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空洞と魔法と雨  作者: 気怠げなシュレディンガー
第1章 道化師の選定
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第23話「泣いた怪物」

 夜の闇を纏った森に、眩しい光が灯る。彼女の激情を体現しているかのように、灼熱の球体から放たれた凄まじい熱が、冷たく、重たい空気を熱風へと変える。

 吹き荒ぶ風で、長い黒髪が大きく揺れる。


 「……まだ、喰い足りないの?」


 少し赤くなっている瞳を、今一度目の前の怪物に向けた。双眸の先にいる怪物は、血濡れの牙を剥き出しにして、今にもこちらに喰らい付いて来そうだ。


 「悪いけど、貴方の餌になるつもりはないわ」


 虚空に腕を横に薙ぎ払うと、灼熱の球体は火花を散らしながら一斉に射出された。球体は怪物の巨躯にではなく、怪物の足下の地面に向けて衝突し、周辺を囲むように炎を巻き上げさせた。


 体毛から皮へ、皮から肉へと怪物の全身が徐々に焼き焦がされる。苦痛の証の絶叫を上げる喉も、焦げる音を立てながら焼かれていく。

 しかし、怪物は大人しく死ぬことも出来ず、再生しては燃やされて、また再生しては燃やされる。

 側から見たら、それはまるで呪いのようだった。


 「……すぐに楽にしてあげる」


 怪物を火達磨にした球体は地面を穿った一つだけだ。他の球体は近くにある木々の根元の地中に次々と打ち込まれ、爆発し、軋む音を響かせながら数本の大樹が、追い討ちをかけるように怪物の上に倒れ込んできた。心臓を抉り取ろうと、花の胸元に伸ばされた怪物の腕は、のしかかってきた大樹の下敷きになって、寸前で地面に叩きつけられた。

 体のあちこちから骨が砕ける音がして、怪物の巨躯はひしゃげていく。唯一原型をとどめているのは、焼け焦げた頬に打ち付けられている鉄の十字架だけだ。


 もう、怪物の肉体が元通りになることは無かった。


 「貴方は如何なる損傷からも再生することが出来るけれど、その回数は喰らった命の分だけ。藍徒と灯火を襲撃する時には、私の『ニセモノ』に貪り付いていたわね」


 感慨深そうに呟く。

 一歩前に出た瞬間、怪物を取り巻く炎は静かに消えた。焦げ臭い匂いが鼻腔に広がる。

 目線の先にあったのは、黒焦げの大きな肉塊だった。

 見るに堪えない、無残な亡骸。


 花はゆっくりと手を伸ばし、その亡骸に付けられた十字架に触れた。鉄で出来ているゆえに、未だに十字架は烈火の炎の熱を帯びていた。

 案の定、触れた指先から感じられた鋭い痛みと熱が脳を劈く。


「ーーっ」


 花は苦痛に顔を顰めるが、歯を食いしばって、手の平全体で十字架を掴んだ。

 掴んだところから焦げる音が聞こえるが、なりふり構わずに力強く引き抜く。


 そして引き攣ったままの怪物の凶相から、十字架が剥がされた。

 地面に落ちた重たい鉄の音が、彼女の荒い呼吸と共に鬱蒼とした森に響く。

 今さっきまで沸き立っていた義憤の感情を押し退けて、堪え難い激痛が十字型に爛れた手の平から鮮烈に走る。

 しかし、痛みに悶えながらも、花は目の前の怪物に意識を向けていた。


 惨たらしく黒色に変えられた怪物の全身。

 その悲惨さには不釣り合いな程に十字架の下には、安らかに眠っているかのように、綺麗に閉ざされた瞼があった。


 そっと、爛れていない左手で触れた。

 すると、怪物の瞼の隙間から赤黒い血液が静かに流れ落ちて来た。滴り落ちるそれは地面に吸い込まれる前に、依然として熱を持つ肉体に触れて、花の涙と同じように蒸発した。


 その血涙がどのような感情によって零されたものなのかは、今となっては分からない。そもそも、獣に感情があるのかどうかも、定かではない。

 しかし、彼女はそれを憐れむように見つめていた。

 それが、悲涙であると思ったからだ。


 「ゆっくりとお休み。せめて、目覚めた時に貴方がお腹を空かせていないことを祈っているわ」


 もう目覚める筈のない怪物に、花は意味もなくそう語りかけた。皮肉ではなく、ただそうあって欲しいと。


 「……結局、救われたのは私だけね」


 憤りなど、今の彼女にはもう残っていない。

 彼女に重くのしかかるのは、魔力を酷使したことによる肉体的な疲労感と、未だに脳を切り刻んで来る火傷の痛み。

 そして、自分に救いを求めた『偽造』の少女を救うことが出来なかったという事実。

 後悔や悲しみよりも先に訪れた虚しさが、静かに花を蝕む。黒い瞳から、光が消えていく。


 この時自分が救われたことを、無駄だと嘆いてしまう程、彼女は「空っぽ」に成り下がってしまった。



 「花殿、私のロイゼスを何処へやったのですか?」



 身勝手な失意の念に溺れていると、抑揚の無い声が聞こえてきた。声のする方に目を向けると、血濡れの銃剣を構えたままのもう一人のバケモノが、こちらにゆっくりと近づいて来ているのが見える。彼の死んだ目は花ではなく、彼女の背後に横たわる死体だけを見つめていた。それだけしか、見えていないと言わんばかりに。


 ただその場に立ち尽くしているだけの花の横を通り過ぎて、ドレークスはその死体の前に足を止めた。

 そして、変わり果てた愛しい怪物を見て、頭を抱えた。


 「私の、私の愛しいロイゼスが、何故こんな姿に?……バカな、そんな訳はない、そんなことはあってはならない、きっと何かの間違いだ、私のロイゼスが簡単に死ぬはずがない、これはニセモノだ、そうだニセモノだ、ニセモノなんだ」


 信じたくないと、駄々をこねる子供のように御託を並べる。そして自分の頭を抱える腕を離して、手から落ちた銃剣を再び掴み、


 「こんな黒焦げの死体など、私は知らない、こんなものはロイゼスではない、ロイゼスは美しい毛並みを持っていた、勇ましい牙を持っていた、麗しい瞳を持っていた、こんな、こんな、こんな、こんな……!」


 深々と目の前の死体に突き刺した。

 炭化した肉は特有の弾力が失われて、文字通り炭のようだ。引き抜くと同時に削り取られ、辺りに黒い粉が散らされる。


 「消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ」


 ザスザスと音を立てて、次々に突き立てられる。既に血で濡れている二刀の銃剣は、黒の炭が纏わり付いている。手足と思われる部分は、醜い断面を晒したまま転がっている。ドレークスは巨大な死体を跡形も無く消し去る勢いで、抉り、穿ち、切り刻んでいく。

 しかし、靴に染み込んできた温かな感触に、銃剣を振り上げる手は止まった。


 彼の足元には、未だに流れている怪物の血涙が血溜まりとなって広がっていた。頭部だけとなった怪物の亡骸。十字型に原型を留めている目の周りを見て、ドレークスは信じられないと言いたげな表情を浮かべる。

 纏わり付く炭を払いもせずに、腰にぶら下げている鞘に銃剣を収めて、そっと怪物の上瞼を持ち上げた。


 そこには、深紅に染まった瞳があった。光の灯っていないドレークスの双眸とは比べ物にならないぐらいの、美しい宝石のような瞳だ。

 そして、その瞳がロイゼスのものであると、ドレークスはようやく認識した。



 「あ、ああ、あああぁぁあぁぁぁぁ!!」


 仮面の下で絶叫を上げているにも関わらず、周辺にその叫びは木霊した。

 本当は気付いていた。けれど、信じたくなかった。

 悪い夢だ。あの死体は、自分の愛しい怪物を模倣した紛い物だ。そう自分に言い聞かせて、否定をした。


 けれど、その赤く麗しい瞳が否応無しに、これが悪い夢でも、ニセモノでも無いことを彼に認識させた。



 「あぁ、ロイゼス……私の愛しいロイゼス……何故、お前が、こんな姿に変えられたのだ……何故なんだ……!」


 怪物の頭部を抱き締める。瞳から溢れていた血涙は、いつ間にか止まっていた。

 その代わりに止め処なく流れ始めたのは、強い哀惜の感情。


 ドレークスの思考は既に停止している。

 ただ、喉が裂ける程に大声を上げて嘆いている。

 ただ、目の前の無慈悲な現実を否定することも出来ず、喚いている。



 「ごめんなさい」




 そんな彼に、掠れた声が投げかけられた。自分の咆哮に掻き消される程小さな声量だったはずなのに、彼の耳には聞こえてきた。虚しさに浸っている、花の弱々しい声が。


 その声が聞こえてきた途端、ドレークスは叫ぶのを止めた。

 そして、抱き竦めた愛しい亡骸を優しくその場に置いて、銃剣を鞘から再び抜く。

 血が染み込んだ地面を踏みしめて、項垂れたままの花に一歩ずつ近づく。



 木々を揺らす風が止んだと共に、彼女の首筋に汚れた刀身が向けられた。薄皮が撫でられて、白い首に細くて赤い線が引かれた。

 けれど、花はその場から動こうとはしなかった。


 そのまま、ドレークスは恨み言の一つも言わずに銃剣を振り上げた。目の前の、「空っぽ」な少女の首を刎ねるには十分すぎるくらいに速く、虚空を切り裂きながら。


 風を切る音がして、鮮血を流しながら首が落ちるーー



 「させるか」



 その惨劇は、銃剣と比べて貧弱な短いナイフを持った藍徒によって寸前で打ち止めとなった。



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