序章
僕の名前は、稲田佑。この春から高校三年生になった。大人しくて地味な僕は、クラス替えしたばかりの新しいクラスでも、目立たないポジションが定位置だ。
将来、同窓会が開かれても、アイツ誰だっけ?って言われる自信がある。今日もクラスでは、明るい生徒、勉強が出来る生徒、スポーツが出来る生徒、美男美女の生徒達が、クラス内をわがもの顔で、楽しそうに過ごしていた。
僕は、クラスで同じように大人しい生徒と、世間話をする振りをして過ごす。僕らは堅い友情で結ばれている訳では無い。
ただ暗黙の了解があるのだ。同じ人種同士、休み時間を共にやり過ごす為に協力しようと。
人間関係がリセットされるクラス替え。また新たに一年間、毎日休み時間がある。その時間を一人で過ごさないように、話す相手をなんとしても確保しなくてはならない。
一度確保すれば、後はひたすら同じ人種の仲間と過ごせばいい。別に深い友情は求めない。ただ、周囲にクラスで孤立していると思われなければいいのだ。
勉強もスポーツも苦手な僕にとって、学校は青春とやらを楽しめる場所では無かった。部活にも入らず、学校が終わった後は真っ直ぐ家に帰り、ゲームをするのが僕の日課だった。
今日も学校から家までの道のりを、最短ルートで歩いていた。足元に桜の花びらが落ちている。盛りを越えた桜は、大分葉桜になってきた。
日本でも世界でも、異常気象が騒がれているけど、確かにそうかもしれない。関東で今年の桜が満開になったのは、四月中旬だ。二十九日を過ぎた今になって、ようやく散り始めた。
花見など一緒にする友達はいないが、僕は桜の今の時期が好きだった。春の強い風が吹くと、桜が役目を終えたとばかりに、花びらの雨が視界一杯に舞う。
近所にも桜並木の道があり、散歩がてらその光景を眺めるのがお気に入りだ。ゲームだけの休日より、少しは充実感がある。
その並木道を思い出し、僕は珍しく寄り道した。今日も風が強い。きっとたくさんの桜吹雪が見れる事を期待した。
小さい川沿いにある桜の並木道を、僕は顔を上げながらゆっくり歩いた。桜の花びらは、午後の陽光に反射してキラキラと輝いている。
それは、突然だった。突風のような風が一瞬吹いた。あまりにも強い風に、ぼくは目を細めた。狭まった視界に、滝のように桜の花びらが降り続ける。
風が収まり、僕は目を開いた。全ての桜が散ってしまったのかと思う程の風だった。恐る恐る上を見上げると、桜の花は健気に枝にしがみついていた。
僕は、ホッとして表情を緩めた。声が聞こえたのは、その時だった。
「桜の花が散らなくて、安心したの?」
僕は声がする方角を見た。僕の目の前に、女の子が立っている。まず目に入ってきたのは、純白のセーラー服だ。靴下も靴も白い。こんな制服、初めて見る。どこの学校だ?
肩より少し長い髪が、さっきの残り風に揺れていた。身長は僕より十センチ程低いだろうか。最も、百七十センチ丁度の僕も、小柄な部類だろうけど。
細見の身体は、姿勢がとてもいい。顔を見ると、僕と同じ年くらいに見えた。太い眉毛に長いまつ毛。鼻は高めで、唇は薄い。両目は一重で、意思が強そうな瞳をしていた。
外見だけで言うと、クラスの女子に居たとしたら、中の中と言う所だろうか。などと僕は偉そうに彼女を評価した。僕なんか、下の中ぐらいに思われてるんだろうな。
「あんた、稲田佑でしょう?」
純白のセーラー服の少女に、突然名前を呼ばれ、僕は驚いた。なんで僕の名前知ってんの?
「······き、君誰?なんで僕の名前知ってんの?」
普段、クラスでもろくに女子と話もしない僕は、女の子と話一つするのにも焦ってしまう。
「私、面倒な手続きとか苦手なの。手っ取り早く、自分の目で確かめてくれる?もう相手も来てるしさ」
彼女が何を言っているか、僕には何一つ理解できなかった。いきなり話しかけて来たり、僕の名前を知ってたり。
新手の詐欺か何か?取られる程、金なんか無いぞ。とにかく怪しい。ここは立ち去るのがいいと僕は考えた。
その時、僕と彼女の横に、白い塊が立っていた。その塊は、動物のカピバラに見えた。いや、動物じゃない。カピバラの着ぐるみだ、これ。
ご当地ゆるキャラにいそうなアレだ。カピバラは彼女と同じくらいの身長だった。このゆるキャラ、一体どこから現れたんだ?
「転移、開始します」
カピバラが喋った。いや、ゆるキャラが喋ったら駄目だろう。しかもこの声、機械音みたいでおかしいぞ。
あれだ!テレビの番組で、プライバシー保護の為に、音声を変えてる奴と同じ声だ!
カピバラが喋った瞬間、僕の視界は暗転した。目の前の風景が一瞬で変わった。
僕は、乾いた砂漠の上に立っていた。量販店で買った安物のスニーカーは、半ば砂の中に埋もれている。靴の中に大量の砂が入り込み、ザラザラして気持ちが悪い。
砂漠は地平線の先まで、ずっと広がっている。空は薄暗く、淀んでいる。太陽も薄雲に隠れて、なんだか頼りな見くえた。
······一体ここはどこなんだ?僕は、川沿いの桜並木道にいた筈だ。
「ここは、遠い未来の地上の姿よ」
気づくと、僕の後ろに彼女が立っていた。慌てふためく僕と違い、彼女は取り乱すこと無く、至って冷静だ。
「一度しか言わないから、これから私が言う事、よーく耳の穴かっぽじって、死ぬ気で聞いてね」
彼女の言葉は、乱暴の中に何割か恫喝が含まれているような気がする。彼女は語り始めた。この世界の成り立ちを。
彼女が言うには、人類が誕生した当初、世界に、季節と言うものは存在していなかったらしい。
この世界を創造した、理の外にいる存在が、季節というものを創り出した。なんの為に?季節の移ろいは、繰り返して行く。命の始まりと終わりも同様に。
理の外の存在は、人間に限りある生命の大切さと、愛おしさを感じて欲しかったのだ。季節の変化と共に。
そして、季節が正しく流れて行く為に、人間の中から、季節の守り人を選びだした。選ばれた守り人達は、与えられた力を使い、季節が正しく過ぎて行く為に、力を尽くした。
その行為は、次の世代に引き継がれ、そのまた次の世代へも継がれ、守り人は人間の歴史と共に、自分達の役目を果たして行った。
だが、気の遠くなるような歳月と共に、守り人の伝統も廃れて来た。幾世代にも引き継がれてきた役目も、いつのまにか忘れ、守り人達は、普通の人々達に溶け込んで、埋もれて行った。
「季節がおかしくなっていったのは、そこからよ。最近、季節感が無くなってきたって感じる事は無い?」
······確かに、言われて見れば冷夏や暖冬。酷暑に寒すぎる冬。季節が変わる度、ニュースで異常気象ってよく言ってる気がする。
「それって、人間が原因なのかな?自動車や工場が出す二酸化炭素で、温暖化してるとか?」
彼女は僕を見て、すごく残念そうな顔をしてる。なんで?
「アンタって······いや、アンタが考えられる答えって、その程度よね」
彼女は残念そうに首を振る。な、なんだよ、その程度って!必死に考えた僕が馬鹿みたいじゃないか!
「理の外の存在。彼等が作った季節は、そんなに柔じゃないわ。全ての原因は、守り人達が、役目を果たさなくなったからよ」
彼女は続ける。どんな精密機械も、人間の身体も、使い続ければいずれガタがくる。それは季節も同じだった。歪んだ季節の調整。守り人の仕事は正にそれだった。
守り人達の役目が長く行なわれなくなってから、季節の調整が放置され、この世界の気象がおかしくなってきたのだ。
季節の守り人は、二十四の一族が存在した。一族達は各地に散り、各々の担当する時期に、その役目を果たす義務があった。
「稲田佑。アンタは、その二十四の一族の一つ、清明一族の子孫よ」
······え?僕がその一族の子孫?なんだそれ?どういう事?初耳もいいトコなんだけど。呆気に取られる僕を無視して、彼女は粛々と言葉を続ける。
二十四の一族には、中心的役割を務める、二つの一族が存在した。一つは春分一族、もう一つは清明一族。
この二つの一族には、季節を調整する他に、もう一つ役目があった。二十四ある一族同士をまとめる役目だ。
一族同士いざこざがあった時、役目を怠る時、春分一族と清明一族は、それらの問題を収めなくてはならない。
その義務を務める為に、清明一族の子孫の僕が選ばれた。彼女は確かにそう言った。
······にわかに信じられない。いきなり一族の子孫だからって務めを果たせ?
「二十四節気って分かる?」
「二十四節気?·······ええと、あ!朝テレビの天気予報の時、時々言ってるやつだよね」
僕の答えに、彼女は更に残念そうな顔をした。し、失礼だなこの娘。二十四節気なんて、誰も気にしてないだろ。
「一年の季節は、二十四に分けられているのよ」
二十四節気。理の外が作った暦だ。人間が季節を分かりやすく感じとる為に、一年間を二十四に分けた。
清明一族の清明も、その二十四節気の名の一つらしい。古来、二十四の一族に問題が発生した場合、一族同士、決闘が行われた。
決闘に勝った側の意思決定は絶対だ。破れた側は、その決定に必ず従わなければならない。
彼女が言うには、清明一族の僕が、他の一族達と決闘して、勝利する必要があるらしい。そして相手に命じる。与えられた義務、すなわち季節の調整を再び行えと。
······決闘?いきなり訳が分からない場所に連れてこられて、誰だか知らない相手と決闘しろって?何を言ってるんだこの娘は?
「ええと、色々と質問があるんだけど」
僕が言い終える前に、彼女は手のひらを突き出した。なんだか飼い主に、待てと言われた犬のような気分だ。
「先ずは私の話を聞いて頂戴。それでも分からない事があったら質問して」
アンタの下らない質問にいちいち答えるのは御免よ。なぜか彼女はそう言ってるように聞こえた。
彼女は、僕が疑問に思ってそうな事を、話し始めた。
最初に、決闘は放棄出来ないらしい。決闘を終えなければ、ここから帰れない。季節の調整とやらは、その理の外の存在がすればいいと思うが、それは出来ない。
季節、いわいる暦を調整する力は、二十四の一族に分け与え、理の外の存在はその力を失っているからだ。そして、あのカピパラの着ぐるみは、理の外から来た決闘の審判らしい。
決闘の方法は、その都度このカピパラが決める。
暦の調整をこのまま放置すれば、地上はいずれ今僕が立っている、一面砂漠地帯になるらしい。
そして彼女の存在。彼女は、僕を助力する為に派遣されたらしい。清明一族は、春分一族と並び、他の一族を指導する立場にいる為、特別に助力を担当する人材が与えられる。
······たちの悪い白昼夢。さっきから僕はそう願っていたが、夢では無いらしい。彼女にバレないように、お尻をつねってるが、痛みを感じるし、砂が入った靴の感触も続いている。
何よりこの場所の気候。一面砂漠のせいか、酷く乾燥している。さっきから喉が乾いてしょうがなかった。
「質問が無いなら、決闘始めるわよ」
嫌だ!誰がそんな面倒な事するもんか!······僕はそう考えていたが、敢えて黙っていた。その決闘とやらに、負ければいいんだ。
決闘さえ終われば、元の世界に戻れる。さっさと戻って、昨日のゲームの続きをしよう。清明一族?暦の調整?知るもんか。そんなもの。
「ああ、一つ言い忘れた。決闘に負けたら、この地上からアンタの存在は消えるから」
授業で提出する課題を家に忘れました。彼女は、まるでそんな台詞を言っているかのような気軽さだった。
ちょ、ちょっと待ってよ!そこ、一番重要で、最初に言わないと駄目なヤツだろ!!
「清明一族と、穀雨一族の決闘を開始します」
カピパラの着ぐるみが、機械音の言葉を発し、結構の開始を宣言した。
砂漠の向こう側から、人影が見えた。僕の決闘相手らしい。彼女が先刻言ってた。もう相手が来ていると。それって僕の決闘相手の事だったのか?
顔面蒼白の僕に、彼女は両腕を組み呟いた。その言葉は、なぜか僕の耳に印象強く残った。
「これは、暦の歪みを正す戦いよ」
清明一族に生まれ事を恨む暇も無く、さっきまでの僕の日常は、一変した。