第10話「死刑宣告」
怪物との死闘の後、藍徒が息を吹き返したのは良かったが魔力を全て使い果たし、身体の疲労までは回復されなかったので一歩も動けなかった。
生ける屍状態の藍徒を灯火がなんとかマンションの一室に連れ帰った。
四苦八苦しながらドアを開け、乱暴に藍徒を固いフローリングに降ろす。
「痛っ!おい、灯火。もうちょい優しく降ろせよ……俺、逃げてた時お前のことすげぇ優しく降ろしたよ?」
「……仕方ないでしょ、重かったんだから。
とりあえず、布団敷くから大人しく寝てなさい」
少しだけ急いで灯火は布団を取りに行った。
いつも通りの一見無表情な灯火を見て、自然と笑顔になっていた。窓は開いていて、少し暖かな風が柔らかく藍徒に当たる。
生きている心地がする。
こんなにも心臓が鼓動をしているのを感じられるのは、一回死んだからだろうか。
「……つか、俺、何で生きてるんだろう?」
当たり前の疑問が浮かぶ。
怪物の鎌のような爪をまともに喰らい、自分の腹は裂けたのではないかと思う程に抉れた。血は際限なく流れていた記憶がある。
正直言って、死んだと思った。というか、死んだ。
あの場で自分の命を救える方法なんて、それこそ魔法だけなのだろう。
しかしながら、あの場では藍徒の魔力は既に底を突き、灯火も回復系統の魔法を唱えることが出来た訳ではない。
「藍徒さん、布団敷いたよ」
あれこれ考えていると、目の前には真っ白な布団があった。
ゴロゴロと寝転がり、布団の中へ潜り込む。
「……幸せかよ」
第一声は静かな歓喜の声だった。
柔らかな肌触り、全身を包み込む安堵の固まり。疲れた身体に溶け込むような温かさ。
「……ん?なんか、前にもこんな感覚になったような……」
この安堵には見覚えがある。
沁み入るような安らぎ。
とても朧げで、多分意識は無かったのだろうが。
記憶の中を探るが、青白い優しい光が頭の中でちらつくだけだった。
「ま、いっか」
考えることを停止した。安らぎに満ちて、瞼が重くなる。
そして、そのまま穏やかに眠りについた。
横では灯火が子供のように眠る藍徒を見て、クスクスと笑いを浮かべた。
その光景は、とても穏やかだった。
しかし、灯火は藍徒を起こさないように静かにその場に立ち上がった。
「……少し、行ってくるね。藍徒さん」
彼の寝顔に微笑んで、灯火は部屋を出た。
そしてそのまま、怪物の亡骸の元へ足を運んだ。
マンションの下に降り、少し歩くと、道路の真ん中には血塗れの巨躯が横たわっていた。
数時間前には生きていた化け物。
体毛はすでに赤黒い血で赤く染まっていて、藍徒によって引き抜かれた眼球は乾ききって、亀裂が入っていた。
『涙淵』の結晶が刺さった跡と思われる、肉が抉れた醜い傷。
愛らしい顔をしかめて、血塗れの亡骸を見つめてこう言った。
「これが藍徒さんじゃなくて、本当に良かった……」
心の底から、安堵が漏れる。
もしも、藍徒と怪物の立場が逆だったら。
もしも、藍徒が怪物によって亡き者とされていたら。
そんなこと、考えてもしょうがないのは分かっているのだけれども。
「そんな酔狂な考えを持っているのならば、この先、貴女の歩みは揺らいでしまうわ」
無表情な女性の声が聞こえてきた。
ヴァイオレットではない。
心臓が飛び出しそうになったが声を抑えて警戒しつつ、振り返る。
「初めまして。『空洞』の雨沢灯火。
私は、須藤凛花。この「選定」に参加している『偽造』の中の一人」
そこには、悲しみで涙を流している表情の仮面を付けている少女がお辞儀をしていた。
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「須藤……凛花?」
名前が日本人のそれであった事に驚いたが、『偽造』と聞いて警戒心が敵意になった。まだ残っている魔力で、光を放つ『涙淵』の結晶を数弾生成した。
それを見て、凛花は仮面の下で微笑を浮かべた。
「安心して。貴女たちを殺しに来たわけじゃない。貴女たちの容態を確認しに来ただけよ」
警戒は解けない。ああ言っているが、油断させておいて隙をついて殺しに来るのではないか。
そのような疑念が湧いても不思議じゃない。
しかし、あちらから仕掛けてくる様子もない。いつでも対処出来るように『涙淵』の結晶を握って、言葉を交わしてみる。
「……質問に答えてくれる?」
「何かしら?」
「あなたも、異世界召喚されたの?」
「ええ。あの胡散臭そうな道化師にこの世界へ連れて来られた。貴女たちと同じ日本から。そして、『偽造』としてこの『選定』に出てくれとお願いされたわ」
「ここに来た目的は?容態を確認しに来たってどういうこと?」
少し間が開いて、凛花は仮面越しに灯火の目を見据えながら口を開いた。
「……ロイゼス。そこで死体となっている怪物は、私達『偽造』が送り込んだプレゼントよ」
大きな肉塊を指差して、そう言い放つ。
灯火は指差された方向を見た後、凛花を鋭く睨み付ける。
今は息をしている彼を瀕死にさせた怪物。
それを送り込んで来た目の前の『偽造』に、度し難い怒りが湧いた。
しかし、今、感情に任せて動いてはいけないのは分かっているから、声を少し低くして灯火は言葉を繋ぐ。結晶は今すぐにでも、彼女の手から放たれそうだった。
「……それなら、尚更どういうつもり?満身創痍のあの人を殺しに来たの?」
「さっきも言ったでしょう。殺しに来た訳ではないと。私は宣告しに来ただけよ」
「宣告……?」
「そう。端的に言ってしまえば、『死刑宣告』よ」
死刑宣告。
その言葉が灯火の頭の中で木霊しているのをよそに、続けて仮面の少女は口を開く。
「私達は貴女たち『空洞』を含め、他のチームにも同様に魔獣を送った。そして、魔獣によって被害が甚大な、言わば一番潰しやすいチームを壊滅させることにしたの」
「その潰しやすいチームって、私達のこと?」
「そういうこと。生憎、他のチームにも選りすぐりの魔獣を送ったのに目に見えた被害が確認できるチームはいなかったわ。貴女たち以外はね」
嘲笑を浮かべながら話しているかのように、凛花の声色は冷たいながらも軽快だった。
「本来なら今すぐに貴女たちを殺すことも容易いのだけれども、少し事情が変わったの。
貴女たちが何の足枷も無い状態になったら、改めて殺しに来ることになったのよ」
「……舐めてるの?私達を」
「当たり前じゃない。でも心配しないで。殺しに来るのは私だけだから。痛みも無いように殺してあげる」
漏れ出している嘲笑の声が、仮面の表情とは不釣り合いだ。しかし、仮面の下ではきっとその声の通りの表情を浮かべているのだろう。
悔しさが沸々と湧いて来る。
自分が軽んじられたことにではなく、あんなにも必死に戦っていた藍徒を軽んじられたことについてだ。
それと同時に恐怖心も生まれた。
あれ程の化け物を他のチームはいとも簡単に対処出来るほどの力を持っていることに。
「私は貴女たちを随時監視している。だから、逃げる事は叶わないと思っておいて。
それでは、これで失礼するわ。せいぜい足掻いてみなさい、『空っぽ』な『空洞』さん」
大袈裟にお辞儀をしてから、凛花は自分の影に沈み込んだ。彼女の体が見えなくなると、影も
地面に吸い込まれて消えた。
ふと、怪物の方向を向くと、怪物の大きな死体も同じように影に呑まれていつのまにか消えていて、乾いた血溜まりだけになっていた。
いつのまにか、自分一人だけだ。
下を俯いていた灯火は、頭を振ったあとに藍徒がいるマンションの一室を見上げた。
「……帰ろう。藍徒さんが起きる前に」
少し駆け足で、再びあの部屋へ戻った。
静かにドアを開け部屋の中に入る。そして、藍徒の顔を覗いた。緊迫した『偽造』とのやり取りをよそに、幸せそうに眠っている藍徒を見て灯火は、苦笑した。
こんなにも穏やかだと、話すことに躊躇いが出てしまうが、やはり話さなければならない。
身勝手な「死刑宣告」を告げられたことを。