第24話「花と蝶」
待たせてしまって、すみません……
遅れてしまうことはあっても、エタることにはならないので、そこはご安心を。
それでは、どうぞ。
鉄の打ち合う音が鼓膜に響いて、花は二度とするはずのなかった呼吸をした。首に刻まれた細い切り傷を指でなぞって、首がまだ付いていることを認識する。
項垂れた頭を上げて、目線を地面から正面に移す。
そこには、互いに眼光を放っているドレークスと藍徒がいた。
「ーー!邪魔をするな……! 『空洞』!!」
「黙れ」
殺意の込もった一振りを阻んだ藍徒に向かって怒りを吼えるも、握り締めた銃剣は上空に打ち払われた。
そのまま、『暴動』を発動させた拳がドレークスの鳩尾に放たれた。
何とか踏み止まろうと爪先は地面を削るが、勢いは止まらずドレークスの体は大きく後退する。
しかし、片手にあるもう一つの銃剣を地面に突き刺し、無理矢理に勢いを殺した。
泥まみれの両足が随分と距離の離れた草むらに踏み止まると、ドレークスは荒く息を繰り返して、空いている片手で鳩尾の辺りを抑えた。
鮮明な激痛と嘔吐感が鬱陶しいくらいに脳に訴えかけて来るが、それを噛み殺して眼前に再び眼光を突き立てる。
『哀れみの結晶【ドロップ・クリスタル】』
一瞬、目を疑うほどの美しい煌めきが死んだ目に映った。その美しい光を放つ結晶は地面を覆いながら、鋭利な凶器に姿を変えてドレークスにその穂先を突きつけようとする。
「ーーッッ!!」
口から少し血を零しながら、『涙淵』の結晶を銃剣で打ち砕いた。空中に飛び散った結晶は、ささやかな月明かりを受けて六等星のように瞬く。
それは欠陥人間には幾分か眩しかったようで、
「……不愉快な光だ」
仮面の下で目を細めて、苛立ち交じりの独り言を呟いた。
「ドレークス」
名を呼ばれて、ドレークスは剣の柄が軋むぐらいに強く力を入れて握り締めた。
そして、細めた目を大きく開いて正面に向けた。
殺意の色に染まった瞳に映るのは、自分の愛しい怪物を殺した花と、彼女の前で仁王立ちをしてこちらを見据えている、少年と少女だ。
「俺らは『偽造』になるつもりなんて毛頭ない。だけど、お前らに殺される訳にもいかない」
打ち払われて地に落ちた銃剣を拾い上げて、対角線上にいるドレークスの首元に剣先を向けた。
しかしそうした途端、藍徒の銃剣を握る手が震えた。
その事実に苦笑して、同じように震えた声で灯火に
弱音を今更吐いた。
「なぁ、やっぱ逃げね? 『暴動』が発動してたのに、アイツ難なく追いかけて来たし。本当はアイツが怪物なんじゃね?」
飼い主に似るとはよく言ったものだ。あの男の身体能力の高さは、自分たちが二度殺したロイゼスと同じか、又はそれ以上だ。
容易く追いつかれた都市での逃走劇が、今でも脳裏に浮かんでくるから、見たくもないバッドエンドを空想してしまう。
「だったら、尚更逃げるなんて無理でしょ。大丈夫。花のことは私が絶対に守るから。藍徒さんは安心してあの人を倒してきて」
「あれ? 今回は俺一人だけにしてくれるのか?」
「きっとあの人相手に私じゃお荷物になっちゃうからっていう私なりの冷静な判断だよ。それもこれも、あなたを信じてるから」
それを聞いて、引き攣った口元を緩めた。
そして震えている手を誤魔化すように、『暴動』を血潮と共に全身に巡らす。
残された不安材料は、自分があの化け物に勝てるかどうかだけだ。ならば、ここで震えている場合では無い。
「……分かった。じゃあ、行ってくるわ」
視線は一度たりともドレークスから動いていない。
前を向いたまま、もう一度吼えた。
「俺たちは『空洞』だ。『道化師』を手に入れる、空っぽな『空洞』だ」
そう言い放って、足に『暴動』を込めて疾駆させた。一瞬の内に距離を詰めて、草木が揺れるほどの風を生みながら、銃剣をドレークスの喉に突き刺そうと前に突き出す。
だがドレークスも透かさずそれを防いだ。甲高い金属音を響かせ、刀身同士で競り合う。
互いの荒い呼吸が聞こえてくるぐらいの至近距離で、藍徒は強がりで出来た笑顔を怪物に向けて、
「だから、覚悟しとけ。テメェの後はヴィルムートだ。『偽造』は、俺ら『空洞』が打ち負かす」
威勢良く、宣戦布告をした。
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溺れていた。何も感じない虚無に溺れていた。
救えなかった彼女へのせめてもの弔いとして、あの怪物を殺した。それでも喪失感は消えることはなく、深い虚無となって自分を呑み込んでいった。
それに心地よさなど微塵もない。不快感もない。
しかし、苦しみはあった。
「ーー花」
自分のせいではないと、彼は言った。その言葉は彼の優しさであったはずだ。けれど、それを拒んだ。拒まなければならなかった。そうしなければ、彼女が浮かばれないと思ったからだ。
そうやって、一切合切を自分のせいにした。
「ーー花」
苦しい。息が出来ない。もう何も見えない。
そんな虚無だったからドレークスが自分に剣を向けてくれた時、少しばかり心が安らいだ。
これで自分も救われる。安らぎを迎えられる。
身勝手にも、腐りかけていた自我はそう感じてしまった。
自分が救われたことも、忘れて。
「ーー花!!」
自分を強く呼ぶ声が聞こえて、溺れていた意識がようやく浮かび上がった。
気が付くと、藍徒たちと別れた木の下で座り込んでいた。風が耳元を通り抜けて、髪を少し揺らす。
そして、光が戻った瞳を横に向けると、可愛いらしい顔を必死な形相に変えて自分を見つめている灯火が映った。
「あ、かり……?」
弱々しい声を投げかける。その声を聞いた灯火は、涙をうっすらと浮かべたまま花に抱きついた。
「良かった……無事で」
あの時強がっていたのは藍徒だけではなかった。その証拠に、灯火の口から不規則に嗚咽が漏れ出している。どれだけの不安に、焦燥感に、彼女の心が削り取られたかは計り知れない。
それでも彼女はそれを誰にも悟らせずに、藍徒を奮い立たせた。
それは紛れも無い灯火の強さだ。
「どうして……? あの時、死ぬべきだったのは、私のはずなのに……」
抱きつかれたまま、花は未だにそんなことを口にした。自分だけ救われるなど、間違っていると。
少しの間が空いて、灯火はゆっくりと花から頭を離した。
そして、嗚咽を必死に押しとどめて、
「……確かに私たちはあの子を救えなかった。だけど、その事実をあなた一人で背負う必要はないよ。押し潰されそうになってしまったら、私たちにもそれを背負わせて。あなたは、一人じゃないよ」
静かに、優しい声でそう告げた。
どれだけ綺麗事や安い同情の言葉を言ったところで、失ったものは決して戻っては来ない。
そんなことはとうに分かっている。
けれど、その言葉に一片の翳りも嘘も無かった。
「だから、死ぬべきだったなんて言わないで」
そう呟くと、灯火から笑みと共に涙が零れた。綺麗な黒い瞳から流れた温かな一雫が、地面に染み込んだ。
その時、見覚えのある蝶が翅をはためかせて目の前を通り過ぎた。蝶自体の色は白色ではなく無色透明だが、周囲に振り撒く光の煌めきは、確かに記憶に残っている。『禁忌』の見せたあの悪夢の中で、暗闇を優美に舞っていたあの蝶の光だ。
その光の美しさに息を呑んでいる間に、蝶は舞い落ちる花びらのように、力無く垂れている花の右腕を撫でながら手の平に止まった。
皮膚が十字に爛れ、鮮やかな色味の肉が剥き出しになっている手の平に青白い光が注ぎ込まれる。
光は薄く広がっていき、火傷の跡を埋めて皮を繋ぎ止めた。そこからは不思議と痛みは感じず、ほんのりと温かな感覚だけがある。
そして、今一度蝶が翅を広げて飛び立とうとすると同時に光が消えていった。既に手の平からは痛々しい火傷が消えていた。
今もなお虚空を飛んでいる結晶の蝶を見て、灯火は
人差し指を少し出した。
その細くて白い指に蝶が止まると、微笑みながらこう言った。
「ありがとう」
結晶の蝶はその身を儚げに砕いて、瞬きも惜しいほどの美しい輝きを放って、空へ消えていった。
「……また、私間違えちゃった」
元通りになった右の手の平を見つめて、感情が戻りつつある声色を震わせながらそう呟く。
どれだけ自分の考えが身勝手だったか。
やっと自分を大切と言ってくれる人たちが出来たのに。
その人たちを無視してでも死にたいと思ってしまった。
あれほど、焦がれていた感情なのに。それを自ら手放そうとしていた。
「何度間違えても、私たちがいるから。私と、藍徒さんがいるから」
優しく手を握られて、そう告げられた。
あの日、「ニセモノ」の過去を覗かれて、あれほど殺してと願って、それでもなお救いたいと言ってくれた。
自分が須藤 花だと、気付かせてくれた。偽りの仮面を、剥がしてくれた。
「そうか。私は、もう」
もう偽らなくていい。暗闇の中で一人うずくまっていなくていい。
今、目の前で目を腫らしたまま微笑みかけてくれる少女と、絶望的な状況に必死に足掻き続ける少年が、私を見てくれているのなら。
「私は、一人じゃないんだ」
花の目尻から、朝露のような一粒の涙が頬を伝った。




