022 一人の朝
「……皮肉だよな。ユミルの傍にいるために必死に願った才能が、こんな汚れ仕事の才能だったなんて」
薄暗い部屋の中で、ジンは呟く。
当然のようにその声に応える声はない。
ジンはユミルが描いた拙い絵に視線を落とす。
そこにはロズワール家の中庭で楽しそうに遊ぶジンとユミルの姿が描かれている。
あの時は毎日が楽しかった。
しかしその日々は既に失われてしまった。
誰がそれを壊したのか。
「他でもない、俺自身だ」
ユミルの剣の才能は確かに凄かった。
事実、弱冠十五歳にして剣聖にまで登り詰めている。
しかしあくまでユミルは表舞台の役者だ。
表舞台にあがれず裏側の人間に回ってしまったことをユミルのせいにするわけにはいかない。
ユミルは才能を磨く日々の中で、ジンを蔑ろにしたことはなかった。
一番にジンの傍にいて、ジンを気遣ってくれたのはユミルだ。
きっとユミルは、ジンに才能が無かったとしても、ずっと一緒にいてくれただろう。
それでもジンが裏側に回ってでも自分の才能を磨いたのは、せめてユミルの傍に居続けられるような存在でありたいと願ったからだ。
例え裏側からであったとしても、何かしらでユミルを支えたかった。
そしてそれがジンの場合は偶然にも『ナイフ』と『隠密術』という才能だった。
それならばその才能を磨かずして、一体どうやってユミルを支えられるだろう。
ジンは血眼になって才能を磨いた。
それこそ何度死にそうになったか分からない。
それでも現在、諜報員としてユミルの傍にいられるのはその努力があったからだ。
努力した結果、どんな汚れ仕事を任せられようと構わない。
ジンはそう思っていた。
「……羨ましいよな、ほんと」
しかしいくらユミルのためになら汚れ仕事をしてやろうと思っていたとしても、日々、表舞台で喝采を浴びるユミルを目の当たりにしていれば、どうしても今の自分と比べてしまう。
剣という才能に恵まれ剣聖にまで登り詰めた幼馴染と、諜報員という汚れ仕事をこなしている自分では、全くと言っていいほど釣り合わない。
一緒に居るために努力した結果が、今では一緒に居ることさえ憚られるほどに汚れてしまった。
「……こんな、汚れた手じゃ」
だからジンは手袋を外さない。
間違っても自分の汚れてしまった手で幼馴染を穢すまいと。
ジンにとってユミルは大切な存在である一方、昔からずっと劣等感の象徴でもあった。
ユミルが剣聖として名声を博せば博すほど。
ジンが諜報員として努力すれば努力するほど。
ジンの自己評価は下がり続ける。
「…………ったく、ユミルのためになら、いくらでも堕ちるって決めたんだけどな」
ジンは自分の意志の弱さに辟易する。
結局、本音を言えばジンも表舞台でユミルの隣にいたかった。
剣じゃなくても良い。
槍や弓の才能が自分にあれば、きっと今、堂々とユミルの隣に立っていられたはずだ。
でもそんなことを願うのは野暮というものだろう。
少なからずジンは自分の汚れた才能に感謝している。
なぜなら任務という名目でユミルの傍にいられるのだから。
そして学園などでユミルの傍にいる無力な自分を肯定してあげられるから。
「……ん?」
ふと、部屋の窓の隙間から一通の手紙が入り込んでくる。
普通なら突然のことに驚くだろうが、こんな手紙の送り方をしてくるのなんてジンには一つしか思い当たらない。
ジンは床に落ちた手紙を手に取る。
案の定、宛名も書いていなければ、差出人も書かれていない。
ジンは封を切り、中身を確かめる。
『灰髪鬼――特殊任務あり。早急に帰還されたし』
そこにはただ一文だけが記されていた。
そしてジンが読み終えた次の瞬間には、一瞬で燃えてしまった。
「噂をすれば、か」
ジンは一度小さく息を吐く。
最近はユミルの警護という諜報員らしからぬ任務だったが、どうやらまた汚れ仕事に戻らなければいけないらしい。
その任務が長期のものなのかどうかは分からないが、少なくとも少しの間はユミルの警護は離れなければいけなくなる。
それはジンとしては本意ではないが、諜報部からの命令に背くわけにはいかない。
「……結局、泊まれなかったな」
ジンはまるで未練を捨てるように、手に持つ絵を机に戻すと部屋を出た。
◇ ◇
「……んぅ?」
眠たい目を擦りながら、ユミルは目を覚ます。
カーテンの隙間から射し込む日差しに目を細めるユミルは辺りを見回す。
「いつの間に寝ちゃったんだろ……?」
確か昨日はジンと喧嘩して部屋に戻って来たのまでは覚えている。
しかしどうやらそのまま眠ってしまったらしい。
ユミルは重たい身体を起こす。
「昨日、言いすぎたよね……」
ユミルはずっとジンが危ない軍に入ったのが納得できなかった。
これまでにも何度も止めるように勧めたり、リキッドを頼ろうとしたりしたが、どれも上手くいっていなかった。
ユミルも平民であるジンが軍に入るのは仕方ないというのは分かっている。
それでもやはりこれまでずっと一緒だったジンには、出来るだけ危ないことなんかはして欲しくなかったのだ。
昨日の夜はそのことについてジンと言い争いになり、最後は言い逃げするように部屋へ戻ってきた。
もしかしたらジンを傷つけてしまったのではないかと、ユミルは焦る。
「……さすがに部屋にはいないかぁ」
部屋を見回したユミルは「ふぅ」と息を吐くと、勢いよくベッドから起き上がる。
部屋にある鏡台へ近づき、多少、髪を整える。
銀髪に反射する朝日にユミルは思わず目を瞑りながら、ジンを探しに部屋を出る。
「ジン、どこで寝たんだろ」
本当はリキッドの部屋で眠るように勧めるつもりだった。
しかし言い争いの件もあり、言うのを忘れてしまっていた。
恐らくジンは何も言われなければ、リキッドの部屋で眠ったりするのは遠慮してしまうだろう。
だとしたらリビングのソファーで眠っていたりするかもしれない。
「うぅー、悪いことしちゃったなぁ……」
そのことに対してもユミルは申し訳なさで一杯になる。
ジンにはまず謝らなくちゃいけないなと思いながら、ユミルはリビングのドアを開ける。
「……あれ?」
しかしユミルの予想とは違い、ソファーにジンの姿はない。
ユミルは一度リビングから出て、リキッドの部屋にも向かう。
しかしやはりそこにもジンはいない。
「……なにこれ?」
もう一度リビングへ戻ってきたユミルは、そこでテーブルの上に何か置かれていることに気付いた。
「これって、朝ごはん……?」
そこには埃が被らないように薄布がかけられた朝食が用意されていた。
明らかに一人分しかないことに不思議に思いながら、その端に置手紙があることに気が付いた。
「えっと『朝食を作っておいた。俺は軍の仕事でしばらく学校は休むからよろしく』……はい?」
ユミルは一度読んだ置手紙をもう一度読み直す。
しかし書いてあることは同じ内容だ。
みるみるうちにユミルの表情が引きつっていく。
「よろしくって何じゃぁぁー!」
ユミルは思わず叫ばずにはいられなかった。
そして半ばやけくそ気味にジンが用意してくれていたらしい朝食を口に掻っ込む。
これまでにも何度かジンの作ってくれた料理を食べてきたユミルは、ジンが料理が上手いのは知っている。
だから今回の朝食も美味しいはずだ。
しかし怒りに震えるユミルにとっては、朝食がいかに美味しくとも、味をきちんと理解するのは難しかった。
「……もう許してやらないんだから!!」
言い争いについて言い過ぎたことを謝ろうと思っていたユミルだが、そんな気はとうに失せてしまった。
しばらく学校を休むということはつまりすぐに終わるような簡単な仕事ではないのだろう。
それが危なくない仕事だとは想像しがたい。
ユミルは今度ジンが帰ってきた時は、いくら謝られても許すまいと心に誓った。




