009 あほの子
「まだ続ける?」
「ま、参りました……」
ユミルが目の前の男に剣を突きつけると、男は観念したように両手をあげる。
すると辺りは溢れんばかりの歓声に包まれる。
それは全て、素晴らしい剣技で相手を圧倒した剣聖に対する称賛の声だ。
ジンがユミルに『決闘』を受けてみてはどうだという提案をしてから、早数日、結果的にジンの予想を大きく上回る反応があった。
まずクラスの男子たちはほぼ全員ユミルに挑み、返り討ちに遭っている。
更に学園の男子生徒の半分以上がユミルに決闘を挑んでいた。
当然、いまだにユミルを倒せるだけの実力者は現れていない。
決闘の数だけ増えていくことに対して、さすがのユミルも不満そうだ。
初めの方は相手に対して多少なりとも手加減していたユミルだったが、途中からはどうやらそれすらも面倒くさくなってしまったようで、ほとんどが剣聖の一振りの前に沈んでいる。
偶に少しは善戦する者もいたが、それでも圧倒的な剣聖の実力の前に成すすべなく敗北を喫している。
「今の人、二年でもかなり実力のある先輩らしいぞ……」
「さ、さすが剣聖様だな……」
観衆からは、あまりにも強すぎるユミルに対して感嘆の声が聞こえてくる。
確かにジンの目から見ても、ユミルの剣を振るう姿はまさに神々しいという言葉が相応しい。
そんなユミルも現段階で申し込まれている分の決闘が終わったようで、疲れた様子で自分の教室へ戻っていく。
その場にいる皆はユミルの後ろ姿から視線が逸らせない。
徐々に小さくなっていくユミルに対して、ようやく我に返った様子で、それぞれも自分の教室へ散っていった。
「いい感じに注目されてるな」
少なくなっていく生徒たちを見ながら、ジンは呟く。
当初の狙い通り、今回のことでユミルに対する注目度が一気に上がった。
そのお陰でこれまで悪目立ちしていたジンに対するそれも、かなり緩和された気がする。
少なくともここ数日でジンに絡んできた生徒は誰もいなかった。
恐らく皆、どうにかしてユミルとの決闘に勝とうと必死なのだろう。
しかしそのお陰で、ジンは自分の任務に集中することが出来る。
汚い手段でユミルと対峙しようとしている輩たちを、事前に排除することで、ユミルの身の安全を確保しているのだ。
剣聖であるユミルのことだから、わざわざジンがこんなことをする必要性はあまりないのかもしれないが、それでも恋をするために頑張っているユミルの邪魔になるようなことをさせたくはない。
出来るのであればユミルに気付かれる前に、自分が……と思ってしまうのは、男の性というものだろう。
因みにだが、ジンは既に何人かにトラウマを植え付けている。
恐らく彼らはユミルに対して、悪巧みをするようなことは今後一切ないはずだ。
「ユミルの方もそろそろ痺れを切らしてきたか?」
今日のユミルの態度を見るに、相当にストレスが溜まっているように見える。
確かにここ連日の決闘を考えれば、そうなってしまうのも無理はない。
それにユミルからすれば「自分より強い人」を探しているのにも関わらず、実力差は歴然で、ユミルに一太刀与えるものすらいないのだ。
さすがのユミルもそろそろ、自分の好みのタイプでは相手が見つからないのではないかと疑問に思う頃ではないだろうか。
そう思ってくれているのであれば、それこそジンの予想通りに事が進んでいる。
「まあとりあえずユミルにはもう少し目立ってもらって、こっちは今のうちに色々と情報集めてもいいかな」
とうとう誰もいなくなった中庭で、ジンは腰かけていたベンチから立ち上がった。
◇ ◇
「ジン君、すみません。ちょっと良いですか?」
「? すぐ行きます」
その日の放課後、ジンはいつかのように担任の女教師に呼ばれた。
HRも終わったばかりなので、当然教室には人が残っている。
担任に呼ばれたジンに少しだけ視線が集まるが、最近の成果が出たのか、ほとんどが特に興味がなさそうにすぐに視線を逸らしていく。
「あ、ジンっ」
「……なんだ?」
しかしそんなジンを呼び止めるのは、現在話題の中心のユミル。
担任の下へ行こうとしていたジンは出来るだけ目立たないように小さな声でユミルに応える。
「き、今日、一緒に帰らない? 最近一緒に帰ってなかったしっ」
「あー……、分かった。でも少し話があるみたいだから、ここで待っててくれ」
ここでユミルの誘いを断れば、また声を大きくして「なんで!?」と聞いてくるかもしれない。
その可能性を考えて、ジンは頷く。
それに担任の話がどの程度の長さになるかは分からないが、少なくとも、他の生徒たちが帰るまでの時間くらいは話すことになるだろう。
そうなればユミルと帰っても、最低限の注目で帰ることが出来る。
「じゃあまた後で」
「う、うんっ!」
やけに嬉しそうに微笑むユミルに首を傾げながら、ジンは教室を出ていった担任の後を追った。
「……って、俺を呼んだのはあなたですか」
「ふふ、ごめんなさいね。急に呼び出したりして」
「いえ、それは別にいいんですけど……」
ジンが担任に連れてこられたのは、以前と同じ理事長室だった。
そしてこれまた以前と同じように、既に担任はどこかへと消えてしまっている。
「それで、今日はどういった用件でしょうか?」
自分の諜報員としての顔を知る数少ない一人に、ジンは自分が呼ばれた理由を聞く。
「今日あなたに来てもらったのは、あなたの幼馴染——剣聖ユミル=ロズワールさんについてお話があったからです」
「ユミル、ですか……?」
てっきりジンの諜報部の上司から仲介を頼まれたりしたのだろうと考えていたジンは、予想とは違った理事長の答えに首を傾げる。
ユミルについての話ならば、そもそもジンが呼ばれる理由はあまりないように思う。
それこそユミル本人を呼べばいいだろう。
しかしこうしてジンを呼んでいるということは、本人には言いにくいようなことなのかもしれない。
ジンは目を細めて、グーリンの続きの言葉を待つ。
「実は――――彼女の成績がとんでもないことになっているんです」
「…………はい?」
ジンは自分の耳を疑う。
間違いなければ、成績がどうとかいう内容が聞こえた気がするのだが。
「ユミルさんの成績が、ひどいことになっています」
だがどうやらそれはジンの聞き間違いではなかったらしい。
真剣な表情でそう呟くグーリンには、冗談の雰囲気など微塵も感じられない。
ジンはやや遅れてやってくる頭を抱えたくなる衝動に、何とか耐える。
「……ち、因みにどんな感じですか?」
「このまま行けば、進級も厳しいレベルです」
「……そ、そんなにひどいんですか」
「残念ながら」
ジンは幼馴染のまさかの事態に、ついに頭を抱える。
だがそれはおかしい。
学園に来る前、ユミルは家庭教師の下で勉強を教わっていたはずだ。
まさかとは思うが、その時からひどい成績だったのだろうか。
その可能性は十分に考えられる。
「で、でもどうしてそれを俺に言うんですか? ユミルに直接言った方がいいのでは?」
ジンの言葉に、グーリンは死んだ魚のような目でどこか遠くを見つめている。
「『私はここに勉強しに来たわけじゃないので!』って言われたわ」
「……心中お察しします」
ジンは自由奔放を通り越して、もはやあほの子であるユミルを思い浮かべながら、グーリンに同情する。
まさか学園の理事長に『勉強する気はない』と断言する生徒がいるとは思うまい。
しかもそれが理事長も強い言い難い剣聖だから質が悪い。
「いくら剣聖とはいえ、この成績ではさすがに……」
グーリンの言葉にジンも頷く。
むしろ剣聖だからこそ、皆の模範になるような成績を取るのが当然だとも言える。
「俺が何とかしてみます」
「よ、よろしくお願いします」
阿保だ馬鹿だとは思っていたが、まさか成績までその通りだとは思っていなかった。
ジンは溜息を零すと、今日の帰り道にでもユミルに何か言ってやろうと心に決めた。