023 ミーシャ=リズベット
「護衛、ですか?」
上司の話を聞いたジンは珍しく動揺したように呟く。
緊急の招集が掛かったジンはすぐに上司の下へ戻ってきた。
しかしそこで話された任務内容は、てっきり何か軍事秘密にも関わるような危険な任務だと思っていたジンの予想を大きく外れるものだった。
「あぁ。剣聖の警護の途中なのは分かっているが、少しの間、別の要人の警護をしてもらいたいのだ」
「……はあ。それで俺は一体誰の警護をすればいいんですか?」
ジンは首を傾げながらも上司の言葉に頷く。
しかしわざわざ剣聖であるユミルの警護を解いてまで、一体誰の警護をさせられるのだろうか。
それだけの要人ということだろうが、それでもわざわざ諜報員であるジンに頼む必要性は感じられない。
「今回、お前に警護してもらいたいのは――——賢者だ」
賢者——それは剣を極めた剣聖とは対極にいる、魔法を極めた者の称号である。
当然、剣聖であるユミルとほぼ同じ立場であるので、警護を必要とする要人であるということは納得だ。
だがしかし……とジンは眉を顰める。
どうして今回、ジンが賢者の警護に選ばれたのだろうか。
ジンは確かに実力としては申し分ない。
しかしあくまでジンの本職は諜報員だ。
それなのにわざわざ要人の警護というのは腑に落ちない。
むしろ要人の暗殺くらいの方が合っているはずだ。
ユミルの場合は表向きには幼馴染ということで入学できたので問題はそれほど無かったが、賢者との接点については少なくともジンは思い当たる節はない。
「本当は軍の中から優秀な兵士を任せようと思っていたのだが……」
「……?」
ジンの内情を察したのか、上司が苦い顔を浮かべながら話し始める。
「今の賢者様のことはお前も知っているだろう?」
「そりゃあ仮にも諜報員ですから、普通よりは詳しいと思いますけど」
「普段、要人警護を任せられるような兵士といえば、ほとんどが貴族の子息たちだからな」
「あぁ、なるほど。だから俺が選ばれたんですね」
そこでジンは上司の言わんとすることを察する。
今の賢者はとある理由で、貴族たちから避けられている節がある。
だが貴族ではないジンにとってはそんなこと関係ない。
恐らく諜報員であるジンに白羽の矢が立ったのもそれが原因なのだろう。
「まあ確かにそれも一つの理由ではあることも間違いではないが、どうにも今の賢者様が曲者みたいでな」
「曲者?」
「ああ、実は賢者様は相当な実力主義者でもあるのだ。そのせいで並の兵士じゃまず相手にしてもらえない」
「……あぁ」
魔法を極めた賢者が実力主義者というのは、あまりにも容赦がない。
ジンは思わず苦笑いを浮かべる。
上司もそれに釣られるが、ジンが自分の意図を汲み取ってくれたことに安堵の息を吐く。
「諜報部所属、灰髪鬼——賢者の警護の任務を命ずる」
「御意に」
相変わらず薄暗い部屋で、ジンは静かに頷いた。
◇ ◇
「そういえば賢者様を見たことないな」
待ち合わせの場所に指定された日時ちょうどに到着したジンはまだ来ていない賢者のことを考えながら呟く。
そんなジンの顔は諜報員として行動する時の必需品でもある仮面で覆われており、いつかのように髪は灰色に染まっている。
諜報員として働くジンは賢者についてある程度以上のことは知っている。
しかしそんなジンも賢者の実際の姿は見たことない。
何でも弱冠十歳で賢者の称号を得た若き天才ということだが、どうしてもそれだとユミルと比べてしまう。
ユミルよりも五年早い段階で剣聖と同等の称号というのは、相当なものだ。
一体どんな相手が来るのだろうかと、ジンは柄にもなく緊張する。
因みに待ち合わせは、人目を憚るために陽が昇るずっと前の真っ暗な時間帯になっている。
そして場所も街の中心街からは離れたところだ。
当然そんな時間にこんなところへ来る者は待ち合わせしている賢者以外にはありえないだろう。
「なっ……!?」
しかしそんなジンの予想は裏切られることになる。
ジンと賢者以外来るはずのない場所に、ふらりと人影がやって来たのだ。
しかもそれはジンも見覚えのある顔だった。
「あ、あの時の無表情の……」
それはジンが以前、串焼きを奢ってあげた無表情の女の子だった。
その手には、自身の背よりも大きな杖のようなものが握られている。
少女は暗闇の中で何かを探すように辺りを見回している。
ジンは慌てて少女の視線から隠れた。
しかし一体どうしてこんなところに、という疑問がジンの頭を掠める。
「……まさか」
そこでジンはとある可能性に行き着く。
だがそれはあまりにも偶然的で、思わず自分の頭を疑ってしまうレベルだ。
しかし考えれば考えるだけ、それしか思いつかない。
「…………」
考えても埒が明かないと判断したジンは、ゆっくり立ち上がると少女の方へと歩いていく。
当然そんなジンに気付く少女だが、その表情は相変わらず無表情に包まれている。
だがジンの仮面を見てからか、僅かに肩を震わせたような気がした。
「……お前が賢者か」
「そうよ。ということはあなたが今回の護衛?」
「あ、あぁ」
ジンの賭けとも思える言葉に、あっさり頷く少女。
まさかあの時の少女が賢者だったとは思ってもみなかったジンだが、少女の方はジンが仮面をつけているのと髪の色が違うせいで、面識があることには気付いていないらしい。
というかジンとしては気付かれてはまずいのだが……。
「私は賢者、ミーシャ=リズベット。あなたは?」
「……俺は、グレン。聞いていると思うが、普段は諜報員として働いている」
咄嗟に考えた名前を口にするジンに興味なさそうに「ふーん」と呟くミーシャ。
「悪いけど私、弱い人には興味ないの。あなたは私を護れるの? そうじゃないなら、今すぐ私の前から消えて。はっきり言って邪魔」
まるでジンを脅すように掌に氷の刃を生み出しながら、ミーシャは凍てつくような言葉の刃を吐き捨てる。
だがそうは言われてもジンも任務というものがある。
ここで簡単に引き下がるわけにもいかない。
しかし逆にここで何か言い返せば、それこそミーシャは実力を確かめてやるなどと勝負を吹っ掛けてきそうな気もする。
「…………」
悩んだ末に、ジンは面倒なことになる前にミーシャの前からいなくなる方を選んだ。
去ろうとするジンに対しても相変わらずの無表情で、満足しているのかしていないのかさえも分からない。
だがとりあえずジンがいなくなり一人になったミーシャは、静かにその場から動き出した。
「まあ、ちゃんと後ろにいるんだけどな」
警護の任務を諦めたかのように見えたジンだったが、ミーシャから少しだけ離れた場所を隠密術を駆使しながら後をつけていた。
少なくとも現状ではそれが最善手だろうと思ったのだ。
実際、ジンがいなくなったと思ったミーシャは何も言わずそのまま歩きだしている。
「確か隣街まで行くんだっけか?」
今回、ジンが教えられている情報としては、どうやら賢者は隣街にある図書館へと行こうとしているらしい。
ある程度の距離もあるということで警護を付けようという上層部の決定が下ったようだ。
だがミーシャ本人としては、そこらの警護などむしろ足手まといだろう。
そもそも他人とのコミュニケーションが得意そうにも見えないし、一人の方がミーシャも気が楽なはずだ。
「それに実際、賢者様の実力じゃ守る必要もないか」
ミーシャが賢者である以上、誰かから狙われるというのは容易に考えられる。
しかしミーシャ自身、刺客に後れを取るようなことはそうそうあるまい。
もしかしたら今回自分の出番は無いかもなと思いつつ、ジンは前を歩くミーシャの背中を追いかけた。




