004 ロズワール家
「……はぁ?」
ユミルの言葉に呆れの声を零すジン。
一体こいつは何を言っているんだばかりの表情を浮かべている。
——ロマンチックな恋がしたい。
ユミルは自信満々にそう言ってのけるが、冗談にしか聞こえない。
だがユミルの満面の笑みを見るからにユミルの言うことが本気であるということを、これまでの長い付き合いでジンは察していた。
とはいっても、ユミルの話に「はいそうですか」と頷くこともまた出来ない。
「またどうしてそんなことを」
「ん、実は一冊の本を読んだんだけど、学園で恋愛する話だったの」
「うん、それで?」
「それで私もこういう恋愛がしたいなーって」
「……お前って馬鹿だろ」
ジンはこめかみを押さえながら、悪態を吐く。
一体どこの剣聖が、そんな理由で学園に入学したりするのだろう。
少なくともジンは目の前の馬鹿くらいしか思いつかない。
「……とはいえ今更、入学を取りやめることも出来ないからなぁ」
剣聖が学園へ入学する。
これまで噂程度でしかなかったことが、ユミルの登場で確信に変わった。
その情報はすぐに多方面へ広がるだろう。
そうなれば貴族たちが黙っているとも思えない。
普段はなかなか接することが出来ないはずの剣聖が、息子たちと同じ学び舎にいるというのだから、少しでも剣聖に近付かせようと画策するはずだ。
ユミルの警護を任せられているジンからすれば、面倒なことこの上ない。
ジンもユミルとの付き合いは長い。
そんな彼女をどこぞの馬とも知れない貴族たちと関係を持たせるつもりはない。
もちろんジンから見て、それなりの相手であれば黙認するかもしれないが、明らかに評判も悪く、素行も悪い貴族の息子たちなんかがユミルに近付こうものならば、すぐに撃退する予定だ。
ジンから見て、ユミルは馬鹿であることに間違いない。
それは知識が云々とかでの話ではなく突拍子のない行動をとったりする点が、である。
それは昔からもずっとそうで、これまでにも何度そのことでジンが頭を悩まされたことか分からない。
幸いどういうわけかジンの言うことだけはある程度聞いてくれるので大事には至らなかったものの、ジンからすれば心配の種は尽きそうにない。
「……もしかして、今回俺を推薦したのって面倒を見てもらおうとしてたりするのか?」
「な、なんで分かったの……!?」
心底驚いた表情を浮かべるユミルを見て、やはりこいつは馬鹿だと改めて思わされる。
どうやらジンはユミルのロマンチックな恋愛とやらの手伝いをさせられるために推薦されたらしい。
まさかそんな理由だったとは露にも思っていなかったジンは呆れを隠せない。
恐らく今回のことについてはユミルの両親がアドバイスでもしたのだろう。
じゃなければ、ユミルがこんなことを思いつくとも思えない。
「まあ、仕方ないからお前の計画に付き合ってやるよ」
「そ、そっか!」
既に事が逃げられないところまで来てしまっている以上、もはやジンに選択権はない。
ユミルはジンが頷くのを見て、嬉しそうに微笑みながらジンの手を握って来る。
「ありがと!」
「……あぁ」
満面の笑みを浮かべるユミルに、ジンは顔を背ける。
昔からジンはユミルのこの顔に弱い。
というよりもユミル自体に甘い部分が多いのは否めないが、それでもユミルにこの表情をされるとどうにも断れない。
恐らくそれすらもユミルの両親の思惑通りなのだろうが、こんな表情をされるのであれば、案外悪くはないのかもなとジンは思った。
「ふふふっ」
「どうしたんだ?」
「いや、ジンとこんなに喋れたの久しぶりだなーって」
「……そうか?」
ユミルの突然の言葉に、ジンは戸惑う。
しかしそんな素振りをユミルに悟られまいと、すぐに取り繕う。
「そうだよ。だってジンってば軍の仕事が忙しいからーって言ってなかなか会えないんだもん。昔はいっぱい遊んでくれたのに」
「昔は昔だろ。俺たちも大人になったってことだよ」
「ほら、そういうとこも変わった! 前はもっと優しかったのに、優しくしてくれなくなったよ」
「……お前には他に優しくしてくれる奴らが一杯いるだろ」
嬉しそうな表情から一転して寂しそうな表情を浮かべるユミルに、ジンは突き放すように言う。
それにジンは自分がユミルに優しくなくなったつもりは毛頭ない。
こんなに甘やかしてしまうのは幼馴染だからであるユミルだからだ。
ただユミルがそう思ってしまうのは、ジンの優しさに対する考え方が変わってしまったからなのだろう。
だがジンはそんなことは言わない。
優しくないと思われているならば、それでいい。
むしろそれが良いとさえ思っている。
なぜならユミルは剣聖なのだから。
「……ばーか。あーほ。ジンのいじわるやろー、ばーか、あーほ」
「あー、はいはい」
「いいもん。学園で散々こき使ってやるんだから」
「あっ、おい!」
ジンに対して悪態を零すユミルを適当に流すと、ユミルは頬を膨らませる。
そして握っていたジンの手をばっと離すと、そのままどこかへと走り去っていってしまった。
慌てて止めようとするジンだが、さすが剣聖というべきか、物凄いスピードにジンは追いかけるのを諦める。
「……はあ。そろそろ入学式も始まるし、俺もいい加減戻るか」
もしかしたらユミルもそれを分かった上で……と考えた時点でジンは首を振る。
あのユミルがそんなことを考えて行動できるはずがない。
偶然、タイミングが良かっただけだろう。
しかしさすがにそろそろ戻らなければ遅れてしまう。
ただでさえ目立っているというのに、これ以上何か目立つようなことは避けたい。
ジンはユミルを追いかけるわけではないが、その後を追うようにして、入学式の会場へと向かった。
◇ ◇
「よし、これからどうするか……っと、ロズワールさん、お久しぶりです」
剣聖がいるということで多少のざわつきもあった入学式が終わり、会場で適当にぶらぶらしていたジンに一組の男女が近づいてきた。
ジンにとっても顔見知り以上の関係であるその二人は、剣聖|《ユミル=ロズワール》の両親だ。
ジンが慌てて挨拶すると、ロズワール夫妻は柔らかな笑みを浮かべて手を振り返してくる。
「やあ、ジン君。久しぶりだね」
「リキッドさん、長く顔を見せずに申し訳ありません」
「良いんだよ。君も忙しいだろうからね」
リキッド=ロズワール。
ユミルの父でもある彼は剣聖の親というだけでなく、公爵という高い地位にありながらも、貴族にありがちな高慢思想に囚われない聡明な御仁として有名である。
世間的には公爵家の娘であるユミルが、平民であるジンとの関わりを持つことが出来たのもリキッドが一切咎めたりしないのが原因の一つだ。
「ジン君が学園に入学してくれたおかげで、私も安心できたわ」
「エマさん、そんなに信頼されても困るんですけど……」
ユミルの母、エマ=ロズワールの微笑にジンは頬を掻く。
さすがユミルの母というべきか、その容姿は経産婦とは思えないほどに妖艶だ。
ユミルも将来こんな感じになるのだろうかと想像するとジンは思わず唾を飲んだ。
「何を言ってるの。私たちはジン君がいるからユミルの『学園に行きたい』っていう我儘を許したのよ? それに今ユミルが元気に毎日を過ごせているのも、ジン君のお陰なんだから」
「そうだ。君には本当感謝してもしきれないくらいだよ」
とある一件より、ロズワール夫妻はジンの諜報員としての顔を知っている。
その上で一向にユミルとの関係を認めてくれている二人の言葉に、ジンは頭があがらない思いで苦笑いを浮かべた。
「あ、ほら。ちょうどお姫様も来たみたいだ」
リキッドの言葉にジンが振り向くと、そこには入学式前に最後に見せた不機嫌な表情から一変して、晴れやかな笑みを浮かべるユミルがこちらに気付いて走ってきているところだった。