第7話「夕焼けの怪物」
夜が明けた。
昨夜の都市巡りを終えた後、適当なマンションを住居に選びそのまま疲れて寝てしまった。無論、無人なので寝床に困ることは無かった。
窓から見える都市は光り輝く照明と打って変わり、建物に反射する日の光によって隅々まで照らされている。
藍徒たちのマンションにも光が差し込む。
「………ん」
顔を照らされてその顔をしかめた藍徒は、隣で寝ている灯火を起こさないように静かに立ち上がる。
「んん……あぁ、痛ってぇ……フローリングで雑魚寝痛てぇ……」
体があちこち痛む。床で寝てしまったのもあるだろうが、『暴動』で相当体を酷使したので筋肉痛が酷い。肩を回すと、肩甲骨が些細な痛みを伴いながら音を立てた。
「とりあえず、ベッドか布団持ってこなきゃな……ていうか、昨日襲撃されてたら詰んでたな……気を付けなきゃ」
よくこんな無防備な状態で眠れたなと、改めて思う。朝方特有の苦い口の中が、鉄臭い血で満たされていたのかもしれないと思うと、寝惚けた意識は急激に醒めた。
「ん……おはよう、藍徒さん」
「おはよう。今から家具とか家電とか持って来るから、灯火はヴァイオレットさんを呼んで食料を頼んでくれ」
そう言いつつポケットにしまったままのベルを、眠そうに瞼を擦っている灯火に手渡す。
「一人で大丈夫? もし、なんかあったら……」
「多分大丈夫。……一応、魔法も使えるんだ。なんかあっても、あっさりと死ぬことはないよ」
「……分かった。気をつけてね。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
マンションを出て、向こう側のショッピングモールに足を向ける。
車も人も何も通っていない道路を歩く。信号はちゃんと仕事をしているが、ここでは意味が無かった。
ショッピングモールに着き、中に入る。電気こそ付いているが、がらんどうで物寂しさを感じる。そこから、必要な生活品を一式揃える。
ベッドはマンションに入れない大きさしか無かったので、せめて一番良い布団を選ぶ。
『暴動の初動【ライオット・ファースト】』
呪文を唱え、力を解放する。なんてナレーションが脳内再生しているのを自覚して、未だに小っ恥ずかしく感じる。身体中の筋肉痛は治っていないが、魔法を発動している今の状態では気にすることでもない。片っ端から運んでいく。
「よっと。これで全部かな」
恐ろしく早く調達は終わった。魔法をこんな日常使いしていいのかと思ったが、数時間ほどかかるところを数分で終わらせられるのだから、当分は『暴動』の力に頼りそうだ。
「ただいま」
「お帰りなさい。早くない?」
「『暴動』使った」
「あぁ、そりゃ早いか。ヴァイオレットさん来てるよ」
部屋に入ると大量の食品が積まれていて、その傍らにはヴァイオレットがいた。
「おはようございます。藍徒様」
丁寧な佇まいでこちらに挨拶をしてくる長身の美女。ふと、聞きたいことが出て来たので挨拶がてらに訊いてみた。
「おはようございます。ヴァイオレットさん、少し聞きたいことがあるんですけど」
「何なりと」
「俺たち、昨日魔法を試したんですけどやっぱり魔力切れってあるんですか?」
そう。自分たちも魔法が使えるということは分かった。
しかし、あんな力を使うのに限りが無いというのは考えにくい。
「はい。ございます。……もしやお二人とも、『刻印』に気付いておられていないのですか?」
「『刻印』?」
「ご自分の右腕を確かめて下さい」
そう言われて袖を捲り右腕を見てみる。
すると、二の腕の中心ら辺にレミルから貰った本と同じ紋章が、肌色の皮には場違いな黒色で刻まれていた。
しかし、藍徒の方が灯火よりも色が少しばかり薄くなっていた。
「すげぇ、タトゥーみたいだな……」
「その刻印は、自分の魔力残量を確認するものです。あとどれだけ残っているかは、刻印の色の濃さで確認することが出来ます。
例えば、藍徒様は先ほど魔法を使用されたので魔力が減ったことに応じて色が薄くなっています」
「本当だ……魔力の回復する方法ってあるんですか?」
「はい。魔力は体力と同じようなもので、何か栄養を摂取したり、休息を取るなどして回復することが出来ます」
「今日は休憩だね」
「今日攻め込まれたら、最悪だけどな」
全く笑えないが、深刻な顔をするよりはいいだろうという考えの元で、ヘラヘラと情けない笑顔を浮かべた。本当に笑えないのは事実だが。
「そしてもう一つ、私の方からお伝えしたいことがございます」
捲った袖を元に戻そうとすると、ヴァイオレットが二人に声を投げかける。手を止めて、藍徒と灯火はヴァイオレットの方へ目を向けた。
「どうしました?」
「お二人がお持ちの魔法が記された書物。名前をグリモアというのですが、そのグリモアについて少しお話したいことが」
「グリモアって……これのことですか?」
自分たちが眠っていたすぐ近くに、レミルから受け取った本が無造作に置いてあった。それを拾い上げて、ヴァイオレットの方に渡す。
「お二人とも、私の方へ『刻印』が刻まれている方を向けて下さい」
何をするつもりなのだろうかと疑問が浮かんだが、言われた通りに刻印のある右腕をヴァイオレットの方に向けた。
「失礼致します」
ヴァイオレットはその白い指を二人の刻印に這わせた。黒く変色した皮膚にも感覚があるのか。少しこそばゆいと思っていると、指がゆっくりと離れていった。
少し経つとなぞられた刻印からぷちっと何かが裂けたような音がした。嫌な予感がして、二人は刻印を視界に入れる。
そこには、小さな裂け目が出来ていた。
「うわっ! なんだこれ……」
思わず顔をしかめた。不思議なことに痛みはなく、血も出ていない。ただ、色味の鮮やかな筋肉の代わりに裂け目の中には黒い空間があった。
「ご心配なく。すぐに終わらせますので」
そう言うとヴァイオレットはその裂け目にグリモアを近付けた。するとグリモアは吸い込まれるように腕に入り込んでいく。
どう考えてもこのままでは腕に本が突き刺さったようなグロテスクな形になってしまうが、流石はファンタジーといったところか。
辞書ほどの大きさを持つグリモアは、その姿を青白い火種と変えて、黒い空間に消えていった。
そして、裂け目があった場所はいつのまにか元通りになっていた。
「……なんか、ただただ凄かったな」
「だね……ヴァイオレットさん、今のなんだったんですか?」
「今ご覧になった通り、グリモアを体内に収納させていただきました。戦闘を行う際に、特に藍徒様の魔法は強化された体を駆使して戦うものであるとお見受けしたので、グリモアに実態を持たせたままの戦闘は無理があると思い、このような形に」
「言われてみれば、毎回辞書サイズの本持ったまま戦うなんて無理だよな……相手に奪われたりしたらそれこそゲームオーバーだし」
昨晩の無人の都市巡りの時や、今朝の調達の時も、灯火に持ってもらったり、大きめのパーカーのポケットに無理矢理捻じ込ませたりと、確かに置き場所には困っていたところだった。
「魔法の行使については、以前のように呪文を詠唱すれば発動いたしますのでご安心下さい。もしグリモアを取り出したい時には、いつでもお呼び下さい」
「はい」と返事を返したあと、自分でも刻印をなぞってみる。
黒い模様ごと皮膚が張り裂けるはずもなく、刻印は平然と二の腕に刻まれたままだった。
「それでは、私はここで。ご健闘をお祈りしております」
いつものように指を鳴らして、ヴァイオレットは消えた。
改めて、右腕の薄くなった刻印を見つめる。
やはり日常使いは控えた方が良さそうだ。攻め込まれても、魔力切れで何も出来ないなんていう悲惨な結末だけは避けたい。
あれこれ考えている内に、自分の腹の虫が鳴いていることを自覚した。
「とりあえず、腹減った。フライパンとか食器とか包丁とか持って来たから、なんか作ってくれよ。灯火」
「何食べたい?」
「牛丼」
「また? 先週も牛丼だったじゃん」
「この世界に来て初めての牛丼だからいいんだよ」
今更ながら、自分たちの世界によく似た異世界で最初の朝を迎えた。
※※※ ※※※※※※※※※※※※ ※※※
それは、中世の屋敷のようなところだった。
しかし屋敷には美しい装飾や明かりは一つも無く、部屋の中は言うなれば幽霊屋敷のような有様だ。
そんな屋敷の大広間に、黒い紳士服を着込み仮面を被った人物が数人集まっていた。
「魔獣の準備は?」
「ブライゼ、ロイゼス、ペドロム。三匹ともいつでも放つことが出来ます」
オペラ座のような仮面を被った男の質問に、嘲笑が描かれた仮面の男が答える。
「それでは今夜、『空洞』『背徳』『憂鬱』に一匹ずつ投下せよ。そして、一番満身創痍となったグループを潰せ」
「御意」
命令を受けたと同時に、黒い人影は一人を除いて闇の中へと消えていった。
「凛花。君には今言ったチームに単独で潰しに行ってもらう。魔獣も選りすぐりの魔獣を送り込んだ。
全滅とまではいかないが、多大な被害を被ることとなるだろう。そこで、君に一番潰しやすいチームを壊滅させてもらう」
凛花と呼ばれたその少女は、涙を流している仮面を外し、命令を下した男にお辞儀をした。
「仰せのままに。ヴィルムート様」
その双眸には光が灯っていなかった。
※※ ※※※※※※※ ※※※※※※※ ※※※
朝食を済ませ、風呂に入り、用意した衣類に着替える。これだけを見ると、ごく普通な生活のように思えるが、命の危機にさらされているのは変わらない。
「やっぱり駅が一番隠れやすいな。もし見つかっても線路は一直線だから、障害物が少なくて逃げやすいし」
「問題は、相手がどんな魔法を使って来るかだよね」
「そうなんだよな。何せ情報が少ない。ヴァイオレットさんにも聞いてみたけど、それだけは頑なに教えてくれなかったしな」
無人の地下鉄のホームに立ちながら、今後の対処の仕方について話し合っていた。
「もし、襲撃されて逃げたとしても俺らはこの都市の外には出られない。大体、殺しに来るような奴らと話し合いで解決出来るなんて思えないし……やっぱり殺すしかないのかな」
ふと、自分たちが人を殺すことを考えてみる。
無理だ。自分たちには人を殺す度胸なんて無い。
本来そんなものは無くて良いのだが、この選定ではいつ自分たちが殺されるか分からない。
殺すか、殺されるか。
それを迫られた時、生き残るためには前者を選ぶ他ない。
「藍徒さん……怖い?」
灯火が弱々しく藍徒の手を握る。
それを見て藍徒は焦るように笑顔になって灯火を安心させようとした。
「だ、大丈夫だよ。もし、攻め込まれても俺が必ず守るか……」
「そうじゃないよ……人を殺すのが、怖いの?」
そうだ。彼女は全部分かっている。
死ぬ事も勿論怖い。しかし、それ以上に誰かの命を彼が奪ったら、彼は彼自身を許せなくなってしまうのではないか。という事を恐ろしく感じている。
「大丈夫。お前を失くすより全然マシだよ」
そんな彼女の気持ちを自分も同じように分かるから、自分が笑っていなくてどうする。心配させてどうする。
自分が彼女を笑顔にしないでどうする。
「さぁ。そろそろ帰ろう。過剰に構えててもこっちの身が持たない。帰って飯を食おう」
「……うん」
手を繋いだまま、地上へ出る。外は日が沈みかけていた。夕焼けに照らされた道路を歩こうとして足を一歩踏み出す。
何か、物音がした。
「……!」
ここは無人の都市。彼ら以外人間はおろか、生物すらいないはずだ。
考えられるのは、ただ一つ。
「……襲撃だ」
神経を尖らし、辺りを睨み付ける。
すると、日が沈む方向に何かいるのを発見した。
「……何だ…アレ」
そこには、こちらを見つめ牙を嚙み鳴らしている怪物がいた。