石動さんに暦の歪みを正すように命じ、その指導監督をタスマニアデビルに命じた。


「仕事から離れられるから、好きな研究が存分に出来るよ」


 石動さんは笑いながら、去って行った。僕は身体を重く感じた

。何故だろう。いつもより精霊を呼び出す負担が大きい。


「それが代償よ。不向きな時期に精霊を呼び出した」


 彼方が理由を教えでくれた。そうか。苦しいのは爽雲だけじゃないんだ。僕は爽雲に近づき、ある事を耳打ちした。


「······本気かい旦那?理の外の存在。奴らに探りを入れるの簡単じゃないぜ?」


「勿論君の安全が最優先だ。危険だと思ったら、すぐに手を引く事。頼めるかな?」


 僕の言葉に、爽雲は寝そべりながら、空に浮き上がっていく。


「まあ旦那の頼みだ。やるだけやってみるよ」


 そう言えば、爽雲がいつも持っていた木製の傘が見当たらない。傘を差す事は、もう止めたのだろうか?


「······ああ見えてあの傘は重たくてね。持ち続けるのは大変なんだぜ?」


 爽雲はそう言って消えて行った。彼の前に降る雨が、早く止むようにと僕は願う。


 その時、突然警報音のような音が聞こえた。それは、さっき迄僕と石動さんが決闘に使っていた木製テーブルからだ。


 僕と彼方は急いでテーブルの液晶画面を見た。その画面には、僕と石動さんの軍の他に、新たな軍勢が発生していた。


 な、何だこれ?決闘は終わった筈だぞ?謎の軍勢は、兵力三万と表示されていた。三万の軍勢は、あっという間に僕と石動さんの軍を倒していった。


「これで、僕が勝利者って事かな?」


 誰かの声が聞こえた。僕と彼方は、声がした方向を見る。そこには、初めて見る着ぐるみが立っていた。


 白い毛並みに長い首······もしかして、あれはアルパカの着ぐるみか?一体いつの間に現れたんだ。しかも、その声はカピバラ同様、機械音だった。


「ルールを無視した乱入。あんな行為で勝利など認めません」


 カピバラがアルパカの前に立ちはだかる。アルパカは両手を大袈裟に広げた。


「なーんだ残念。処暑一族と清明一族。手っ取り早く二つの一族に勝てたと思ったのに」


「······貴方は何者ですか?」


 カピバラはアルパカに質問する。アルパカは再び大袈裟に手を振る。


「察しがついてる癖に。初めまして。啓蟄一族代表、波照間隼人と申します」


 け、啓蟄一族代表?なんで暦の歪みを助長している張本人が、こんな異世界に現れるんだ?


「本来、僕のコーチに付く筈だったタスマニアデビルの力を借りたんだよ。稲田祐君」


 な、なんで僕の考えが分かったんだ?僕は疑問を口にしていないぞ?


「······啓蟄一族代表に問います。そのタスマニアデビルをどうしたんですか?」


「僕を見つけられずオロオロしていたから、保護してあげただけだよ。代わりにその能力を貰ったけどね。お陰でこうして、ここに来る事も出来たって訳」


 ······この波照間隼人って男。機械音でどんな声をしているの分からないが、凄く嫌な感じがする。


「ちょっと波照間島とやら!あんた一体どういうつもりなの!?


 彼方が怒りを込めて波照間隼人を問い詰める。彼方の怒りは当然だ。お母さんの想いを邪魔する諸悪の根源を目の前にして、冷静でいられる筈が無い。


「い、出雲彼方さん。僕は波照間島じゃなくて波照間。そこんとこ間違えないでね」


「そんなの似たようなモンでしょ!どういうつもりで妨害しているかって聞いてんの!」


「地球の為だよ」


 波照間隼人は短く言い切った。僕も彼方もその言葉に一瞬固まる。


「このまま暦の歪みを正しても、この地上に人間がいる限り、暦の歪みは永遠に無くならない」


 波照間隼人は続ける。このまま暦の歪みを大きくし、地球を人間が住めなくする。人間が居なくなれば、時間はかかるが地球は自浄作用が働き、再び正しい気候を取り戻すと。


「大きな意味で言えば、僕こそ暦の歪みを正そうとしているのさ」


 ······な、何を言っているんだコイツ?じゃあ、人間は絶滅しろって言うのか?


「流石に絶滅はしないと思うよ?人間ってゴキブリより繁殖力があるからね。しぶとく生き残った連中が、また増やして行くんじゃないかなあ」


 こ、この男の言葉には、人間らしい暖かみがまるで感じられない。


「冗談言わないで!そんな事、絶対にさせないわよ!」


 彼方が、波照間隼人に今にでも掴みかかろうとしたので、僕は必死に彼方を止めた。


「あと数ヵ月で死ぬ君に、何が出来るって言うの?」


 波照間隼人のその一言に、僕の頭の中の線が一本切れた。気付くと僕は、アルパカの着ぐるみに掴みかかっていた。


「言っていい事と、悪い事があるだろう!」


「い、稲田祐、落ち着いて」


 彼方が僕の肩を押さえる。波照間隼人は構わず言葉を続ける。


「必死だね。稲田祐君。何故君はそこまで出雲彼方さんの為に頑張るの?同情心から?」


 僕の頭の中の線が、また一本切れた。


「好きだからだよ!好きな人の為に必死になって何が悪い!」


 ······今、僕はなんて言った?なんて言わされた?振り返ると、彼方が蒼白な顔で僕を見ている。


 ······そうだよね。僕なんかに好きだって言われても迷惑だよね······分かってる。分かってるけど、そんな顔をされると、やっぱり胸が痛む。


「なんて感動的な告白!出雲彼方さん。君にはそれに返答する義務があるよ?」


 波照間隼人の人を食った言い様に、彼方はアルパカを睨みつける。僕はうなだれて彼方の顔を見れない。


「······稲田祐。私があんたを好きになる事はないわ。天地がひっくり返ってもね」


 改めて言葉にされるとキツイなあ。そうだよね。分かっていた事だ。僕なんかに······


「報われない恋心!その理由を、稲田君に教えてあげたらどうだい?カピバラさん」


 カピバラは沈黙を守っている。そんなカピバラを嘲笑するように、波照間隼人は呟く。


「貴方も辛い所だね。真実を伝えられないって言うのは」


 カピバラは僕の前に立った。そして、いつもの機械音で僕に伝える。


「稲田祐さん。落ち着いて聞いて下さい」


 何を落ち着けと言うのだろう。好きな娘に迷惑だと言われたばかりの僕に、響く言葉など何一つ無いのに。


「出雲彼方さんは、あなたの未来の娘です。あなたと出雲彼方さんは、親子関係にあります」


 僕は、カピバラが何を言っているのか分からなかった。脳は言葉を理解しても、心がそれを拒否していた。


 僕は必死に、カピバラの言葉を頭の中で追い払おうとしていた


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