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大暑②

 僕の心の中は、怒りと悔しさ、そして悲しみが混ざり合っていた。それでも時間は止まらない。


 お前の気持ちなんてどうでもいい。まるで、誰かにそう言われている気分だった。安アパートのダイニングキッチンから、一瞬で僕は砂漠の世界にやって来た。


 まだ冷静にはなれないが、砂漠の世界に変化が無いか確認する。残念ながら前回とあまり変化は無かった。


 僅かな進歩と言えば、彼方が天才と賞賛するきなこちゃんの若木は少し伸びていた位か。


「稲田佑。冷静になって。気持ちを切り替えないと、決闘に支障をきたすわよ」


 彼方の言葉に僕は頷く。そうだ。この決闘に勝ち続けなくては、彼方と彼方のお母さんの想いが無駄になってしまう。


 僕は今までに無い、引き締まった気持ちで決闘に臨んでいた。前方からタスマニアデビルの着ぐるみが、今日の対戦相手を連れてくる。


 どんな相手でも、どんな決闘方法でも、僕は怯まないぞ。決闘相手が僕の前に立ち止まる。


 ······大柄な男性だ。百八十センチは越えている。短髪の金髪に厳つい顔、胸も腕も厚く太い。何かの作業着を着ていた。


「······ちょっと稲田佑。なんで私の後ろに隠れるのよ?」


 気づくと僕は、彼方の背中の後ろに立っていた。だ、だって相手の人、もの凄く怖そうなんだもん!


「とっとと自己紹介して来なさい!」


 鬼コーチの強烈な張り手で背中を押され、僕は対戦相手の前に引き出された。い、痛いじゃないか!


「両一族代表は、それぞれ自己紹介して下さい」


 カピバラの着ぐるみが、機械音の声で場を進行して行く。


「せ、清明一族代表、稲田佑。十七歳。高校三年生です」


「大暑一族代表、瓦剛一。二十三歳。土木作業員」


 瓦と名乗った多柄な青年は、僕を睨みながら低い声を出した。こ、怖いこの人!


「ツンデレな態度に胸キュン!今日の決闘は、猫遊戯です」


 カピバラが決闘方法を発表する。毎回思うのだが、この決闘発表はもう少し、緊張感を持って真面目にやってくれないだろうか


 僕のささやかや要望を無視するかのように、アシスタントのタスマニアデビルが腕に、二匹の猫を抱えてやって来た。


 その内の一匹がタスマニアデビルの腕から脱走し、砂漠の上を走り出す。タスマニアデビルは慌てて猫を追いかける。


 ······なんなんだ、この光景は。これから決闘が行われる緊張感が全く無い。やっと猫を捕獲したタスマニアデビルは、いつの間にか置かれていた、柔らかそうな壁で出来たサークル内に二匹の猫を放った。


 カピバラが決闘方法を説明する。僕と瓦さんは、このサークル内で猫と戯れる。そして、制限時間の一時間後、猫の好感度が高い方が勝利者とする。


 つまり、猫に好かれた方が勝ちらしい。毎回妙な決闘方法だが、今回は動物か。サークル内は何故か畳が敷いていたので、僕は靴を脱いで入った。


 続いて瓦さんも入ったが、瓦さんの舌打ちが聞こえてきた。や、やっぱり、こんな強面な人が猫のご機嫌取りなんて嫌なんだろうな。


 サークル内の中心に箱が置かれており、箱の中には、猫じゃらし、ボール、爪とぎ板など猫グッズが入っていた。


 瓦さんの猫は黒猫。僕の猫は耳が寝ている白い猫だった。後で聞いたが、スコティッシュフォールドと言う種類らしい。


 僕は取り敢えず、箱からボールを手に取り、白猫に向かって転がした。猫は興味無さげにボールを無視し、サークルの外の風景を見ている。


 ならばと僕は猫とスキンシップを取るつもりで、猫の背中の皮を掴んだ。途端に猫は大声で鳴き、僕の手に爪を立てた。


 痛い!僕の手の甲に三本の爪痕が残り、うっすら血が滲んて来た。


「馬鹿野郎!そんな掴み方があるかよ!」


 僕の背後から、瓦さんの怒声が飛んできた。驚いて振り返ると、瓦さんがこっちに歩いて来る。ど、どうなっちゃうんだ僕

!?


 瓦さんは白猫の首の皮を掴み、持ち上げた。そして僕を睨みつける。


「いいか。首の皮を掴めば猫に痛みは無い。掴んで持ち上げる時は首の皮だ。覚えとけ」


「は、はい!」


 僕が返事を返すと、瓦さんは自分のパートナーの黒猫の元へ戻っていった。あれ?今、瓦さん僕にアドバイスしてくれたのか?


 僕はしばらく瓦を観察した。瓦さんはさっき迄のキツイ表情から一変し、穏やかな笑みを浮かている。黒猫は寝転んで腹を出し

、その腹を瓦さんは優しく撫でている。


 あんな怖そうな人が、猫好きなんだろうか?いや、多分そうだ。扱い方が慣れている感じだ。


 反対に僕は猫なんて飼った事が無い。こ、これは強敵だ!僕は失地を回復させるべく、白猫に近づく。だが、僕が近づくと白猫はつれない態度で逃げていく。


 焦った僕は走って白猫を追うが、猫は素早く僕から距離を取る。その時、前を向いて無かった僕は何かにぶつかった。


 ぶつかった相手は、よりによって瓦さんだった。瓦さんは僕の腕を掴み、白猫の方へ歩いて行く。こ、殺される!?


「いいかガキ。猫は気まぐれな生き物だ。そんな鼻息荒くしても、近づけねーよ」


 瓦さんがその場に腰を降ろし、あぐらをかいた。僕にもそうしろと促し、僕は素直に従う。


「猫のペースに合わせろ。そして猫の気が向いた時がチャンスだ


 僕に説明しながら、瓦さんは座ったままだ。すると、白猫はゆっくりと瓦さんに近づいてきた。


 瓦さんの数メートル手前で猫は止まる。瓦さんは動かない。そのままどれ位時間が経過しただろうか。


 白猫は瓦さんの膝の上に登ってきた。瓦さんは優しく白猫の頭を指で撫でる。気づくと、黒猫も瓦さんに近づき、瓦さんの背中に頭をこすりつけている。


「か、瓦さんは猫好きなんですか?」


「······別に。人間なんかより付き合いやすいだけだ」


 瓦さんはそう言い残し、黒猫を抱き上げ歩いて行った。あの言葉······瓦さんは、僕と同じく人付き合いが苦手なのだろうか。


 僕は物心がついた頃から、他人との距離感が上手く取れない子供だった。相手が一の事を話しかけてくると、ニも三も返してしまう。


 相手は一を返してくれれば良かったのに、僕の返事に引いてしまう。この間合いの取り方が、僕にはどうしても出来なかった。


 その内に、対人関係を築く事を諦めた。余計な事をしなければ、こちらから距離を置けば、傷つく事が無いからだ。


 一人は気楽だった。自分の殻に籠もり、自分とは関係なく展開して行く、人と人との繋がりをぼんやり眺めているだけだ。


 いつか彼方に言われた。どうして他人の為に、あんなに一生懸命になれるのかと。それは違う。あれは多分、人と関わりたいと言う僕の溜まった欲求が暴発しただけだ。


 結果的に相手には好意的に取られたが、あくまで特殊な決闘が絡んでいるからに過ぎない。


 僕は他人と、真剣に向き合った事など無い人間だ。でも、彼方だけは違う。彼方からだけは、逃げては駄目だ。


 瓦さんの助言を頭では理解しつつも、僕は気がはやり、猫のペースに合わせられない。タスマニアデビルが持っている時計に目をやると、三十分がすでに経過していた。


「稲田佑!こっちに来なさい!」


 頼りになる鬼コーチの呼び出しがあったのは、その時だった。僕は彼方の元へ駆けていった。彼方が僕に透明のビニール袋を差し出す。袋の中には、茶色い粉末が入っていた。


「またたびの粉末よ。これを使って、猫を酔わせるのよ」


「え?だってそれって反則じゃない?玩具箱にそんなの用意されてなかったよ」


「カピバラは使用禁止とは言ってないわ。いいからこれを使って猫を手懐けるのよ」


 ······け、決して彼方は腹黒いとか、反則上等と言う訳ではないんだ······多分。


 この一連の決闘に勝ち続ける為に必死なだけなんだ······た、多分。


 そうだ。禁止されてないから、反則って訳じゃない。そもそも劣勢な僕に、手段を選ぶ余裕など無い筈だ。


 僕は彼方から袋を受け取ろうとした。頭の中に、瓦さんの助言してくれる姿、彼方の寿命の事などゴチャゴチャ巡って行った。


「······駄目だよ。彼方」


「え?」


 僕は彼方の助力を拒否した。こんな時に、何を綺麗事を言うつもりなんだ僕は?


「瓦さんは、決闘相手の僕にアドバイスをしてれた。そんな人に、卑怯な手は使えない」


 言い終える前に、僕は後悔していた。彼方と、彼方のお母さんの想いを無駄にするのかと。でも、吐き出した言葉を撤回しない自分がいた。


「······稲田佑」


 僕は俯き、彼方の顔を見れなかった。きっと彼方は、僕に呆れている事だろう。


「······お前、結構真面目な奴だな」


 僕の背後から、低い声が聞こえて来た。振り返ると、黒猫を抱いた瓦さんが立っていた。


「この決闘は、お互いの精霊で決めようぜ」


 瓦さんはそう言うと、抱いていた黒猫を畳の上に置いた。せ、精霊で決めるって一体?


「お前、猫に慣れてねーだろ。かと言って生身の喧嘩じゃお前と勝負になんねしーな。精霊でしか、対等な条件でやり合えないだろ」


 瓦さんは、小指を耳の中に入れながら言い捨てた。


「······なんで、瓦さんは僕にそこまでしてくれるんですか?」


「別にお前の為じゃねーよ。俺がスッキリしたいだけだ。それに······」


 瓦さんは、目を伏せ沈んだ表情を見せた。


「仮にそれで負けて存在を消されても、俺には困る相手なんていねーからよ」


  ······存在を忘れられて、困る人がいない?瓦さんは腰に手を着け、そっけなく言い放った。その後でカピバラが立っている方を向いた。


「俺達は精霊で勝ち負けを決める!文句ねーだろ?」


 瓦さんの言葉を受け、カピバラは機械音の声で、返答する。


「決闘方法の変更は認めません。しかし、その勝負の結果を、猫の好感度に反映するよう調整は可能です」


「へっ。屁理屈言いやがって。いいなガキ!気合入れて精霊を呼べよ!」


 瓦さんの真意を完全に理解した訳ではなかったが、この金髪の厳つい人が、正々堂々と僕と戦おうとしてくれている事は分かった。


「はい!ありがとうございます!」


 今日は月の下旬。体を司る精霊が、最も力を発揮する。僕等は距離を置き向き合い、ほぼ同時に暦詠唱を唱えた。


「末候!大雨時行おおあめときどきにふる


「末候!虹始見にじはじめてあらわる


 僕と瓦さんの頭上に、七十ニ気神の精霊が現れる。僕には黒い鎧武者が、そして瓦さんの精霊は女性だ。


 腰まで長く伸びた黒髪、額に銀の装飾品をつけている。両目は閉じられており、とても綺麗な顔をしている。


 白い和服を着ている。あれは、白装束だろうか。袖から覗かせた白く細い手には、彼女の背丈程もある長い薙刀を持っていた。


 月炎が僕の前に跪き、命令を待つ。前回も思ったが、月炎は無表情だ。それはまるで、感情を無くし、ただ戦う事だけが自分の役目と思っているかのようだった。


「御主君。ご命令を」


「月炎。また力を貸して欲しい、あの相手の精霊と戦ってくれるかい?」


「承知致しました。ですが御主君、あの精霊相手には確実に勝てるとは申し上げられません」


 月炎は細く鋭い目を、白装束の精霊に向けた。


「······月炎。あの精霊と過去にも戦った事があるのかい?」


「左様です。あの者とは決着はつきませんでしたが、恐らく自力は私より上です」


 月炎は淡々と言い切った。月炎がそう言うなら、あの白装束の精霊はそうとうな実力者だ。


「ですが御主君。刺し違えても、あの者を屠ってご覧に入れます


 ······またこの感じだ。月炎は、自分の命を落とす事に何のためらいも無いのか?


「駄目だよ月炎!本当に危なくなったら逃げていい。自分の命を大切にして」


 僕の言葉に、月炎は細い両目を一瞬だけ見開いた。


「······お言葉ですが御主君。戦いはそんな甘い物ではございません。特に、あの者相手とあっては」


 月炎はそう言うと、腰の刀を抜き、砂を蹴り上げ白装束の精霊に向かって行く。決闘の行方は、いや、僕と彼方の運命は、月炎に委ねられた。


 


 


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