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003 剣聖の思惑


「はあ、本当に来てしまった……」


 ため息を零すジンの前には王立学園の無駄に大きな校舎が広がっている。

 見渡す限りの広大な土地は一体何に使うのか甚だ疑問だが、それだけの権力を持っているのだということを誇示しているつもりなのだろう。

 今日からここで色々なことを学ばなければいけないかと思うとジンは憂鬱で仕方がない。

 諜報部で働いているジンは、仕事柄、様々な知識について精通していなければならないため、同世代のそれと比べるとどうしても豊富な知識量を持っている。

 恐らく学園での授業も大して実りのあるようなものは少ないだろう。

 そのことを考えると、余計うんざりしてくる。


「これも全部、あいつのせいだ……」


 ジンは幼馴染ユミルのことを思い出す。

 ユミルが一体どういうつもりで自分を学園へ入学させたかったのかは分からない。

 しかしとんだ面倒に巻き込んでくれたことを一言文句言ってやらなければ気が済まない。

 ジンは適当に辺りを見回すが、人の多さにユミルを見つけることは出来ない。


 今日は王立学園の栄えある入学式ということもあって、さすがに人が多い。

 着慣れていない制服に身を包む新入生たちは胸のところに花をつけているので、一目で分かる。

 かくいうジンも事前に渡されていた制服に身を包み、校門のところで貰った花も他の人に倣って胸のあたりにつけている。


「でもやっぱり貴族(、、)が多いよな」


 ジンは周りの生徒たちを見渡しながらぽつりと呟く。

 そもそも学園というのは、ほとんど貴族しか入ることが出来ない。

 というのも入学金として相当な金額を要求されたりするので、日々の暮らしで手一杯の平民たちが学園に入学するのは難しいのだ。


 ジンは平民の出ではあるものの、軍に所属し、そして更に今回に関してはユミルとその両親の推薦ということもあって、入学することが出来た。

 まあジンからしてみれば余計なお世話以外の何ものでもなかったのだが……。


「なんだ君、そんなところで突っ立ったりして危ないだろ?」


「あ?」


 その時、ジンに誰かが声をかけてくる。

 思わず振り返ると、そこには明らかに大貴族の子息っぽい生徒が後ろの方に数人の取り巻きをつれて、近付いてきていた。

 皆が皆、嫌な笑みを浮かべているが、恐らくそういうことなのだろう。


「君、夜会でも見たことがない顔だけど、どこの貴族の子息なんだい?」


「いや、俺は平民だけど」


「なっ、こんなところにどうして平民がいるんだ」


 もはや分かり切っていただろうジンの答えに、大袈裟に反応する。

 その声に釣られて周りの生徒たちも何事かと視線を向けてくる。

 ジンとしてはあまり目立ちたくないのだが、彼らにジンを逃がしてくれる様子は見受けられない。

 かといって強引に抜け出すわけにもいけないので、どうしようかとジンは頭を悩ます。


「僕はキシリール家の次期当主、キッシュだ。まさか知らないとは言うまい?」


「あー……確かにそんなのがいたな……」


 ジンは覚えている範疇でキシリール家のことを思い出す。

 確か国内でもそれなりに大きな貴族の一つで、主に商業の方で成果を出しているとか。

 ただ実際は横暴な税の徴収など、その実情はとてもひどいということで、近いうちに粛清対象になっていたはずだ。


「まあ親がそれなら、子がこんなんになるのも仕方ないか」


「? 何をぶつぶつ言ってるんだい?」


 目の前のキッシュとやらを見ながら、ジンは納得する。

 だがキッシュはそんなジンの様子が気に食わなかったのか、取り巻きたちと一緒に威圧するような笑みを浮かべてくる。

 これはどうしたのか……。

 ジンがこの状況をどう抜け出すか考えていると、彼らの間に影が一つ割り込んできた。


「————ジンッ!」


「うわっ!?」


 それは突然に、ジンに飛びついてくる。

 あまりにも唐突すぎたせいで、ジンでさえもろくに反応できず、その勢いのままに後ろへ倒れこむ。

 だが声から察して、これが誰かなどジンには一瞬で分かった。


「……ユミル」


 幼いころからずっと傍にいた幼馴染の声を今更聞き間違えるはずがない。

 ジンは自分の胸に蹲って来る幼馴染、ユミルの頭を引きはがそうと力を入れる。


「んぅーっ久しぶり! ジン!」


「あ、あぁ。久しぶり」


 しかし予想以上の強い力で抱き着かれ、ジンは戸惑う。

 久しぶりとはいえ、こんなにスキンシップをされるとは思っていなかった。

 いくら幼馴染で、昔のころから知っているとはいえ、15歳にもなれば女性的特徴が出てきている。

 要するにユミルの胸がジンの身体へ押し当てられていた。

 そのせいで文句を言ってやろうと思っていたことも忘れて、ユミルに挨拶を返す。


「一体誰だ君は。彼とは今、僕が……って、ユミル様っ!?」


 突然倒れこんだ二人にキッシュが苛立ちながら近づく。

 しかしユミルの姿を見た途端、慌てたように姿勢を正している。

 そんなキッシュの反応に、ジンは自分の意識が徐々に冷めていくのが分かった。

 ジンの幼馴染のユミルは弱冠15歳にして剣聖にまで登り詰めた若き天才だ。

 それに加えて腰まで伸びた綺麗な銀髪は否が応にも人の目を惹きつける。

 剣聖《ユミル=ロズワール》のことを知らない人たちは恐らくそうそういないだろう。


 そしてキッシュもまた、貴族社会を生きる以上、ユミルのことを知らないはずはない。

 初めから貴族の生まれだったユミルを我が家に取り込もうとしている貴族たちは少なくない。

 そのため貴族の子息たちにはユミルへの心証を出来る限り良くするように言われているのだ。


「ユ、ユミル様が一体どうしてこんな場所へ……?」


 キッシュは突然の剣聖の登場に驚きを隠せない様子で、ひどく狼狽している。

 そしてそれはキッシュとその取り巻きたちだけではなく、他の生徒たちも同様だ。

 皆が皆、剣聖であるユミルに様々な思惑の視線を向けている。


「ユ、ユミル様が学園に入学するって話は本当だったのか……」


 しかしその内の何人かは、噂程度には今回のユミルの件を知っていたらしい。

 そして入学の話は徐々に他の生徒たちの間にも広がっていき、キッシュの耳にもそれが届いた。


「ユ、ユミル様が入学される……?」


 取り巻きの内の一人が耳打ちした内容を驚いたように復唱するキッシュは、呆けたように固まってしまっている。

 そんなキッシュに、ジンは未だに自分たちが倒れこんでいることを思い出した。

 ユミルはと言えば未だに周りの空気に気付いていないのか、あまつさえジンの胸に頬ずりを始めそうな勢いだ。


「ほら、いい加減起きろ」


「んぅーっ」


 さすがにそんなことをこんな衆人環視の中でされたらまずいだけでは済まない。

 ジンはユミルを引き剥がしにかかるが、ユミルもそう簡単に離れようとはしない。

 だがジンが半ば強引に立ち上がると、渋々と言った風にユミルも立ち上がる。


「せっかく久しぶりに会えたんだから、もう少しくらい甘えさせてもいいのに……」


 しかしその顔は明らかに不機嫌そうで、頬を膨らましている。

 ジンはそんなユミルに気付かないふりをして、周りの状況を改めて確かめる。

 先ほどまでは新入生たちばかりだったはずが、今では恐らく先輩だろう生徒たちまでもが騒ぎに釣られてやって来ていた。

 ジンからしてみれば、ここではあまり目を付けられたくないのだが、今はそんなことも言っていられないだろう。

 気を付けていなければ、ユミルが一体何をしでかすか分かったものではない。


「お、お前! 平民と言ったが、ユミル様とは一体どういう関係なんだ!」


 ジンがユミルに気を取られていると、ようやく我に返ったらしいキッシュが慌てた口調で聞いてくる。

 ジンに対する強い口調にユミルの眉間に皺が寄るが、動揺しているキッシュはそのことに気付かない。


「ジンと私は幼馴染だけど、それが何?」


「お、幼馴染……? じゃあ平民がこんなところにいるのも」


「私がジンを推薦したからだけど。何か問題でもあるの?」


「そ、そんなことは決して……」


 ユミルの明らかに不機嫌な様子に、キッシュは先ほどまでの威勢をすっかり失ってしまっている。

 それも剣聖に怒りを向けられれば仕方ないというものだ。

 だがジンはユミルの発言に思わず頭を抱えたくなった。


 確かにジンがここにいるのは、ユミルが原因だ。

 そして表向きには剣聖ユミルとその両親の推薦あっての学園の入学ということにはなっている。

 だがこの大勢の人がいる中で、わざわざそんなことを言う必要は無いだろう。

 それではまるで剣聖の権力のおこぼれを貰っているようにしか受け取れない。

 案の定今のユミルの発言を聞いてから、密かに話す生徒たちの姿が多く見受けられる。


 しかし言ってしまったものは仕方がない。

 ジンはそう割り切ると、これ以上の被害が出る方を防ぐことにする。

 そのためにジンは未だにキッシュと対面しているユミルの手を引く。

 抵抗されるとも思ったが、今度はユミルは大人しくついてきている。

 ジンはそんなユミルを意外に思いながら、奇異の視線を向けてくる生徒たちの合間を縫って、その場を離れた。




「……はぁ、こんなところでいいか」


「あ……」


 人気ひとけのない場所までやって来たジンは立ち止まり、ユミルの手を離す。

 一瞬ユミルが声をあげたような気がするが、ジンは気にしないことにする。


「とりあえずここなら落ち着いて話せるだろ」


「うん。そうだね」


 ジンの言葉に素直に頷くユミルの視線はジンの手に向けられている。


「……相変わらずそんなの着けてるんだ」


「ん、まあな」


 ユミルが言ったのは、ジンが常に手に着けている黒手袋(グローブ)のことだ。

 いつからだったか、ユミルが気付いた時にはジンはそれを着けるようになっていた。

 そのせいで手を繋ぐ時も、いつも布一枚隔てなければならなくなっていることに、ユミルは不満を抱いているのである。

 ジンもユミルが手袋に対して良い印象を持っていないことには気付いているが、少なくとも今は外そうとは思っていない。


「……そんなことよりも、だ。今回のことについてしっかり話を聞かせてもらおうか」


 ジンは話題を変えるために一度間を置くと、本題に入ることにした。


「そもそもどうして学園に入学しようと思ったんだよ。剣聖なんだから、学園なんて今更だろ」


「まあ、確かに。それはそうだけど」


 予想外にも、ジンの言葉をあっさりと肯定するユミル。

 じゃあ一体どういう目的でこの学園に来たんだと問いただそうとするジンだが、ユミルの表情を見て口を閉じる。

 ユミルは「でも……」と呟き、強い視線をジンへ注ぐ。




「私――ロマンチックな恋がしたいの!」




 そしてさっきまでの不満そうな表情とは打って変わって、満面の笑みでそう言い放った。

 

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