第19話「禁忌」
藍徒と灯火と花は、早速作戦会議を始めた。
事態は、いつも通り最悪だ。
藍徒と灯火は花との死闘で魔力を相当削られ、花に至っては満足に動くことも叶わない。
今攻め込まれでもしたら、自分たちを亡き者にすることなど、『偽造』の彼らにしてみれば赤子の手を捻るのと等しいだろう。
それでも、自分たちが決めたことだ。
恐怖に身震いしながらも、生き残るための足掻き方を探すと決めた。
藍徒は今一度心にそう誓って、声を出した。
「とりあえず、現時点の状況を整理しよう。花が『空洞』になったことで、俺たちは『偽造』に完全にマークされたはずだ。なんとかして対抗策を立てたいところだけど、問題はいつ攻め込んでくるかだ。……花。『偽造』が今どんな状況なのか分かる範囲で教えてくれ」
「……『偽造』は他チームに魔獣を放って、魔獣によって虫の息にあった貴方たちを標的に定めた。本来ならば早急に貴方たちを始末しようとしたのだけれど、問題が発生したの」
「問題?」
「えぇ。魔獣の一件が『偽造』の差し金だと気づいた彼は、ヴィルムートにこう脅迫したの。満身創痍の『空洞』を潰すことを止めろって。貴方たちを抹殺する役目を任された私にも、同様に」
「その彼って、あの真っ白な格好の奴のことか?」
あのどん詰まりの状況の時に現れ、自分たちに思わぬ希望をくれた、もっともらしい欠陥人間の男。
藍徒の言葉を聞いた花は顔を強張らせて、藍徒に聞き返していた。
「知っているの? あの男を」
「あぁ。開会式の時にも絡まれたし、お前に宣戦布告された夜に現れて、お前に俺たちを監視するのを止めろって頼んだって……」
「一体、あの男は何を考えているのかしら……?」
「なぁ、アイツは一体誰なんだ? どこのチームの奴なんだ?」
ずっと疑問だった。今思えばあの男のリストカットの傷だらけの痛々しい容姿以外、自分たちは何も知らない。
おおよそ、異常者であることは間違いないのだろうが。
花はそれが恐ろしいことのように、低い声であの欠陥人間について口を開いた。
「あの男の名前は、スレイマン。『憂鬱』のリーダーよ」
※※※※※※※ ※※※※※※※ ※※※※
「『憂鬱』……」
この「選定」に参加している五つのチームの内の一つである、『憂鬱』。
名前に不釣り合いなほどのあの男の無垢な笑顔が、確かに記憶にはあるのだが、心の中で頭を横に振ってそんな余計な考えを振り切った。
花は深い息をついたあと、また言葉を紡いだ。
「あの男は以前から『偽造』に警戒されていたの。一刻も早く排除するために、貴方たちに送った魔獣とは別に、『憂鬱』には多くの魔獣を送り込んだのにも関わらず、いとも簡単に殺された」
「魔獣って、あのバケモノのことか?」
「えぇ。選りすぐりのをね。だから、今『偽造』ではスレイマンを討つために戦力を整えているはず。もちろん、『偽造』を裏切って『空洞』になった私を始末するためでもあるだろうけどね」
「マジかよ……あんなバケモノ大量に送られて無事って……」
あり得ない。自分たちは一体だけでも苦戦を強いられたというのに。あんなにも、死を覚悟したのに。
いよいよ寒気が誤魔化せなくなってきた。恐怖や焦燥感は、やはりいくら味わっても馴れない。
これからはあの無垢な笑顔を、恐怖の対象としてしか見れないだろう。
『憂鬱』の恐ろしさにたじろいでいると、灯火が納得いかないと言いたげな声を出した。
「思ったんだけどさ。私たちが人数的に少ないんじゃない? 他のチームってもっと人数多いんじゃない?」
その言葉を聞いた藍徒と花は少し呆気に取られたような表情をしたが、すぐに二人して落胆と共に嘆息を吐いた。
「そうだよなぁ……少な過ぎるよなぁ、『空洞』。花、『偽造』は一体何人いるんだ?」
「私を除いて十二人よ。というか貴方たちを監視していて正直余裕だと思ったわ」
「そりゃそうだ。人数はたった二人で、平々凡々な日常を送ってきたガキだぞ? 殺し合いなんて物騒なもんに関わったことも無いし」
「今思えば、何故貴方たちに敗れたのか、さっぱり分からないわ」
「そんなこと言われたって、お前があの時倒れて……」
それを言いかけたとき、喉が凍り付いたような感覚になった。せき止めるように、自分の頭の中でストッパーがかかる。
花の「ニセモノ」の亡骸から生まれた、あのおぞましい黒い人型の影を思い出してしまったからだ。
あの黒い影を無意識のうちに思考から遠ざけていたのだろうか。目を背けていたのだろうか。
いや、違う。彼女を苦悩から救いたいということしか、考えていられなかったからだ。
「どうしたの? 藍徒さん」
灯火の声によって我に返った藍徒は、慌てて虚空から花の方へ視線を移した。花も灯火と同じように心配そうな顔で藍徒を見ていた。
「少しな……花、一つ訊いていいか?」
「何? 藍徒」
「お前の『ニセモノ』の死体から生まれた、あの黒い影は何だ?」
「ーーっ」
案の定、花は顔を引きつらせて、言葉を詰まらせてしまった。こうなることは分かっていた。
だが、訊かなくては。
「……ごめん。辛いのは分かってる。無理はしないでって言いたい。だけど、あれを何もなかったことのように済ませるのは、駄目だと思う。だから、今は無理をして欲しい」
今度は自分が花を傷付けている。そんな罪悪感が頭の中に渦巻いていながらも、それでも藍徒は花に無理強いをした。灯火も藍徒の必死な表情を見て、同じように花に目線を合わせて、頼み込む。
そんな二人を見て、情けない顔で花は笑った。
そして、二人を安堵させようと言葉を無理矢理紡いだ。
「大丈夫だよ。貴方たちなら、知られてもいい」
その言葉には少しの苦悩と、大きな信頼があった。
そう言ったあと、彼女はあの影の正体について話し始めた。
「本来、魔法は千差万別、同じものは存在しないことは知っているでしょう? だけど、一つだけ例外が存在する。それが『禁忌』よ」
「『禁忌』……?」
その二文字を聞いた藍徒と灯火は、あの黒い影が見せた記憶の一場面を無意識に探った。
すると、仮面の男が歓喜するように笑っている光景が、嫌になるほど鮮明に思い出された。
「それって、あのヴィルムートってやつが言ってた……」
「そう。それぞれのチームの名を冠した、古来から伝承されしその魔法は本当の欠陥人間だけが使える、強大な力を持つもの。貴方たちに殺された『ニセモノ』たちは、『偽造』の『禁忌』から生まれたものよ」
そんな話、初めて聞いた。確かにレミルはあの時本当に卓越した魔法以外は伝承されないとは言っていたが、まさかこのことだったとは思わなかった。
『禁忌』という言葉に少し中二心がそそられた藍徒をよそに、花は低い声で言い放った。
「だけど、『禁忌』には代償がある。その代償があの影よ」
※※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※
「どういうことだ? 『禁忌』を使ったら、あんなのが生まれてくるのか?」
「えぇ。『禁忌』の代償は、自分の心の欠陥の体現。あの黒い影は私の心の欠陥が形になったものよ。けど、今回は貴方たちに私の記憶を見せただけだったけれど、実際のところ何をしてくるのか分からない。欠陥の体現ということ以外、謎なのよ」
その真実を聞かされて、藍徒と灯火はただただ、恐怖を感じることしかできなかった。
『禁忌』を使えば自分たちの心の欠陥が、目に見える形になってそこに存在してしまう。
自分の欠陥を知られることを一番恐れている人間にとって、それは恐怖以外の何者でもない。
「だけど」と言って、花は藍徒と灯火に真っ直ぐな瞳で語りかける。
「確かに『禁忌』は危険なものであるけれど、その強さは折り紙つきよ。あれと対峙した貴方たちなら、痛いほど分かるのではないかしら?」
そう言われて、記憶に刻まれた「ニセモノ」たちとの死闘が、脳にちらついた。
「あぁ。正直死んだと思ったよ。心臓抉っても死なないし、攻撃もバケモンみたいな強さだし、おまけにそんなゾンビより厄介な奴が十三人もいるんだからな」
「というか、よく生きてたよね。私たち」
「まったくだよな。不思議でしょうがないよ」
.
この数日の間に二度も死にかけているのに関わらず、今もボロボロになって息をしていることに疑問に思うのだが、なんにしろここまでしぶとく生き残っている自分たちに賞賛を送りたいものだ。
まぁ、今まさにまた死に行こうとしているのだが。
「あれ? それぞれのグループの名前を冠している魔法なら、『空洞』もあるはずだよな……だけど、そんな話初めて聞いたぞ……」
「いつもみたいに、ヴァイオレットさんに訊いてみたら?」
灯火の提案に頷いて、藍徒は少しくすみがかっているベルを取り出して、音を鳴らした。
鐘の音色が鳴り終わると、いつもと同じように白い髪を揺らしながら彼女は現れた。
「おはようございます。藍徒様、灯火様」
いつものように丁寧にお辞儀をするのかと思ったら、ヴァイオレットは花の方へ目線を合わせて、彼女に微笑みかけた。
「そして、花様」
そう言われて、花はぎこちない表情になっていた。だけど、その微笑みに負の感情がないことが分かったから、開きかけた口を閉じた。
「すみません、ヴァイオレットさん。少し訊きたたいことがあって」
「私がお答えできるものであれば、何なりと」
「『禁忌』のことについてのことなんですけど」
確かに『禁忌』が危険なものではあるが、それが打開策になりえるのかもしれない。
あの『偽造』に対抗できるのかもしれないと思って藍徒はヴァイオレットを呼んだ。
しかし、藍徒の問いかけを聞いたヴァイオレットは少し眉をひそめた。まるで、それは不快なものであると言いたげに。
ヴァイオレットの表情の変化に気付いた藍徒は、慌てて質問を取り下げようとした。
「あっ、やっぱり訊いちゃダメでしたか?」
しかし、藍徒が自分を気遣っていることに気付いて、ヴァイオレットは優しく微笑みながら首を横に振った。
「……いえ、お答え致します。『禁忌』についてどのようなことを知りたいのですか?」
「『禁忌』は他のチームの名前の名前を冠しているって聞きました。それなら、『禁忌』は『空洞』にも存在するんですよね? あるのなら、どうしても知りたい……」
「存在いたしません」
「え?」
「『空洞』の『禁忌』についての伝承は、前回の『選定』で途絶えております」
彼女の一言によって掴みかけた淡い希望は、水泡と化した。