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空洞と魔法と雨  作者: 気怠げなシュレディンガー
第1章 道化師の選定
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第27話「熱病の異常さ」

新年、明けましておめでとうございます。

そして二ヶ月ほど投稿できなくて、すみませんでした。


今年も宜しくお願いします。

それでは、どうぞ。

 頭が、痛い。頭蓋に反響する鈍痛が続いて、意識が揺さぶられるような感覚に襲われている。ついでに、胃が引き絞られるような吐き気も催している。

 二日酔いと思えればいくらか笑えたかも知れないが、生憎酒など飲んだことなどないので分からない。


 けれどそんな状態の中でも、ヴィルムートが告げた言葉だけは藍徒の意識に色濃く残っている。



「俺の心に、巣食う感情」



 それが、この不快感であるならば早く切り離したい。自分でも笑ってしまうほど、気持ち悪くて仕方がないのだ。


 妬み嫉みの類は、数え切れないくらい浮かんだことがある。思春期特有の承認欲求に追随する面倒臭い代物。それも醜いといえば醜い感情だ。


 しかし、自分の中で蠢く熱はそんな生易しいものではない。いつもなら決まって最後の方で虚しさに収束されるはずなのに、今回は違う。

 いつまで経っても、熱い。冷めることはなく、ヘドロのようにへばり付いて、理性を焦がしている。


 不快だ。異常だ。こんな感情は認めない。認めたくない。


「でも、それでも」



 確かめなくては。あの男は言った。この熱の正体を知っていると。それを彼自身から訊かずには、この熱は治らない。そんな予感がする。


 同時に、ヴィルムートは『選定』において打倒すべき敵だ。悪夢の中で花を嘲笑いながら壊した、偽りの異常者だ。あの醜い笑みは、片時も頭から離れていない。

 ヴィルムート・スペルビアを打ち倒し、この場所から灯火たちと抜け出す。

 それが今、自分がすべきことだ。



「とにかく、灯火たちと合流しなきゃな……」


 依然として最悪の気分のまま、深く息を吐きながら顔を上げる。すると弱々しい風が耳元を通り抜けて、張り詰めていた緊張が緩くなってしまった。

 無視し続けた疲労が今更になって呼び起こされた。



「……ッ! はぁ、はぁ、クソ、気ぃ抜いちまった……」



 頭を抑えて、息を荒げる。容赦なく体を蹂躙する痛みが、思考の邪魔をしてくる。

 視界が不規則に点滅しているのは、痛みに耐えかねて瞬きが増えているからだろうか。血溜まりの中で死んでいるドレークスと、真っ暗な闇が交互に映る。


 ダメだ。今ここで気を失ってしまっては、暫くは起き上がれない。

 危機感が瞼を抉じ開ける。溶け出していく意識をどうにかして掬い上げようとするが、激痛に悶えてまた零しそうになる。


「はぁ、はぁ、んぐ、はぁ……」



 その間に『暴動』がその痛みを覆うように体を行き交う。ズタズタになった傷を治癒するためではなく、一時的に痛覚に入り込み、麻痺させるために流れている。感覚としては、出血が止まらない傷口を焼いて塞いでいるのと同じだ。

 故に、藍徒の体には更に強烈な痛みが走っている。


「あぁ……あ、あぁぁ……!!」



 とてもじゃないが、正気ではいられそうにない。この痛みを乗り越えられる気がしない。

 こればかりは、慣れたところでどうにもならない。


 絶叫も出ないほどに掠れた喉からは、血と胃液が混じったような匂いが立ち昇って来る。せり上がってきた鮮血が、口に広がっていく。



「――――っく」


 しかし、血を吐き散らすのさえ惜しい気がして、喉の渇きも潤せずに飲み込む。波打つように喉仏が動いて、汚物を胃に落とし込めた。

 形容し難い不快感を抱いたが、そんなものは激痛の前では無意味だった。


 痛い。兎にも角にも、痛い。あまりに痛くて、情けなく泣き出してしまった。

 それでも、耐えて、耐えて、耐え続ける他ない。痩せ犬のような唸り声を上げながら、藍徒は全身を取り巻く激痛にしばし呑まれていた。




 ――その甲斐あって、『暴動』は傷の大部分を埋め尽くすことに成功した。


「はぁ、はぁ、っ、なんとか、乗り切ったか……全く、勘弁してくれよ……」


 痛覚は段々と麻痺し始めて、呼吸は落ち着きを取り戻しつつある。

 乱れていた精神も、熱を度外視すれば特に異常はない。泥を払って、少し蹌踉めきながら立ち上がる。


 うっすらと目を覆っている雫を拭き取って、視界を鮮明にする。周囲の鬱蒼とした木々を見渡すが、灯火と花の姿は見えない。ドレークスとの戦いの際に遠くの方へ逃げてくれたことを思えば安心すべきだが、今はもうその必要はない。むしろ、今となっては別々の場所にいる方が危険だ。



 果てしない激痛の大波から生還したが、息つく暇もなく藍徒は状況を整理する。



「あの野郎の言うことなんて信じるべきじゃないんだろうけど、どっちにしろ叩き潰すんだ。……確かめるためにも本拠地には乗り込むしかねぇ」


 ヴィルムートが言っていたことが真実かどうかは定かではない。あの言葉が罠にかける為の嘘で、本当はヴィルムートの他にも『偽造』の人間がいる可能性も十分にある。


 その上、ヴィルムート個人の能力がどのようなものなのか把握出ていない。


『偽造』を統べるほどの実力者であり、何より、あのドレークスの上に立つ人物だ。

 どれだけ規格外な力を持っていたとしても、不思議ではない。少なくとも、侮ってかかっていい相手ではないだろう。


「『暴動』を発動したままじゃないと、俺は動けないし……少しでも気を抜けば、一瞬で泡吹いて倒れてゲームオーバー。クソッ、またどん詰まりかよ……」


 藍徒が正気を保っていられているのは、『暴動』が痛覚を感じなくさせているからだ。だがそれも、『暴動』が機能している間だけ。

 そうこうしている内に、魔力は刻一刻と減っている。『暴動』が全て抜け落ちた時点で、藍徒の敗北が決定してしまう。綱渡りにもほどがある。



 最終局面だというのに、安堵は一向に訪れない。死の匂いはいつも通り、素知らぬ顔で鼻腔をくすぐる。


 しかし、何か大きな脅威がいた気がしたが、その正体が既に死んでいたことにようやく気付く。



「ドレークス」



 改めて、血溜まりで朽ち果てている肉塊を見下ろす。


 いくつもある背中の穴からは、既に出血が止まっている。その代わりに、虚ろな目は血溜まりに浸って赤黒く染まっていた。

 肉体も精神も人間とはかけ離れていた異常者。醜い姿に成り果てても、自分を殺そうとしてきた怪物。


 対峙していた藍徒からしてみれば、そんな怪物が無惨に息絶えて自分が鼓動を繰り返していることがあり得なかった。


「あの時ヴィルムートがアンタを殺さなかったら、俺は確実にアンタに殺されてた」


 浴びせられた殺意は、今も恐怖として染み付いている。どうやっても、あの状態のドレークスには勝つことはできなかっただろう。それだけは断言できた。

 それほど、藍徒とドレークスの間には差があった。


 人と、怪物の、明確な差が。


「……でも結局、アンタはいいように使われていたってことなのか」


 答えなど返ってくるはずもないのに、冷たくなった死体に問いかける。


 ドレークスはヴィルムートに対して敬意と忠義を尽くしていた。それなのに、主君たるヴィルムートによって呆気なく命を奪われた。

 ドレークスが最期に一体どれほどの無念を抱いていたかは知る由もない。しかし、こうなることが彼には分かっていたのかもしれない。


 ヴィルムートの使い捨ての手駒であると、自覚していたのかもしれない。



「それでも、俺はアンタに同情なんかしない」



 口で言っていることと頭の中の感情が一致しない。それを理解しているから、余計な同情の方を全て取り去った。

 非情であろうと、意識的に感情が冷めていく。そうでもしないと、敵であったとしても殺す覚悟ができなくなってしまう。それは、大事な人を危険に晒すことに繋がる。


 それだけはダメだ。それだけはあってはならない。



 そうやって、憐れみと呼ぶには暖かみがなく、嫌悪と呼ぶには刺々しくない、そんな中途半端な感情が出来上がった。



「俺とアンタは、違う。それだけは、絶対に」



 何も言わない骸に、わざわざそう宣言する。

 表情を歪ませてまで言ったその言葉に、果たして意味はあったのだろうか。

 考えれば考えるほど辿り着きたくない答えに至ってしまいそうで、怖い。ギリギリのところで、思考をセーブする。



 ――それとも、あの台詞は自虐的な意味合いだったのかな?



「……黙れ。俺が、こんな奴と一緒なわけないだろ」



 何故、頭から離れないのだ。


 所詮は嘘吐きが言った、挑発混じりの戯言。真面目に取り合う方が無駄だ。

 あの言葉は、眼前で吠え猛ていた怪物に言った負け惜しみというだけで、他意はない。

 思想の一片でも、同じであるものか。


 もっともらしい理屈を並べ立てて、全力で否定する。思考がまとまらないのを正体不明の熱のせいにして、自分はこの怪物とは違うと必死に宣《のたま》う。


 ――その姿が、紛れもない異常だと気付けずに。



「あぁ、こんなこと、灯火と花には絶対に知られないようにしなきゃな」



 零した声は、震えていた。



 ※※※※※※※ ※※※※※※ ※※※※※




「この屋敷も随分と汚れてしまったな」



 感慨深そうに呟きながら、血が染み込んだカーペットの上を歩く。割れた窓から月明かりが直接入り込むが、それでも部屋は仄暗いままだ。

 弱々しく、足下の床だけを照らしている。


 だが彼の足取りは「ニセモノ」には不釣り合いなほどに、命の重さを持ち合わせた、しっかりとしたものだった。


 血で汚れた左手で取れかけたドアノブを回し、更に広い空間に出る。


 惨劇と称するに相応しい大広間。

 湿っぽい空気には濃い血の匂いが漂っている。食事を取るために置かれた大きなテーブルも、『憂鬱』との交戦の際に粉々になってしまっていよいよ廃墟同然。

 否、廃墟そのものだ。


「客人を招くには些か汚れ過ぎだが、すぐに新しい血で染まる。今更気にしたところで仕方がない」



 他の人間からしてみれば、この場所はさぞ痛々しく映るだろう。怨霊や亡霊が出てもおかしくないくらいに怨嗟と無念が飽和している、異常者の『居場所』。

 けれど、こんな血濡れの屋敷でもヴィルムートにとって安寧の地であった。


 その証拠に、右手には素顔を偽るための仮面が握られている。晒した素顔は冷笑を貼り付けたような表情ではなく、ただただ穏やかだ。

 瞳も虚ろなものには変わりないが、幾許《いくばく》かの悔恨と安堵が宿っている。



「ハンス、クローム、アルマーニ、フェルマ、ベルナード、レミリア、ネイ、レスノー、フィルムンド、ギミニア」



 その瞳で壁に飾られた十字架を見て、ひとつひとつ目線を合わせながら名前を呼ぶ。綺麗に並べられてある十字架は醜い血の色ではなく、何色にも穢されていない透明なものだ。

 まるで、身体中の血液が全て抜かれ、安らかに眠っている亡骸のようにも見える。



 ひと通り名前を呼び終わると、微笑みながらゆっくりとお辞儀をした。愛想笑いではない自然の笑みで、心からの敬愛と感謝を伝える。



「己が望みのために走り続けた、愚か者。その醜い姿を隠し続けた、贋作者。―――そして、私のためにその命を儚く散らした、愛すべき手駒。それが君たちだ」



 左手は同胞の血で染まっている故に、見えないように後ろに回している。今更隠したところで、自分は洗い落とせないほどに血生臭さが漂っているが。


 頭《こうべ》を垂れたまま、言葉を紡ぐ。


「さぞや無念であろう。さぞや私に煮え切らぬ憤りを抱いているだろう。私は、もはやどう贖っても赦される身ではない。だが、どうか私の望みだけは、光をもたらしてはくれないだろうか」



 どの口が言うのか、と自嘲したくてつい口の端が釣り上がりそうになる。それをぐっと堪えて、気恥ずかしさを噛み締めながら顔を上げる。



「君たちにもし来世があるならば、願わくば、歪みがないことを。『偽造《フェイク》』などと不名誉な名前を背負わずに、命を全うしたまえ」


 彼らを憐れむのは、筋違いだ。

 無念な死を遂げた彼らに祈りを捧げるのも、おこがましく思える。


 しかし、祈らずにはいられなかった。

 それが嘘偽りない、自分の気持ちだからだ。



「……生憎と、私は君たちより壊れているのでね。零す涙さえ、持ち合わせていないのだよ」


 再び、仮面を着ける。その壁から踵を返して、空虚な足取りで軋む階段を下っていく。


 その途中で紳士服の胸ポケットから十字架を取り出した。地獄の業火のような赤色をした、呪われた十字架。

 感情の火種を取り払った瞳で見据えて、その十字架に語りかける。



「ドレークス。君にはもう少し働いてもらう」


 死して姿かたちが変わろうとも、主君の命令に応えるように十字架は禍々しい色味の光を放つ。

 その有り様を見て、ヴィルムートは皮肉そうに笑った。



「君は従順と呼ぶには少しばかり我儘だと思っていたが、どうやら違っていたらしい。君は何処まで行っても、私の手駒であった。私もそうだが、君も生粋の愚か者だな」


 本当は彼のことを嘲笑う資格はない。

 けれど同族嫌悪ではなく、同類であるからこそ自分のことのように笑ってしまう。

 仮にも殺された相手にここまで忠実だと、惨めさを通り越して滑稽に見えてしまうのだ。



 卑しくにやけたまま、靴音を響かせて階段を降りる。

 そのまま歩を進めて、一階の中心で止まった。


 目線の先にある屋敷の入り口には、客人を歓迎するための小綺麗さは微塵もない。煌びやかに光を灯すシャンデリアの火は消えて、騎士の廉潔さを主張する甲冑は無残にも崩れ落ちている。


 しかし、それが酷く心を落ち着かせる。このまま過ぎ去って風化しつつある記憶に、穏やかな心持ちのまま溶け込んでしまおうか。



「――あぁ、いけない。招待したのは私だというのに。少々、うっかりし過ぎていたらしい」


 少し、目を伏せて口元を緩める。


 そして、入り口である大扉が軋みを上げながら開かれるのを、静かに見届けた。


 その途中で妙に熱い吐息が隙間から入り込んで来た風に混じっていたのを感じて、嘲笑の笑みを浮かべる。



「さぁ、虚偽に縛られた我々を、見事君は打ち倒せるかな?」



 そこには、熱に侵されて苦しみに喘ぐ少年がいた。





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