020 才能の有無
「————え」
それは一体誰の呟きだったか。
軍の兵士たちの視線の中心では、木剣を片手に佇むユミルの前で地面に力無く倒れる相手の兵士の姿があった。
皆が皆、目の前で繰り広げられた光景を理解できずにいた。
それはジンも例外ではない。
ジンはユミルから視線を逸らすことが出来ずに、ただ茫然とユミルを見つめていた。
模擬戦が始まる前、誰もがユミルが適当にあしらわれるような結果を思い描いていた。
しかし模擬戦が始まった途端、ユミルが相手との距離を一瞬で詰め、何度か剣を交わらせたかと思うと、相手の兵士を倒してしまったのだ。
まさに圧倒という言葉が相応しいその戦いを繰り広げたユミルに、誰も声をかけることが出来ない。
「ジンっ! やったー!」
しかし当の本人であるユミルは模擬戦の勝利を素直に喜びながら、ジンの下へ駆け寄って来る。
そこでようやく我に返ったジンは駆け寄って来るユミルに合わせて、笑みを浮かべる。
だがその笑みはどこかぎこちない。
「お、おめでとう! まさかユミルがあんなに強いとは思わなかったよ!」
「えへへ。頑張った!」
ジンの言葉にユミルは一層嬉しそうに頬を緩ませると、ジンに頭を向けてくる。
「ほんと頑張ったね」
すぐにユミルの意図を察したジンは、優しくユミルの頭を撫でる。
気持ちよさそうに目を細めるユミルはいつもの能天気なユミルだ。
とても先ほど兵士を相手に圧倒して見せたようには見えない。
それにしてもユミルは一体いつからあんなに剣の扱いが上手かったのだろうか。
少なくともここ最近でジンがユミルと過ごしていた時には、そんな素振り一瞬も無かった。
しかしリキッドが唐突に軍の訓練に連れてきたのも、こうなることを見越してのことだったのかもしれない。
「……え」
だがジンがリキッドを振り返った時、リキッドは目を見開いてユミルのことを見つめている。
まるで信じられないものを目の当たりにしたようなリキッドの表情に、ジンは困惑する。
「いやぁ、まさか娘さんがあんなにお強いとは……。密かに剣の練習でもさせていたんですか?」
ちょうどその時、ジンの疑問を体現するように先ほどの兵士の男が苦笑いを浮かべながらリキッドに声をかける。
その声でようやく我に返ったのか、リキッドはハッとした様子で男の方を向く。
「ユミルが剣を持つのは、恐らくこれが初めてです」
「……は?」
リキッドの言葉に、ジンを含む周りの者たちは凍り付いた。
そして一同に、相変わらずジンに頭を向けるユミルへと視線を注いだ。
「い、いや。それじゃあさっきの剣技は」
「わ、分かりません。私も驚いているところなんです」
「えっと、娘さんはいくつでしたっけ……?」
「ま、まだ七です」
「な……っ!?」
リキッドと兵士たちの会話は続く。
しかしジンはそんなことどうでも良かった。
ジンは今もなお頭を撫でて欲しそうにしているユミルを呼ぶ。
ユミルは頭を撫でるのを止めたジンに不満そうな表情を浮かべながらも、何か用かと顔を上げる。
「ユ、ユミルって今日みたいに剣を使ったこととかあるの?」
「今日が初めてだけど?」
「っ!」
それが一体どうしたのかと不思議そうに首を傾げるユミルは、そんなこと良いからもっと撫でろという表情をジンに向ける。
しかしジンはそれどころではなかった。
むしろどうしてユミルがそんな平然としているのかが分からなかった。
ただでさえ、七歳の少女が軍の兵士に勝ってしまうという異例の事態が起こったのだ。
しかもそれが剣を初めて持った、加えてその勝利も圧倒的なものだったとなれば、異例どころの騒ぎではない。
それを理解しているからこそ、リキッドたちも騒然としているのだ。
「ユ、ユミル……」
ジンは目の前で仏頂面を浮かべる少女に、思わず冷や汗を流した。
◇ ◇
初めてユミルが剣を持った日から数日が経った今、ユミルは軍の訓練に参加していた。
初めと同じように模擬戦を繰り返しているが、ユミルの圧倒劇は終わらない。
相手に抵抗を許さず、一瞬で決着をつける。
ジンの目から見ても、それはまさに圧巻の一言だった。
「おぉ……!」
ユミルが模擬戦で勝利するたびに、周りの兵士たちからどよめきが起こる。
もはや見慣れてしまった光景にジンは今更視線を奪われることもなく、その視線はジッとユミルを射抜いている。
ここ最近、ずっと軍の訓練に参加しているユミルは素人目から見ても模擬戦を重ねるごとに成長しているのが分かる。
そしてユミル自身もそれが嬉しいのか、一層、訓練に努めているようだ。
恐らくだが、もはやここにいる兵士たちではユミルの模擬戦の相手は務まらないだろう。
そもそも初めからユミルと互角に渡り合えるような猛者もいなかったのだが、それでも今ではそれが顕著に現れ始めた。
既に多対一でも模擬戦をするようになっているが、それでもユミルの敗北は見たことが無い。
実力が拮抗するわけでもなく、ただただ圧倒。
ユミルのそんな姿に、ジンはただ見つめることしか出来なかった。
◇ ◇
天才。
ユミルがそう呼ばれるのに時間はさほどかからなかった。
僅か七歳にして剣の腕は並の兵士なら太刀打ちできない。
更にユミルは習得が困難な『剣魔法』まで使えるようになっている。
どうやらユミルは剣に関するあらゆることの才能に恵まれているらしい、それもずば抜けて。
一度見た技は、そのほとんどを一瞬で自分のものにしてしまうユミルの吸収速度は目を見張る。
剣を扱う者の頂、剣聖になるのも時間の問題だろうとさえ言われていた。
日々、間近でユミルの剣技を目にするジンはそのことに疑いを持っていなかった。
ユミルは剣の天才だ。
剣聖だってユミルがなろうと思えば簡単になれてしまうだろう。
ジンのそれはほぼ確信に近いものがあった。
「…………」
だがユミルが強くなればなるほど、ジンは自分とユミルの距離が遠く離れていくように感じてならなかった。
今でさえどうしてユミルの傍に自分がいるのか、ジンには説明できない。
ただユミルの傍にいることが習慣だから。
そんな理由でしか今の自分の立場を肯定することが出来ないジンは、ユミルの成長に焦りと不安を感じていた。
「何か、僕に才能があれば……」
何か一つでも才能があれば、ユミルの傍にいても不思議ではないのではないだろうか。
子供ながらにジンが考えついたのがそれだった。
だが才能というのは努力でどうにか出来るものではない。
どうしようもないとこに、ジンに剣の才能はなかった。
いくら振っても精々並程度のことがこなせればいい方。
それではユミルには追い付けない。
早々に剣の道を諦めたジンは、訓練場の端の方で必死に自分の才能を探していた。
「槍もだめ、弓もだめ……」
ジンは項垂れながら呟く。
残念なことにジンには槍や弓の才能は無かった。
槍を使えば距離感は分からないし、弓を使えばまともに矢が飛ばない。
しかしそれは当然のことだ。
ユミルが異常なだけで、普通そんな簡単に才能なんて見つかるものではない。
だがユミルを目の当たりにしているジンからすれば、才能がないということはつまり、劣等感以外の何ものでもなかった。
「……それなら僕には何ができるっていうんだ」
思わず弓を投げ捨てたくなるのをジンは何とか堪える。
しかしそうしている間にも、ユミルは屈強な兵士たちとの模擬戦で成長している。
まだスタートすらしていないジンには、ユミルがどんどん遠い存在になってしまうような気がしてならなかった。
事実、ユミルとの会話は日々少なくなっている。
確かな成長に笑みを浮かべるユミルとは対称に、ジンの表情はどんどん暗くなるばかりだった。




