005 おかしな少女
「お父さんたちこんなところにいたんだっ! ジンと一緒だったんだね!」
「あぁ、偶然すぐに見つけたから話してたところだよ」
ジンたちの下へやって来るやいなや、まくし立てるように話すユミルにリキッドは苦笑いを浮かべる。
だがそんなこと露知らず、ユミルは入学式が終わった解放感からか、やけに楽しそうだ。
しかしジンだけはどこか居心地の悪そうに、周りの空気を窺っている。
というのもただでさえ公爵家の夫婦たちがいることで他の貴族たちの視線が集まっていたというのに加えて、剣聖であるユミルまでやって来たら注目の的になってしまっているのだ。
そんなところに平民であるジンがいれば、当然悪目立ちしてしまう。
「そうだ。私たちはこれから家族で外食にでも行こうと思っていたんだが、ジン君も一緒にどうかね?」
「いや、一家団欒の場所にお邪魔するのはさすがにちょっと……」
思い出したように言うリキッドにジンは慌てて首を振る。
ただでさえ悪目立ちしているというのに、これ以上目立ってしまえば、今後の学園生活にも支障が出てくるかもしれない。
ユミルの付き添いという名目で学園にやって来ているとは言え、そんな状況で日々の生活を過ごしたくはない。
更に目立てば目立つほど、諜報員として行動しにくくなる。
「えーっ!? 別に邪魔なんかじゃないから来ればいいじゃん!」
だがそんなジンを簡単に逃がしてくれないのがユミルだ。
ユミルは頬を膨らませながらジンの腕を掴み、身体を寄せる。
密着するユミルにジンは思わず喉を鳴らすが、この状況をどう切り抜ければいいのか必死に考える。
「ユミル、我儘を言っちゃだめだよ。ジン君だって忙しいんだから」
「……むぅー」
そこで救いの手を差し伸べたのはリキッドだった。
これ以上は目立ちたくないというジンの思惑を察してくれたのだろう、ユミルを窘める。
その言葉にユミルは拗ねたように唸るが、さすがに父親の言うことは聞こうと思ったのか、それ以上の我儘を言う気配はなくなった。
だがジンから身体を離そうとした時、ユミルは上目遣いで寂しそうに瞳を潤ませる。
思わず「やっぱり行かせてください!」と言いそうになるのをジンが何とか堪えると、ユミルはようやく掴んでいた腕を離した。
「じゃあこれ以上ここに長居するのもあれだから、私たちもそろそろお邪魔させていただこうかな」
「あ、また今度ご挨拶に伺いますので」
「ああ。その時を楽しみに待っているよ」
リキッドはジンに笑みを向けると、エマとユミルの二人を連れて、その場を離れていった。
そして一人残されたジンには、相変わらず奇異の視線が向けられる。
これまでは他の三人にも分散されていた視線が集中して、余計に多くの視線に晒されている気がする。
ジンはあまりの居心地の悪さに、足早にその場を後にした。
「…………」
入学式からの帰り、ジンは人気の少ない道をゆっくり歩いていた。
そんなジンの意識は背後へと向けられている。
微かに聞こえる地面を擦れる音。
わざと足音を立てないようにしている時の特徴だ。
どうやら尾行されているらしい。
とはいっても、明らかに尾行慣れしていない彼らにジンはこめかみの辺りを押さえる。
学園を出てからすぐに後ろを尾けてくるあたり、ほぼ間違いなく学園の生徒だろう。
そして初日からこんなことをやってくるということは、少なからず何かしらの接点があったと考えていい。
ということは恐らく入学式直前にいちゃもんを付けてきたキッシュとかいう貴族か、その取り巻きのどちらかだろう。
やはり悪目立ちはするものじゃないなとジンは溜息を零しながら、さすがにこれ以上の尾行を許そうとも思わず、容赦なく諜報員としての力を見せることにした。
「なっ!? ど、どこに行った!?」
「い、今の今までここにいたはずなのに、急に消えたぞ!?」
突然、ジンの姿が消えたのを見て、数人の男が慌てた様子で姿を見せる。
見覚えのある彼らは、ジンの予想通り、キッシュの取り巻きたちだった。
恐らくキッシュにでも剣聖の不快を買ってしまった腹いせに懲らしめてきてやれとでも言われたのだろう。
だが相手が悪かった。
「俺に何か用か?」
「ッッ!?」
姿を見せた彼らの眼前に、突如現れたジン。
消えたはずのジンが突然目の前に現れたことに動揺を隠せない彼らは、思わず飛び退く。
「ど、どこに隠れてたんだ!!」
「? 俺はずっとここにいたが」
「う、嘘言うな! こんな目の前にいたら誰だって気付く!」
「でも、気付かなかったんだろう?」
ジンの言葉には一つとして嘘は含まれていない。
何を隠そう、ジンは彼らが姿を見せる前から一歩も動いていないのだ。
ただ諜報員としての必須能力『隠密術』を使っていただけだ。
これまでにも諜報員として数々の成果をあげてきたジンの隠密術を、何の訓練もしていない一般人が見破ることなど出来るはずがない。
それはたとえ目と鼻の先にいたとしても、だ。
「それで、俺に何か用か?」
「……い、いや、何でもない」
何も分からない者からすれば怪奇現象とも思えるそれを目の当たりにしたキッシュの取り巻きたちは、あまりの気味の悪さに、ジンの言葉を慌てて否定すると、そのままどこかへ消えて行ってしまった。
◇ ◇
「物分かりが良い連中で良かったと言うべきなのか、それとも悪目立ちしすぎたことを後悔するべきか……」
商店街を歩くジンは先ほどのことを思い出しながら憂鬱そうに呟く。
幸い、キッシュの取り巻きたちはジンの隠密術を前にして訳も分からず逃げ帰ってくれたが、もしあそこで逆上して襲いかかってでもきたりしたら、それはそれで面倒なことになっていたのは間違いない。
そこだけは不幸中の幸いだったが、そもそもジンが学園で変に目立たなければ、こんなことになる可能性も無かったのだろうと考えると微妙なところだ。
「まあ過ぎたことを考えても仕方ないし、とりあえず今は適当にどこかで腹を満たしていくか」
入学式は午前中だけで終わったので、ちょうど時間帯的にはお昼時だ。
ユミルたちは家族で外食に行くと言っていたが、公爵家ということは恐らくそれなりの店に行くはずだ。
少なくともこんな商店街で会ったりすることはあり得ない。
だとすれば普通にお腹を満たすにはどこかの食堂にでもいくのが良いだろう。
「……ん?」
そんなことを思っていると、一軒の串焼きの屋台の前で、じーっと串焼きを見つめている少女がいることに気が付いた。
12、3歳くらいだろうが、思わずこちらまで串焼きを食べたくなるようなほどの食い入るような視線で串焼きを見つめている。
恐らく屋台の店主もそんな視線を向けられては野暮にできないのか、店の真ん前で突っ立っている少女の対応に困惑顔を浮かべている。
「食べないのか?」
気付けばジンは、その少女に声をかけていた。
声をかけられた少女はどこか眠そうな無表情で、ジンを振り返る。
「別に食べたくないもの」
しかし抑揚のない声でそう呟く少女の視線は串焼きに釘付けである。
「おじさん、串焼き二つ」
「は、はいよ!」
明らかに気持ちとは正反対の言葉を言う少女に、ジンは視線を外すと屋台の店主に串焼きを注文する。
途中で紙袋は要るかと聞かれるが、ジンは首を振ると、お代と引き換えに串焼きを二本受け取る。
「…………」
ジンが受け取った串焼きをじっと見つめ出した少女に、ジンは二本の内の一本を差し出す。
「……なに?」
「お前の視線のせいで、この美味しそうな串焼きに出会えたんだ。そのお礼だとでも思ってくれていい」
「それなら」
なかなか受け取らない少女に、ジンは取って付けただけの理由を告げる。
すると今度は素直にジンの差し出した串焼きを受け取り、買ったジンよりも先にそれを頬張る。
「……ん、美味しい」
どこか皮肉の多いような印象を受けたジンだったが、どうやら食べ物に関しては素直に感想を言えるらしい。
ぱくぱくと串焼きを頬張っていく少女に釣られて、ジンも一口食べる。
「お、これは中々」
タレをたっぷりつけられた肉は良い具合に焼かれていて、香ばしい。
それに食感も悪くない。
気が付けばその美味しさにジンも全て食べ終わってしまっていた。
「…………」
これは意外なところで穴場を見つけたと内心喜ぶジンだったが、少女の視線が再び屋台の方へ向けられていることに気付く。
「おじさん、串焼きもう二つ頼むわ」
「あいよっ」
屋台の店主と二人で苦笑いを浮かべあいながら、ジンはもう一度串焼きを頼んだ。