トラウマを抱えた原田という男
「堀口の研究室時代のあだ名はケルベロスです。」
「地獄の番犬の?」
原田は頷いた。久谷はなんとなくデータセンターはホリグチ博士に任せて原田と缶コーヒーを飲んでいた。寒かったのだ。
「水谷教授にすごく気に入られていて、とにかく論文や研究のアラを探させたらアイツの右に出る奴がいなくて、水谷教授の論文も研究も全部アイツがチェックしてたんですよ。でも、水谷教授はいいですよね?堀口にチェックさせとけばいつの間にか完璧な論文が仕上がってるんですから。でも、オレ達は地獄ですよ。苦労して集めた実験データから全部やられて、他のゼミの連中も『水谷ゼミの前を通ると卒論が落ちる』って有名だったんです。でも、水谷教授は忙しいって言って、論文のチェックを堀口に全部任せて。余りのキツさに農学部に入ったはずなのに学部編入してドイツ文学で大学卒業した後輩まで。」
久谷はミントタブレットを無言ですすめて、原田に断られた。久谷はコーヒーを飲みながらミントをかじるのが好きだ。
「それで『ケルベロス』か。」
原田は怒っているのか、泣きたいのか分からない顔をして語った。
「これがまだ教授が落としてくるなら納得もできますけど、同級生ですからね?水谷教授も堀口が入ってくるまではそんな厳しい人じゃなかった……っていうか水谷教授は別に最後まで厳しくないんですけど、堀口が待ち構えているんですよ?」
久谷は同情しているふりをしながらも核心に迫ってみた。
「ところで兵器転用って話さっき聞いたんだけど?」
原田は自嘲気味に答えた。
「あれは……堀口があんまりムカつくから、ちょっと罠を仕掛けて、『堀口が通した研究に兵器に転用できる研究が含まれていたら、責任は堀口がとるのか?』って賭けをやったんですよ。水谷教授、そういうキナ臭いの嫌いなんで。」
久谷は飲み終わった缶を回収ゴミ箱に入れた。
「速攻でバレましたよ。で……」
「で?」
原田は飲み終わった缶をいつまでももてあそんでいる。
「『これ水谷教授に出すつもりじゃないよね?』って」
「はあ」
「俺たち震えあがって『個人的な研究だけど堀口君にチェックしてもらいたかったんだ』って」
「はい」
原田はうつむきがちで顔が見えない。
「堀口、『なら良いんだ、足りないデータがあったから実験して足しておいたよ』って。多分、後にも先にも堀口が他の生徒の研究手伝ったのその一回きりです。」
「はぁ」
堀口も兵器転用に加担していたのだろうかと久谷が考えていると、堀口が戻ってきた。
「何を言ってるんだ、原田さん。あれはキミの研究じゃないか。」
「聞いてたのか!?」
原田が青ざめた。久谷は「ヘビとカエルのようだ」と思った。
「あれはキミの特許だよ。画期的だったじゃないか?」
結局、原田が取った特許は「改良型クマよけスプレー」だったそうだ。原田は学内での評価が上がり、M社の就職も決まって万々歳だ。
「なんだ、いい話じゃないか。」
そうして、原田はケルベロスと呼ばれた堀口に頭が上がらなくなっていったということだ。