024 化け物
「いやぁ、凄いな」
待ち合わせの日の夕方、ジンは警護の対象である賢者を遠くから窺いながら呟く。
今、ジンの視線の先では一人で魔物の群れをなぎ倒すミーシャが、恐ろしいほどの無表情で魔法を撃ち続けている。
普通の兵士であれば結構な脅威だろう魔物も、恐らくミーシャにとっては何ということは無いのだろう。
それもそうだ。
何しろミーシャは仮にも剣聖であるユミルと同等の称号を貰っている。
ユミルが出来ることをミーシャが出来ないはずがない。
「これなら本当に俺の出番は無さそうだな」
ほとんど作業のようにモンスターの数を減らす見事な実力に、ジンは頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。
だが実際問題、そんな上手くはいかない。
「……ん?」
ジンはミーシャに近付く複数の影にいち早く気付いた。
だがそれでも直前までミーシャの魔法に感心していたせいで、いつもよりは反応が遅れてしまった。
それに加えて相手も相当な手練れなのか、ジンが行動を起こそうとした時には既にミーシャの目の前にまで距離を詰めている。
「ッ!?」
モンスターに気を取られていたミーシャは突然現れた刺客に一瞬反応が遅れる。
物凄いスピードでミーシャの首元にナイフが迫るが、反応が遅れたミーシャにはそれを防ぐ手立てがない。
やられる――——瞬間的にそう悟ったミーシャは思わず目を瞑る。
「————ッ」
ミーシャが抵抗を諦めたのを見て、本格的にまずいと察したジンは腰に差していたナイフを慣れた手つきで取り出すと、そのナイフをミーシャに一番近い刺客へと投げつける。
ほとんど感覚的に投げたナイフだったが、それは一直線に刺客のナイフを弾く。
「……!?」
鉄の音が響いたことでミーシャは再び目を開くが、状況が分からないらしく狼狽えた様子で周りを見回している。
しかしそれはナイフを弾かれた刺客とその他も同じようで、慌てた様子でミーシャから距離を取る。
「あ、あなた……」
そんな状況の中で、ジンはミーシャの隣に姿を見せる。
もちろん隠密術を使ったのだが、周りから見たら突然現れたようにしか見えなかっただろう。
諜報員としての実力を見せたジンに対してミーシャだけでなく、その場にいる全員が動揺を隠せない。
「こんばんは、お嬢さん。あなたを護るため参上しました」
「っ……」
ジンはあえて気取った風の口上を述べると、膝をつき、ミーシャの手の甲にキスをする。
あまりにも今の状況に似合わないジンの行動に、ミーシャは肩を震わせるが、気が動転しているのかジンの手を振りほどこうとはしない。
「ここは俺に任せてください」
ジンはそう言うと徐に立ち上がり、もう地面に刺さるナイフを手に取る。
そして次の瞬間、ジンはその場から消えた。
「……!?」
確かにそこにいたはずのジンが見えなくなったことに、ミーシャは動揺を隠せない。
もしかして今までのは自分の幻覚だったのかと疑ってしまうほどに一瞬で姿を消したジンの姿を探すべく、ミーシャは窮地にも関わらず呆然と辺りを見回す。
「え……」
そんなミーシャの視界に一番最初に入って来たのは、既に事切れたように地面に倒れ伏す刺客たちだった。
数えるだけで八人の死体が転がっている。
さっきまでは確かに生きていた彼らが一体誰に殺されたのか、この状況でそれが分からないミーシャではない。
「……あなたが?」
ミーシャは自分の背後に感じる気配に問いかけながら振り返る。
そこには灰色の髪を真っ赤に染めたジンが立っていた。
仮面の下でジンがどんな表情を浮かべているのか、ミーシャには分からない。
しかしそれはまるで自分がモンスターを魔法で屠るように、一種の作業のように感じられた。
「実力は信じてもらえましたか?」
「……ええ」
普段から実力主義のミーシャが、ジンの言葉に首を横に振ることはあり得なかった。
「……あなたは食べないの? あなたが作ったんだから、あなたも食べればいいのに」
「俺は顔を見せるわけにはいかないので、少なくとも今は大丈夫です」
ミーシャが刺客に襲われてから少し経ち、二人は比較的安全そうな場所で今日は野宿することに決めた。
だがどうやらミーシャは朝に出発してからというもの何も食べていなかったらしく、かなりお腹が減っていたらしい。
ジンはあらかじめ持ってきていた食材と、近くで狩った動物で簡単な料理を作る。
無表情ながらも美味しそうに食べるミーシャは、仮面を外そうとしないジンに気を遣ったのか聞いてくるが、ジンの答えた理由にそれ以上のことは言ってこなかった。
恐らく諜報員としてのジンの立場の危うさを十歳ながらも察したのだろう。
ジンはミーシャの賢明さに感謝しながら、先ほどのことを思い出す。
「どこからか情報が漏れていたみたいですね」
「……そう。でも情報を全て制限するなんて、それこそ無理な話」
というのも今回、賢者であるミーシャが隣街の図書館へ向かうことは一部の人間しか知らないはずの極秘の情報だった。
剣聖や賢者は軍にとって最重要人物でもある。
そんな彼女らの情報をおいそれとばら撒くわけにはいかない。
その中でも特に賢者に関しての情報は厳重に扱われている。
「私は化け物だから」
ミーシャが諦めたように冷たく呟く。
事情を知るジンはそんなミーシャに対して、言葉に詰まる。
ジンの幼馴染ユミルのことを称すにはまさに「天才」という言葉がぴったりだろう。
弱冠十五歳にして剣技を極め、剣聖にまで登り詰めるなど常軌を逸している。
————それなら賢者は?
ユミルでさえ十五歳にしてようやく剣聖になった。
それを五年も早い段階で、剣聖と同程度の称号である賢者になったミーシャを一体何と称すればいいのか。
それは皮肉にもミーシャ自身が言った『化け物』というのが一番相応しい。
それが分かっているからこそ、ジンはミーシャに何も言わない。
というよりも言えないのだ。
さらにそれに加えてミーシャが化け物と呼ばれるのは他にも理由が――。
「賢者様は、さっきの俺を見てどう思いましたか?」
無表情で自嘲するミーシャに、ジンは問いかける。
ミーシャはジンの言わんとすることが分からず、首を傾げる。
「俺が怖くありませんでしたか?」
「……少しだけ」
「そうですか」
ミーシャは遠慮がちに答えるが、ジンは気にした様子はない。
むしろミーシャが気を遣ったのかは知らないが、ジンに対して少しだけしか怖くないと言ったことの方が意外だった。
「賢者様には魔法の才能がありますよね。それと同じように俺にも別の才能があります」
「才能って、さっきのみたいな?」
「そうです。その才能のおかげでこうやって諜報員として働けています」
ジンの才能はナイフを扱う技術と、隠密術の二つである。
それはジンが諜報員として行動する上でなくてはならないものだ。
「でも才能だけじゃ成長はできません」
「……その才能が意図的に植え付けられたものであっても?」
「はい」
ミーシャの問いに、ジンは断言する。
才能だけでは成長できない。
ジンはそれをこれまでずっと目の当たりにし、実感してきた。
ジンが諜報員として働くようになるまで、ジンがどれだけナイフの技術と隠密術を磨いたか分からない。
ただひたすらに目的のために朝から晩まで血眼になって努力した。
それこそ生死の境を彷徨ったことがあるくらいだ。
そしてそれはジンが「天才」と称するユミルでさえ変わらない。
ユミルが剣の技術をいかに磨いてきたか、ジンは一番近くでずっと目の当たりにしてきた。
確かにユミルの才能は凄まじかった。
だがジンは、今のユミルの実力を「才能」の一言だけで片付ける気は毛頭ない。
それはユミルの絶え間ない努力があったからこその賜物なのだ。
「例えその才能が植え付けられたものであったとしても、です」
「……そう」
ジンの言葉に、ミーシャは小さく呟く。
そしてそれ以上は話すことはないと思ったのか、ミーシャはジンが作ったスープを啜る。
そんなミーシャをジンは横目で見る。
かつて「化け物」と称されたジンと、現在進行形で「化け物」と称されるミーシャ。
ジンは自分の言葉が少しでもミーシャの心に響けば、と目を伏せる。
しかしジンが視線を外す寸前、ミーシャの頬が僅かにだが緩んでいるような気がした。




