第25話「二度目の怪物退治」
「貴様ら『空洞』が『道化師』に至るだと……?」
嘲笑の仮面の下から怒気の含まれた声を出しながら、競り合う刀身を強く押し退ける。刃先が殺意と共に徐々に首元に近づいているのを感じて、藍徒は笑顔を消し去った。
「戯れ言を。我ら『偽造』の総統であるヴィルムート様こそが、『道化師』を手に入れられるお方。貴様らにも、そして他のチームにも決して渡さん……!」
一瞬、風が耳を鋭く掠めた気がした。首が刎ね飛ばされる前に、体はその場から戦線離脱した。
肉と骨の代わりに断たれた木は、鮮やかな切り口を曝け出している。葉が地に落ちて、地響きじみた音を立てて木の幹がドレークスの後方に倒れ込んだ。
「これで最後だ。『偽造』の、ヴィルムート様の駒となる気はないか?」
さっきまでの怒りを消し、落ち着きを取り戻した声色でそう尋ねる。視界にちらつく葉を切り払った銃剣は、その問いに有無を言わせないと思われるほどに殺意を滾らせている。
耳から首筋に垂れていく血を拭いもせず、藍徒は不恰好に剣を構えた。
返答は、一つしか思いつかなかった。
「聞いてなかったか? 『道化師』は俺らが手に入れる。ニセモノのお前らには絶対に渡さねぇ。それが気に入らないならかかって来い、バケモン。アイツみたく退治してやるよ」
顔を引きつらせながら笑った。しかし、挑発混じりの返答を口に出した途端、心の中で虚勢が剥がれ落ちていくのを感じた。
死の匂いが、音が、鼻腔をくすぐり、鼓膜に波打つ。
焦燥とはまた違う、心を静かに囃し立てるものがある。
けれど、前言撤回などもはや手遅れだった。
鎌のような爪も、大剣のような牙も持たない怪物は、死んだ目を向けて獲物にこう告げた。
「……よろしい。ならば、その体、我が愛する怪物の手向けとして切り刻んでやろう、子兎」
殺し合いの場となるのを察して自重したかのように、風はピタリと止んだ。心臓が鼓動する音だけが、生きていることを自覚させる。
藍徒はただの一度もドレークスから目を離していない。そんな余裕はどこにもない。油断したら最後、あの世行きだと予め備われている本能が訴えかけてくる。
体を鉛のように重くするくらい恐怖を感じ取ってしまうのならば、本能なんてものは獣だけに付いていればいいのに。
舌打ちの一つでもしたいものだが、音を鳴らした瞬間に舌根ごと顎が切り落とされる予感がして、口を強く噤む。
そして、とうとう怪物が動き出した。地を蹴りつけ、黒い紳士服を翻しながら、黒炭のついた銃剣を振りかざす。形を持つはずのない空気が、それによって一刀両断されているように見えた。
花の首を切り落とそうとした時と同じだ。首だけを狙い、痛みも感じさせずに相手を絶命させる一撃。
それは藍徒も例外ではなく、まともに受ければ命の保証はない。
けれど、虚無の海に溺れていた彼女からしてみれば、その一振りは救済に見えたのかも知れない。光を失い、中身を全て零し、死にたくて仕方がなかった彼女は、それを望んでいたのかも知れない。
「……冗談じゃねぇ! 何が救済だ!」
怒号を張り上げて、奪った片割れの銃剣で迎え撃つ。
火花を散らし、刃が互いを削り合う。受けた瞬間に、両腕に弾け飛ぶような衝撃が走り、痛みが骨の軋む音を引っさげて脳味噌を刺す。
それでも歯を食いしばり、嘲笑に向かって折れる事はない決心を突き立てる。
ふざけるなと、心の中で付け足して。
「ーーッッ! こん、の、バケモンがぁ!」
大きく目を見開き、刃毀れを起こしている剣先に引けを取らないくらい鋭く睨む。
そして、『暴動』を両腕に注ぎ込み、力任せに薙ぎ払う。血を吸って湿った炭が草むらに落ちる。
片手に握りしめた銃剣が強く弾かれ、蹌踉めいた態勢を、ドレークスは左足を後ろに突き出すことによって立て直した。
きっと、嘲笑の仮面の下では外見と反して愕然とした表情となっているだろう。取るに足らない存在である子兎に、必殺の一撃を打ち払われたのだから。
してやった、と言わんばかりに歯を見せながら笑う。痺れが取れない両腕に『暴動』を無理矢理流して誤魔化しているのが現状だが、腕が切り落とされた訳ではない。
まだ腕が、足があるのなら、無様に足掻くことは出来る。
「貴様……楽には死ねないと思え……!」
「生憎、楽な死に方なんてするつもりは毛頭ねぇんだよ!」
今更、優しく殺してくれなどと請うつもりはない。
この『選定』の戦いにおいても、自分たちが元いた世界でも、幾度となく絶望の嘲りを聞いた。
そして、これからもそれは続いていくだろう。
叶えることは出来ない。救うことは出来ない。
底のない闇の前にいる虚無が、そう呟きながら、手招きを繰り返してる。
もう何もかも捨てて眠りにつけばいい。そこにはどんな感情も無いのだから。
「止まったら終わるんだよ……! テメェがどれだけ敵わない相手だとしても、それを理由に諦めちまったら、俺は全部取り零すことになる……!」
抜け殻のような自分を満たしてくれる大切な人たちの笑顔が、目の前から消える。
それはどんな事よりも恐ろしい事だ。それだけはあってはならない。
「だったら、俺は命を張って抗うしかないんだよ!」
綺麗事でもなんでもない。ましてや賞賛されることでもない。
これは、自分たちが始めたことだ。痛みも苦しみも全て背負って、引きずってでも歩みを進める。
それが「空っぽ」の進むべき道だ。
「啖呵は切ったぞ。覚悟しろ、ドレークス。テメェを死に物狂いで乗り越えて、俺は『道化師』に一歩近づく」
※※※※※※ ※※※※※※ ※※※※※※
激昂とそれに伴う咆哮が飛び交って、静謐とは程遠い空間が生まれる。ドレークスから放たれる一撃一撃を決死の覚悟で受け止めるが、その剣撃の重さに全身が押し潰されてしまいそうだった。
その重みは、ドレークスの人並外れた腕力だけで生み出されているのではない。
根幹にあるのは鮮明で、悪辣な殺意だ。
藍徒の決意が本物であるように、ドレークスの膨れ上がる殺意もまた、獲物を狩り取る獣のように苛烈だ。
「つくづく腹立たしい……思い上がるな『空洞』!」
「――ッッ!! やっぱバケモンだなテメェ……!」
威勢良く吼えたのはいいが、勝機がまるで見えない。
ドレークスが戦闘に長けているということもあるが、藍徒が全くと言っていいほど剣での戦い方を知らないことが原因だろう。
しかし、それは致し方ないことだ。
藍徒は元いた世界でも剣道は学校の授業でしか習ったことがない。
試合稽古なども数えるほどの経験しかない。そんな人間が、人を殺す重さを持ち合わせた真剣を扱えるはずもなく、今も迫り来る凶器を出鱈目に打ち払っているだけだ。
ここが純粋なファンタジー世界であるならば、剣など使わずとも不思議な力とやらで、一気に形勢逆転出来るのかもしれない。
それは自分が描いた、ご都合主義の物語ではお約束なはずだ。
絶望の最中で、少しでもそれを期待していた自分が恥ずかしい。
口から吐き捨てたくなるくらい、甘ったれた考えだ。
そんな曖昧なものに縋らせてくれるほど、この世界は藍徒たちに優しくない。
傷付け傷付けられた体が、心が、それを一番理解している。
「今度チャンスがあるなら、もっと過酷なストーリーにしようかな」
そう呟く暇もなく、次の一撃が頭上から振り落とされる。これで通算何回目だろうか。剣の前に腕が使い物にならなさそうだ。
動悸が異常に早い。押し寄せて来る恐怖を噛み殺すが、潰れ滲み出た苦味は途絶えることなく心に渦巻く。
――次の一撃で自分が砕け散ってしまう気がして、怖気が背中を無造作に引っ掻いて来る。
そして、より一層深く殺意が刻まれた剣が落ちて来た。
「――ッッ! ぐっ、がっぁ……!!」
重ねた刀身から腕へ、腕から全身に衝撃が走り、意識が揺さぶられた。
痛い。重い。苦しい。
はち切れて流れ出した感情はせき止めることが出来ず、喉を抉じ開けてくる。
その結果、発狂と悲鳴が錯綜して、自分でも聞いたことのない声が漏れ出した。
視界も揺らいで、嘲笑の仮面が陽炎みたく揺らめく。それが本当に嘲笑っているように見えて、激痛の隙間に小さな苛立ちが芽生えて、すぐに別の激痛がそれを掻き消した。
潰れていたかも知れない頭で、藍徒は冷静さを取り繕って思考を進める。
馬鹿正直に剣を受けてばかりいては、体が潰れるのは時間の問題だ。どうにかしてあの怪物を殺す手立てを考えなければ、『道化師』になるなど夢のまた夢だ。
性懲りも無く、もう一度重ねた刀身を動かそうとする。少しずらすだけでもいい。いち早くこの重みから逃れたい。
「―――え」
そう思っていた矢先、全身に取り巻く重みから解放された。
苦しみ続けた体は素直に喜んだが、その原因の正体を垣間見て、思考は凍り付いた。
自分が握り締めていた銃剣の剣先が、歪な形に打ち砕かれていたのだ。重厚感のある鉄の剣が、虚空を飛んで藍徒の頬を掠める。
細くて深い切り傷が頬に引かれて、顔の左半分を赤色に濡らしていく。
「無駄な悪足掻きも、これで終わりだ」
低い声で死を告げながら、退けることの出来なかった銃剣が、勢いを弱めず藍徒の頭上から振り下ろされた。
鈍色の一閃が、スローモーションのように見える。
けれど、それが見えているはずなのに、そこから一歩も動けない。
歪み、削られた体は動こうとはしない。
諦めが囁く。あれを防ぐ手立てはない。お前には無理だと。
恐怖が叫ぶ。仮に防いだとしても、あの怪物はお前を必ず殺しにくる、と。
死が、穏やかに笑う。
あれに身を委ねれば、お前は苦しまなくて済む、と。
様々な感情が、抗うことを咎めて救済を求めてくる。
その言葉に間違いはない。全くの正論だ。
けれど、「空っぽ」は、
「黙れって言ってんだろ。邪魔くせぇ」
それらの声を全否定して、体に纏わり付く雑念を振り払って、刃折れの銃剣でドレークスの手首を切り落とした。
真っ二つになる予定だった体は、間一髪のところで右に逸れ、返り血を浴びながら大きく地面を転がる。
「!! 貴様……! 私の左手を…!」
噴出する血液が嘲笑を染めていく。ドレークスは激痛に悶えることもなく、度し難い怒りを藍徒にぶつけた。
喰われる立場である子兎が、畏怖すべき自分の肉体に傷を付けた。その事実が、溢れて止まない激憤の感情に熱を帯びさせていく。
だが思考はその感情に溺れることはなく、ドレークスは自分の足下で骨と血管が剥き出しになっている手首と、力が抜けた手の平から転がった銃剣を拾おうとする。
「取らせるかよ!」
藍徒はその残骸に自分の身長の何倍もある高さの木を、『暴動』で叩き付けた。
ドレークス自身は地面を軽く蹴って難なく避けるも、その大木に左手首と銃剣は押し潰された。
武器と手首を失ってもなお、怪物の殺意は鈍ることはなかった。むしろ、より深く、凄まじいものになっている。
「私を、ロイゼスを、貴様らは辱めた。惨たらしく、我々の肉体に刃を突き立てた。忌々しい『空洞』よ……! 私は、必ず、貴様らを殺す! 我が愛する怪物のように! その身を業火で焼き尽くされ、血の涙を流すがいい!!」
激情を吐き出す。もう誰にも彼の殺意を止めることは出来ない。その吠え猛る姿を見ているだけでも、肌を刺すような感覚が体を襲って来る。
恐ろしい。おぞましい。やはり幾ら味わっても慣れる事はない。
「……足震えてんぞ、俺。しゃんとしろ、ヘタレが」
強がりは、本当の強さにはなり得ない。所詮は作り物だ。どれだけ強がったとしても、脆く崩れてしまう。
ならば、何故この少年は敵わないと知って、それでも自分の心に虚威を打ち付けるのか。
「俺が持っている武器はそれだけだ。けど、その武器で刃向かえるなら、俺はいくらでも虚勢を張ってやる」
血に塗れてもはや狂気的な笑みとも思える仮面の下で、怪物は唸り声を上げてこちらを睨みつけている。
荒く息をするたびに、手首から赤黒い雫が滴り落ちる。
目を背けたくなるほど痛々しい深手を負っているはずなのに、油断ならない何かがあった。
だからこそ、持ち得る全てを叩き込む必要がある。
藍徒は、着々と減りつつある『暴動』を惜しまず、満身創痍の体に行き渡らせていく。
途中、身体中に突き刺さっている痛みとぶつかるが、それを強引に押し退けて爪先から頭の天辺まで流し込む。
苦しげな声を漏らす。抉れた傷口が粗いコンクリートに擦り付けられているようだ。
両腕は特に酷い。酷使した筋肉は、ねじ切れそうな痛みに悲鳴、もとい絶叫を頭の中に響かせる。
「マジで痛ぇ……痛ぇ、痛ぇよ……!」
思わず声に出してしまった。心なしか、視界が潤んでいる気がする。
情けない。ドレークスは手首から先を失ったというのに、憤怒に心を焦がしているだけで、自分のように喚き散らすどころか、苦しんでいる素ぶりも見せない。
「痛ぇな……! クソがぁ!!」
やはり、あの男はバケモノだ。到底真似は出来ない。したくもないが。
とうとう左目から涙が出て来た。流れ落ちたそれはぱっくりと割れた頬の傷に染み込んで、藍徒の顔を更に苦痛に歪めさせる。
痛い。今はその感情だけが席巻している。
早くこの痛みから解放されたい。このまま気を失ってしまえばいいのに。
そうしたらこんな苦痛は味わなくていいのに。
「……! ふっざけんじゃねぇ……! 俺!」
そんな弱りに弱った自分を叱咤する。『暴動』は容赦なく全身を駆け巡っていく。
歯は何度食いしばっただろうか。分からないが、奥歯がほんの少し擦り減っているのは感じられる。
叫び、喚き、呻き、また叫ぶ。その繰り返しで顔を血と涙と涎で汚していく。
全くもって無様な有り様だ。見るに堪えないとはこのことを言うのだろう。
けれど、これが正しい姿だ。
非力で、往生際の悪い自分には、お似合いの姿だ。
「――――――」
そうして、全ての痛みを『暴動』が突き破った。
麻痺しているのか、あれほど心を蝕んだ痛覚は潮が引くように消えていった。
沸騰していた頭からは断末魔が抜けて、やけに静かな風が吹いて熱を攫う。
さっきまでの自分の姿を思い出し、恥ずかしく思えるほどには、精神は安定している。
『暴動』の確かな温かさが、心地いい。
涙を拭って、黒色の怪物を一瞥する。
醜い傷口を空気に擦り合わせながら、森の暗闇の中、愚かしい子兎を喰らうために駆けてくる、怪物。
直接見た訳ではないが、迫ってくる眼差しがどんな感情に塗り固められているかは分かる。
けれど、もう震える必要はない。
「――もう、終わらせよう」
藍徒も、力強く踏み込む。磨り減った靴底は雑草を踏み付け、強く握ったままの刃折れの銃剣は鋼を散らす。風を切って、恐怖を切って、突き進んでいく。
そして、衝突する寸前で藍徒は死にかけの剣を横に薙ぎ払った。
欠けた刃は切るというより、削り取るように血濡れの仮面に傷を付けた。
ドレークスは動かない。やはり、このような武器では太刀打ち出来ないか。
パキン、と音を響かせながら刀身は完全に朽ち果てた。
「なっ―――」
けれど、その甲高い音は剣が砕け落ちただけの音ではない。
ドレークスの、『偽造』の象徴とも言える偽りの仮面が、砕けた音でもあった。
切り払った箇所から亀裂が走り、嗤笑の口元から下が剥がれ落ちる。
ドレークスは振り下ろすはずだった右手で急いで口元を隠したが、藍徒は確かにそれを見た。
「やっぱ、バケモンじゃねぇか」
露わになった怪物の口元で、牙が血を啜っていたのを見た。




