第18話「再び、死の匂い」
「一体、これはどういうことだ……!」
荒れ果てた屋敷の中で、仮面の男は今にも激情に身を任せそうな勢いの声を出した。
その男の周りには、様々な表情が描かれた仮面を被った人間がお互いに顔を見合わせていた。
誰も彼もが、歪んだ表情の仮面をしている。
「凛花様が、『空洞』に?」
「あの方は、我々を裏切ったのか?」
不安や悲憤が「ニセモノ」たちから垂れ流されている。須藤凛花が『偽造』から『空洞』に寝がえったという事実に驚きを隠せない彼らをよそに、ヴィルムートは苛立ちを抑えて、自分の近くに控えている人物に疑問を投げかける。
「……ドレークス。『刻印』は今いくつある?」
「全部で十二でございます」
ドレークスと呼ばれたその男は、淡々と投げかけられた疑問に答えた。周りの人間と同じように黒尽くめの紳士服に身を包み、哀れみと蔑みが入り混じったような笑みが描かれた仮面を身につけている「ニセモノ」の男。
ドレークスは、再び無表情な声色でヴィルムートに語りかける。
「やはり、凛花殿は『空洞』に成り下がったようですね。我々『偽造』の証である『刻印』は、全てで十三。これで彼女は裏切り者であることが決定されました。如何致しますか。ヴィルムート様」
彼が手に持っているグリモアからは、十三本の十字架が虚空に映し出されていた。その内十二本は妖しい光を放っているが、一本の十字架には光は無く、明かりの灯っていない暗い部屋と同調した色をしていた。
その透明な十字架を見て、疑いは確信となった。
確かな殺意を込めて、ヴィルムートはドレークスに返答をした。
「……決まっている。裏切り者を許すわけにはいかない。近くに、『空洞』を潰す。一人残さず。……しかし、少し問題がある」
「……『憂鬱』の件ですか」
ヴィルムートの凄みのある一言が聞こえてきて、さっきまでざわついていた「ニセモノ」たちは声を出すことを止めた。
しかし、懸念すべき事柄はまだ他にもあったため、言葉の代わりに憂鬱そうな息が漏れる。
「奴らに送った魔獣は計四体だったはずだが、すべて抹殺されたのか?」
「……はい。ご丁寧なことに、見る影もないほどに切り刻まれていて、お陰で死体を回収し易かったです。『憂鬱』の方にも目立った被害はございません」
微かに、ドレークスの声が憤りを含んでいたものだったことは、ヴィルムートにしか気づけなかった。伝えられた現状に、ヴィルムートは不愉快そうに顔をしかめる。
自分たちとは対極的に病的な程に白い衣装に身を包んでいる、『憂鬱』とは程遠い表情の男が記憶にちらついてくる。
「魔獣はいつまでに補充できる?」
「ここ数日だけで相当数殺されて不足しておりますゆえ、万全に整えることが出来るのは数日かかるかと」
「そうか……」
目を閉じて、音が軋む椅子に腰掛け、ヴィルムートは思考を整理する。
須藤凛花が『偽造』を裏切り、『空洞』となったこと。
自分たちが送り込んだ選りすぐりの魔獣が、ことごとく『憂鬱』に殺されたこと。
どちらも、こちらにとって痛手だった。
だが須藤凛花が味方についたとは言え、相手はたった三人の『空洞』だ。こちらが全勢力を叩き込めば、潰すのは容易なこと。
未だにちらつく『憂鬱』を払拭して、ヴィルムートは双眸をゆっくりと開けた。
そして音を軋ませながら椅子から立ち上がり、「ニセモノ」だった彼女と同じように「宣戦布告」を宣言した。
「諸君。今から準備を進めておきたまえ。『憂鬱』からの襲撃を迎え撃つための。そして、我らの裏切り者と共に『空洞』を屠るための準備を」
その時の彼の表情は、その場にいた誰の仮面よりも歪んでいたものだった。
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「……よし。我ながらよく出来た……」
「やっぱ、上手いなぁ。昔もよく描いて褒められたもんな。主に俺からだけど」
「藍徒さんがやったらきっと悲惨なことになってたんだから、感謝してよね」
「はいはい。してますよ。どうせ俺が描いたら得体の知れないもんになるからな」
床に置いてある花のグリモアには、灯火によって描かれた精巧な紋章が刻まれていた。汗を拭うようなポーズを取る灯火と、流石と言いたげにその紋章を眺める藍徒を見て、花は申し訳なさそうに二人に声をかける。
「……灯火さん、藍徒さん。本当に私なんか助けていいの……?」
花は心配そうな面持ちで、藍徒と灯火を案じていた。自分なんかを救うために彼らは『偽造』によって殺されてしまうのではないかとを恐れていた。
彼らが居なくなっては、自分は本当に独りになってしまうと。
そんな弱々しい言葉を聞いて、藍徒と灯火は困ったように笑いながら、布団から動けない花の側へ寄った。
そのまま彼女の顔を横から覗くと、二人は彼女の頬を優しくつねった。
「ふぇ?」
訳がわからないといった表情をしている彼女を見て、二人は吹き出すように笑って、頬からそっと指を離した。
そして、彼女に自分たちの決心を今一度告げた。
必死な強がりで出来た、確かな決心を。
「まだ信じられないか? どっちにしたって、もう紋章描いちまったよ。これでお前は正真正銘『空洞』だ。紛れもなく俺たちが救いたい大事な仲間だよ」
「だから、「私なんか」って言うのはもうやめてね。あと、さん付けも禁止」
花の不安に塗れた声を聞いたから、藍徒と灯火は道化師みたく戯けてみせた。
自分たちに希望を与えてくれた、あのピエロを真似てみせた。
そんな彼らの言葉を聞いた花は、もう既に枯れ果てたと思っていた涙が、もう一度溢れ出しそうになっていることを自覚した。
けれど、伝ってくる熱い雫を押しとどめて、愛想笑いではない笑顔を浮かべる。
「うん……ありがとう。灯火、藍徒」
泣き笑いのような表情の彼女に、二人もつられて穏やかな笑顔を浮かべる。
それが本当に幸せそうな表情だったから、藍徒はこれから話すことに躊躇いを覚えた。けれど、そんな彼女の笑顔を見れたからこそ、藍徒はその笑顔を奪いかねない『偽造』の話をした。
「……これからのことも考えていかないといけない。きっと、真っ先に『偽造』は俺たちを潰しにくる。だけど、そうやすやすと殺される訳にはいかねぇ。教えてくれ、花。アイツらを迎え撃つために必要な情報を」
涙で潤んだままの花の目を見据えて、藍徒は真っ直ぐな瞳で問いかける。
その問いかけに花はなんの躊躇いもなく、力強く頷いた。涙を拭いて、彼と同じようにどこにも屈折していない眼差しを返した。
「うん。もちろんだよ。私も『空洞』なんだから」
明日を迎えられる保証なんてどこにもない。
一歩間違えれば、死の匂いがまた近づいて来るだろう。今までも、そしてこれからも。
そんな運命に舌打ちをして、三人になった『空洞』は、必死に足掻き方を探し始めた。
ふと彼女のグリモアを見ると、『偽造』の紋章が描かれていたページは、何も無い空白となっていた。