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小暑①

 僕は細い小道を歩いていた。その細く伸びる道は、どこまで続いているのか見当もつかない。僕の隣には、白い着物を着た子供がいる。最近よく見る夢の中だ。 


 少女は僕の右手を強く握りしめ、時折僕のの顔を見て微笑む。可愛いな。僕の事を、なぜかお父さんと呼ぶこの娘を、堪らなく愛おしく思える。


 でも、僕はどうしてもこの娘の顔を思い出せなかった。どこかで見た事がある筈なのに。僕は夢の中で歯がゆく感じていた。


 少女は僕の手を離し、僕の前を歩くと、急に振り返った。そして泣きそうな顔をして僕にいう。


 これから何が起きても、私の事を嫌いにならないで。


 少女はそう言った。嫌いにならないよ。僕はそう言おうとした所で、夢は醒めた。


 人は悩んでいるその時こそ、正に成長していると何処かで聞いた事があった。本当だろうか?


 最近の僕の悩みの種は尽きなかった。この世界の、暦の歪みを正す戦いに巻き込まれた事。今僕の手に返ってきた期末テストの結果。


 毎度のテストの失敗は、正直過ぎる程数字になって反映される

。クラス内では、テストの結果に悲喜こもごもと言った具合だ。


 進学するつもりの無い僕は、もはや留年さえしなければいいと、ムリヤリ自分を納得させる。


 テストの結果を手早く鞄に押し込み、僕は帰宅する為に席を立つ。郡山楓が目の前に立っていたのに気づいたのは、その時だった。


「稲田君。テストの結果どうだった?」


「え?ええと。予想通り······かな?」


 突然、学年有数のマドンナに声を掛けられ、僕は戸惑った。才色兼備の郡山は僕と違い、予想通りいい結果なんだろう。


「ふーん。所で稲田君は、夏休みって何が予定あるの?」


「え?夏休み?特に無いけど。ゴロゴロして過ごすと思うよ」


 

 人間と言うものは、普段から聞かれない事を質問されると、上手に返せない物だと僕は思った。ひと月以上ゴロゴロするって、どんだけ暇な奴なんだ。


「そうなんだ。私は友達と海に行く予定なんだけど、良かったら稲田君も行かない?」


 こんな美人からの遊びの誘い。少し前の僕なら、有頂天になって即答しただろう。だが、なぜか以前ほど郡山の前で動揺しなくなった。


 そのお陰で、冷静にその誘いを吟味する事が出来たのだ。郡山の連れてくる友達。彼女の友人達なら、きっと勉強もスポーツもそつなくこなす人達だろう。


 そんな集団の中に僕が入る。きっと僕は、一日中浮いているだろう。明らかにそうなると分かってて、そこに飛び込む気にはなれなかった。


「誘ってくれてありがとう。でも、僕泳げなくて。せっかくだけど、遠慮しとくよ」


 僕にしては、上手な返答が出来たと思った。郡山は気を悪くした様子も無く、笑顔で分かったと頷いた。


 郡山の、長くて綺麗な髪が揺れた。彼女は僕の横を通り過ぎる寸前に、僕の耳元で短く囁いた。


「二人きりなら、どうかな?」


 僕は、幻覚にでもかかったのかと思った。恐る恐る、後ろを振り返ると、郡山は笑顔で友達とはしゃいでいた。


 僕は彼女が落としていった不発弾を、処理する事が出来なかった。


 学校の帰り道、西日が元気に照りつけていた。今年はとうとう梅雨が無かった。三十度を超す夏日が続出し、もうこのまま夏に突入するかと思われた。


 今日は七月の中旬。二十四節気で言うと、小暑だ。蝉の鳴き声と共に、暑さが本格的になると言う。


 雨不足で、ニュースでは早くも水不足が心配されている。作物にも大きな影響がなければいいけど。僕は自分の考えに驚いた。以前なら、そんな心配なんてしなかったのに。


 食パンが有名なパン屋を通り過ぎ、近所の公園が見えてきた。僕はさっき考えていた事を思い出す。最近の悩みの種。


その中で最も大きい悩みが、この公園で待ち合わせしている相手だった。その相手の事が、最近頭から離れない。


 きっかけは、前回の決闘相手、権田藁さんの言葉だ。彼方は、この世に実在しない存在だと言われてからだ。


 そもそも彼方は、色々謎の多い少女だった。清明一族は、春分一族と並んで他の一族をまとめる中心的存在。


 だがら特別に、清明一族の僕に、協力者として彼方が派遣された。他の一族の人達は、タスマニアデビルがついているが、僕にだけ、人間の彼方のコーチがいる。


 彼方は守秘義務があると言った。だから僕は、深く考えないようにしていた。けど、いつからだろうか。彼方の事が知りたくなってきた。


 その思いは、小さい種が土の上に芽を出し、どんどん成長して行くように止まらなかった。


 僕が彼方について知っている事。僕は改めて考えてみる。名前、鬼のような性格、スタイルの良さ。そして、精霊を操るどこかの一族。あとは、あのカピバラとの関係。


 ······たったこれだけだった。僕の脳裏に、彼方の笑顔が浮かんだ。そうだ。あの笑顔。彼方の笑顔を可愛いと思った時から、なぜか彼女の事が気になり始めたのだ。


 ······この世に実在しない存在。僕は無い知恵を絞って考えてみた。実在しない······もしかして、彼方はあの世から来た幽霊!?


「······誰が幽霊だって?」


 僕の耳元で、誰かが囁く。僕は驚き、前のめりに倒れそうになる。辛うじて踏み止まり、後ろを見る。


 目の前には、白い日傘を差した彼方が立っていた。足元には、ちゃんと西日に照らされた影が伸びていた。僕はまた、心の声が外に漏れていたらしい。


「まだ明るいうちから何をブツブツ言ってんのよ。暑さで頭でもやられたの?」


 純白のセーラー服を着た少女は、相変わらずの口の悪さを披露する。でも僕は怯まなかった。このまま胸の中のモヤモヤを、放置出来ない。


「か、彼方に聞きたい事があるんだ」


 彼方は白いハンカチで、額の周りにいる蚊を払い、僕を不思議そうな目で見る。


「何よ改まって。聞きたい事って何?」


「か、彼方の事だよ。彼方は一体何者で、後は年齢とか、住んでいる場所とか知りたいんだ」


 守秘義務がある。僕はそう言われ、無視されると思っていた。でも言わずには居られなかった。理由は自分でもよく分からない。


「話は、今日の特訓が終わってからよ。激辛コース、超激辛コース。どっちがいい?」


 ここは、激辛ラーメンの我慢大会の会場か?鬼コーチは問答無用で、いつものイジメコースに持っていこうとする。


「確認しとくけど、売り切れは無いよね?」


 僕は直ぐ様、質問した。とにかく早く答えないと明るい未来は無い。


「大丈夫。在庫は十分にあるわ」


 何故か彼方は自信たっぷりに答える。ならばと僕は即断即決する。


「じゃあ、激辛コース!」


「あ、激辛コースは、今調整中だったわ。超激辛コースに決定ね」


 ちょ、調整中!?なんじゃいそりゃ!!さ、詐欺だ!毎度の騙しの手口じゃないか!


 彼方が右手を伸ばし、手のひらを僕の額に着けた。


「目を閉じて、稲田佑。そして心を落ち着けて」


 公園内にいた幼児の親が、不思議そうに僕等見ている。こ、こんな状況で落ち着けと言われても。


 僕の心配は杞憂に終わった。目を閉じた瞬間、意識がどこかに飛んだ。僕は目を開くと、目の前に大木が屹立していた。


 大木は一本では無い。木は隙間なく乱立しており、その幹を空高く伸ばし、枝と葉は空の景色を覆い尽くそうとしているように見えた。


「前回と同じく、ここはイメージの世界よ」


 僕の後ろで、彼方が説明を始める。ここで暦の歪みを正す、本格的な訓練が出来るという。


「稲田佑。さっきまでいた公園。以前と何か変わった気がしない?」


 彼方は突然質問してきた。近所の公園で?······あそこの公園と言ったら、思い浮かぶのはナンキンバゼぐらいかな。最近は本当に機嫌が良さそうに見える。


「それよ、稲田佑。アンタは既に歪みを正す行動をしているの」


 僕の返答に彼方は頷いた。僕がすでに、暦の歪みを正す行動をしている?全く自覚が無いんだけど。


 彼方は説明を続ける。僕がナンキンバゼの心の声を聞いてから、ナンキンバゼの機嫌と調子が良くなったと言う。


 人間で言うと、愚痴を聞いてもらって、スッキリしたと言う所だろうか?ともかく、ナンキンバゼはその影響を他の木にも与え、公園内の木々は良好な状態らしい。


「世界中の、一つ一つの植物の声を聞くなんて不可能よ。だがら一つの植物、アンタの場合は、あのナンキンバゼから始めるの」


 一つの木の好影響を、他の草木に広げていく。確かに現実的だ。彼方の話では、それはいずれ空や海、大気に影響を与えて行くらしい。


 一本の木から全ては始まる。なんだか壮大な話だな。僕が今まで決闘をした人達も、そうやって歪みを正す為に頑張っているんだ。


「でもここは特訓の場よ。稲田佑。ここにある大木達から、片っ端から話を聞いてあげなさい」


 か、片っ端からって。一体ここには、何十、いや何百の大木があるんだ?


「人間のカウンセラーだって、場数を踏まないと成長しないわ。数をこなすのよ」


 で、でも僕はナンキンバゼの感情、つまり心のイメージしか感じ取れない。言葉は聞けないんだ。


 以前彼方から言われた。初歩の初候ノ極は言葉。中候ノ極は心。そして全てを瞬時に理解出来るのが終候ノ極。


 僕は初歩の言葉を聞く事が、どうしても出来ない。


「それも合わせて、出来るようなる為の特訓よ。さあ始めて!」


 鬼コーチに、泣き言は通用しなさそうだった。とにかく僕は、大木に額を当て、目を閉じる。


 暗闇の意識から、何かが流れ込んでくる。······これは、何か不満な感情だろうか?他の大木からも、次々と感情が流れてくる。


 まるで、話を聞いて欲しいと殺到してくるようだ。以前、世界の大陸を俯瞰した時と似ている。僕の頭の中は、大量の感情で溢れそうだった。


 僕はそこで意識を遮断した。あの世界の大陸の時程ではないが、やっぱり精神が消耗する。


「どう?稲田佑。大木達の声が聞こえた?」


 僕は汗をかきながら、彼方に振り向く。そして無言で頭を振る。


「前と同じだよ。声は聞こえない。やっばりイメージでしか分からないんだ」 


 彼方は両腕を組み、僕の目を真っ直ぐに見る。


「今回は、どんなイメージ?」


「どの大木も不満だらけなんだ。何かに怒ってる感じがする」


 彼方は一本の大木に近づき、右手を手を当てる。


「正解よ。例えばこの大木は、伸び放題の枝の剪定を望んでいる。隣に木は、根を生やしている土の養分に不満、そのまた隣の木は、もっと広い土地に移動したがっている」


 彼方が、僕の感じたイメージを言語化してくれた。な、なんかこの仕事って苦情係みたいだな。


 この苦情処理を重ねて、大木達の機嫌を良くしていく。それが重要だと彼方は言う。暦の歪みを正すって、大変な作業だと改めて僕は知った。


 この特訓を上手くこなせば、彼方は僕の質問に、答えてくれるかもしれない。僕はひと呼吸置いて、再び大木に額をつけようとした。


 すると僕と大木の間に、突然カピバラが現れた。危うくカピバラに頭づきをする所だった。


「転移、開始します」


 彼方に色々聞きたかったのに、カピバラに邪魔された格好になった。僕の視界は暗闇に包まれる。


 僕は一瞬でイメージの世界から、砂漠の世界に移動した。僕はまず、周囲を観察する。前回とあまり変化は無い。一箇所を除いて。


 きなこちゃんの木が、更に成長していた。それだけじゃない。木の根本の周辺に、小さいが花が咲いている。


「······本当にあの娘は、末恐ろしい逸材ね」


 彼方が膝を折り、しゃがみながら花を眺めている。僕は、自分が褒めらているかのように嬉しくなった。


「只今より、小暑一族代表と、清明一族代表の決闘を開始致します」


 カピバラの機械音を発した後ろから、今日の対戦相手が歩いてくる。相手は男性だ。つむじの辺りが少し、跳ねている。


 体型は普通で、面長の顔をしている。紺のフード付パーカーにジーンズ。この砂漠が異様なせいか、周囲を物珍しそうに見ている。


「両一族代表は、互いに自己紹介して下さい」


「······しょ、小暑一族代表、中木曽真司。三十四歳、運送会社で働いています」


「清明一族代表、稲田佑。十七歳。高校三年生です」


 中木曽さんと名乗った男性は、なんだか穏やかな人柄に思えた。


「本日の決闘は、夏に恋人をゲットしよう!合コン対決と致します」


 ······はい?このカピバラ、今なんて言った?


 カピバラが指を鳴らすと、突然僕達の前に見知らぬ男女三人が現れた。な、なんだこの人達?


 カピバラは機械音の声で説明を続ける。僕と中木曽さんは、これから男女三対三の合コンに参加する。制限時間は、二時間。


 最後にカップル成立すれば勝利。二人共に成立しなければ、相手女性三人の僕達の印象が良い方を勝利者とする。


 な、なんだそりゃ?合コン?本当にやるのか?中木曽さんも戸惑っていると思いきや、両目を輝かせて嬉しそうだ。の、ノリノリ?


 突然現れた男女三人は、合コンに協力してもらう為に、僕達の世界からカピバラ達が無作為に呼び出したらしい。


 この人達には催眠術をかけており、この砂漠世界で合コンする事に、何の違和感も抱いてないと言う。


 ほ、本当にやるのか?この時、僕は気づいた。迷惑にも呼び出された三人。男性一人に、女性二人。三対三には、一人女性が足りないぞ?


 男女三人の横に、一人の女性が近づき、三人の横に並んだ。その女性は、純白のセーラー服を着ていた。


 も、もしかして、彼方も参加するのか?僕は慌ててカピバラに確認する。カピバラは頷く。女性を一人呼び損なったので、彼方に参加してもらうと。


 彼方にも一時的に催眠術をかけ、僕の事も忘れているらしい。か、彼方が僕の事を忘れ、これから一緒に合コンする?


 僕の頭の中は、混乱を極めた。僕の視線の先に映った混乱の元凶は、欠伸をしながら退屈そうな顔をしていた。



 


 

 



 













 

 

 

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