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006 理事長の冷や汗


「あー、今日から授業とかめんどすぎる……」


 校門の前までやって来たジンは今更ながらに呟く。

 諜報員としての仕事がない時は基本的にゆっくり過ごすのがジンの日課だったので、朝早くに起きて学園に行かなければいけない日々がこれから続くと思うと憂鬱で仕方がなかった。


 結局あの後、ジンが串焼きに夢中になっている間に少女はどこかへ消えてしまい、名前も聞くことが出来なかった。

 だがあんなところにいる割には上質な服を着ていたので、もしかしたらどこかの貴族の娘だったのかもしれない。

 だとしたらどこか世俗離れしたような少女の雰囲気も頷ける。


 そんなことを考えながらジンは入学式で教えてもらっていた自分の教室へ向かう。


「えっと、ここで間違いないよな」


 程なくして到着したジンが教室へ入ると、既に教室にいたクラスメイトたちから一斉に視線を注がれる。

 昨日の入学式であれだけ悪目立ちすればこうなるのも無理はないだろう。

 ジンはほとぼりが冷めるまで大人しく学園生活を送ろうと決意する。

 しかしそんなジンの決意とは裏腹に、ジンへ近づく影が一つ。


「ジン、おはよっ!」


「……ユミルか」


 ジンの後ろから手を回してくるユミルに、ジンは思わずため息を零しそうになった。

 せっかくこれ以上目立たないように心がけようとした途端にこれである。

 剣聖であるユミルがやって来たことで、クラスメイトたちのざわめきも大きくなっている。


「もしかしてジンってこのクラスなの!?」


「そうだけど。もしかしてお前もか……?」


「うんっ! 同じクラスで良かったね!」


 新入生のクラスは合計で三つ。

 特に基準などはなく、無造作に選ばれるはずのクラスなのだが、まさか三分の一の確率でユミルと同じクラスになるとは予想していなかった。

 もしかしたら誰かの陰謀が働いているのかもしれない。

 確かにユミルを警護するという点であれば、クラスメイトであることは最適なポジションだろう。

 だがユミルの場合は何かしなくても、ユミルの方からジンへ近づいてくるので特に問題はなかった。

 むしろ同じクラスになったせいで、ジンが悪目立ちしてしまうのではないかという方が心配だ。


「ほら、早めに席に座っとくぞ」


「分かった!」


 ユミルが一向に離れてくれないので、ジンはさっさとそれぞれの席に座ることにした。

 周りを見る限りではどうやら自由席のようで、ジンは窓の近くの席に座るが、当然のようにユミルもその隣に座る。

 ここで何か文句を言えば、ユミルが拗ねてしまうのはもはや長い付き合いの中で分かっているジンは視線を窓の外に向けるだけでそれ以上は何も言わない。

 すぐ隣からやけに視線を注がれているような気配がしてならないが、ジンはしばらくの間は気付かないふりをすることに決めた。




「ジン君、ちょっといいかしら?」


「? 今行きます」


 初日のHRも終わり、これから授業というタイミングでジンはどういうわけか担任の女教師に呼び出されていた。

 幸いクラスメイトたちは初めての授業ということで浮足立っているのか、ジンが呼ばれたことには気付いていないようだ。


「ちょっと移動するけど、ごめんね」


「はい、分かりました」


 そう言う担任についていき、しばらく歩くと、どこかの部屋の前へと案内される。

 明らかに装飾の凝った扉にジンは目を細める。


「……ジン君を連れてきました」


『入りなさい』


 部屋の中から声が聞こえてくると、担任は扉を開ける。

 そしてジンに部屋の中へ入るように勧める。

 それに従いジンが部屋の中に入ると、担任はそのまま扉を閉めてしまった。


「…………」


 ジンの前には年老いた壮年の女性が椅子に腰かけている。

 威厳の漂う彼女の雰囲気にジンはいつでも動けるように、警戒を怠らない。


「そんなに身構えないで大丈夫ですよ」


「……あなたは?」


「私はグーリン=リーセッシュ。この学園の理事長を務めている者です。あなたはジン君、でしたよね」


 グーリンと名乗った理事長からの確認に、ジンは無言の肯定を返す。

 これまでは何が起きても良いように警戒していたジンだったが、物腰の柔らかい理事長の態度に警戒を緩める。

 もちろんジンならばそれでもある程度のことには対処できるだろうが。


「……理事長が俺なんかに何の用ですか?」


 しかしジンにはどうして自分がこんな場所に呼ばれたのかが分からない。

 どこかの大貴族の子息だったり、それこそ剣聖であるユミルだったりであれば、こんな風に理事長に呼ばれるのも頷けるだろう。

 だがただの平民にしか過ぎないジンが理事長であるグーリンに呼ばれるのは腑に落ちない。


「私は、あなたが諜報員であること知っていま――っ」


 その疑問にグーリンが答え終えないうちに、ジンが動いた。

 一瞬にして椅子に腰かけるグーリンに詰め寄ると、腰に隠し持っていたナイフを喉元に突きつける。

 あまりに刹那的な出来事に、グーリンは反応することも出来なかった。


「————誰に聞いた」


 その声はあまりにも冷たく、あまりにも淡々としていた。

 それだけで相手を射殺せるのではないかと思ってしまうほどに機械的で鋭利な視線は、真っすぐにグーリンへと注がれている。


「あ、あなたの、上司に……」


「俺の上司……?」


 さすが理事長というべきか、ジンの強烈な殺意に、切れ切れになりながらも何とか理由わけを話す。

 予想外の答えにジンはグーリンの喉元に突きつけていたナイフと殺意を収める。

 そこでようやく肩の力が抜けたのか、どっと息を吐く理事長の額には冷や汗が浮かんでいる。


「に、入学する際に、あなたが剣聖の警護という極秘任務でやって来ているということを伝えられたんです」


「なるほど、そういうことだったんですか。それなのに突然脅したりしてすみません」


 完全に自分の早とちりで行動してしまったことを反省するジン。

 しかしグーリンは首を振る。


「諜報員というのは個人情報がとにかく重要ですから、気を張ってしまうのも無理はありません。もっと私が注意するべきでした」


「……そう思ってくださるだけで十分ですよ」


 ジンにとって自分が諜報員であるということは、どんな自分の秘密よりも知られてはならない秘密だ。

 もし仮に自分が諜報員であることがバレれば、周りの人たちにも危害が及ぶ。

 諜報員というのはどんな時代でも、そういう存在なのだ。

 だから諜報員は、自分が諜報員であると知られないように普段から気を張っている。

 万が一バレてしまえば、それ以上広まる前に対処する。

 それが諜報員の義務、そして鉄の掟なのだ。


 しかし今回はそのせいで理事長にナイフを向けてしまった。

 理事長は諜報員のそういう立場を知っているからこそ、ジンの行為を流してくれたが、あと一歩間違えば取返しのつかないことになっていたかもしれない。

 ジンは改めてグーリンへと頭を下げた。


「話が逸れてしまいましたね。今日あなたを呼んだのはお願いをしたかったからなんです」


「お願い、ですか?」


 殺意の余韻からようやく雰囲気が落ち着くと、グーリンは真剣な顔で話し始める。


「ジン君にとって、貴族ばかりのこの学園はさぞ過ごしにくい場所でしょう」


「それは、まあ」


「もちろん貴族色に染まっていない子もいますが、貴族という立場に驕っている者も少なくはありません」


 残念そうに話すグーリンに、ジンも頷く。

 それは既に入学式当日から経験させられたことだ。


「しかし彼らもまた(、、、、、)、|この学園の生徒なのです《、、、、、、、、、、、》」


 グーリンの真剣な眼差しが、ジンを射抜く。


「あなたが常軌を逸した実力者であることは理解しています。それなのに不当な扱いを受けるのはさぞ心苦しいことでしょう。それでも私は学園の理事長として、生徒に危害が及ぶことを出来る限り防がなければならないのです」


「……つまり生徒には手を出さないでほしい、と」


「端的に言えばそういうことです」


 グーリンの言い分は尤もだ。

 理事長として生徒が傷つくことは事前に防ぐのは義務の一つに含まれているのだろう。

 諜報員として相当な実力者であるジンに、ちょっかいを出す貴族たちは少なからず出てくるはずだ。

 現にキッシュが既に平民であるジンに手を出した。


 だが、ジンが実力の一端でも出せばキッシュなど一瞬にして塵芥と化すことをグーリンは知っている。

 だからこそジンに「生徒に手を出さないでほしい」と言っているのだ。

 たとえそれが貴族色に染まった傲慢な生徒だったとしても。


「理事長の言い分は分かりました。俺も生徒には出来る限り加減をしましょう」


「そ、それなら」


「でも」


 ジンの言葉にほっと息を吐こうとした理事長の言葉を遮る。


「俺にも逆鱗っていうものがありますからね?」


「——っ!」


 その言葉に、グーリンは肩を震わす。

 警告とも、脅しとも思えるそれを呟くジンはどこか含みのある表情を浮かべていて、その真意を読み取ることは出来ない。


「うちの生徒が、あなたの逆鱗に触れないことを祈っておきます」


 しかしそう言う理事長の額には、ようやく引いていた冷や汗が再び流れていた。

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